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『ウツボラ』の核心についての解釈の話

ウツボラ』という名の作品を発表したある小説家と、一人の女性の顔のない自殺死体。そして、生前の彼女とうり二つの、彼女の双子の妹を名乗る女性。二人の生者と一人の死者が交わる時、此岸と彼岸の境目がうねりだす……
てな具合の、中村明日美子先生のサイコ・サスペンス『ウツボラ』。今回の記事は致命的なまでにネタバレな核心についての考察ですので、未読の方はそのへんご注意。

ウツボラ(1) (F×COMICS)

ウツボラ(1) (F×COMICS)

で、その致命的なまでの核心が何かと言えば、死んだのが誰で生きていたのが誰なのか、ということ。
溝呂木の前に現れた瓜二つの二人の女性は「藤乃朱」と「三木桜」。これは両方とも仮名。その二人に該当する人物は、女子大生の「秋山富士子」と、苗字が「浅」から始まる大手生命保険会社に勤めていたOL(以降、この女性を「浅」と表す)。どちらがどちらなのか。
結論から言えば、生きていたのは「浅」だといえると考えます(つまり、「三木桜」を「秋山富士子」と考えた警察の見解とは逆)。
残念ながらというべきか、明確に語ることをせず入れ替わりミステリーの不可思議さを残した中村先生の巧みさを誉めるべきか、直接的にそうだと言える個所はありません。基本的には状況証拠と、そう解釈した方が筋が通る、という手前勝手な理由です。状況証拠の例としては、#1で喫茶店のメニューにチーズケーキを見つけた「三木桜」は嬉しそうにそれを選び、舌鼓を打っていましたが、

(1巻 p28)
#12,13で「秋山富士子」の実兄が彼女の好物だと買ってきたケーキがショートケーキだったことなどですかね。

(2巻 p206)
つまり、生きている「三木桜」(溝呂木が出会った「三木桜」)が好むケーキはチーズケーキで、「秋山富士子」が好むケーキはショートケーキである、ゆえに「三木桜」≠「秋山富士子」、よって「三木桜」=「浅」と推測できる、というぐらいの状況証拠(まあかなり確度の高い状況証拠だとは思いますが)。
なにはともあれ、それを前提として各シーンを解釈してみましょう。
まずは、溝呂木がパーティーで出会い、その後で身体を重ねた「藤乃朱」はどちらなのか。
これは「浅」だと思われます。そして、溝呂木と「藤乃朱」が身体を重ねたのは複数回にわたるのですが、その最後の時だけは、「藤乃朱」は「秋山富士子」だったのでしょう。
なぜそんなことをしたのか。それはきっと、溝呂木の熱狂的なファンであったが正面切って会う勇気はない「秋山富士子」のために、「浅」がお膳立てをしたから。「浅」が溝呂木に抱かれるしかないシチュエーションを作るために、「浅」はあたかも溝呂木の作品から抜け出たような美人に整形し、彼が盗作した『ウツボラ』の本当の作者、すなわち「藤乃朱」だと名乗って近づき、半ば脅迫のような形で彼と身体を重ねた。そして、数回の情事の後で「浅」と同じ顔に整形した「秋山富士子」にバトンタッチ。そうして「秋山富士子」は溝呂木と交わり、それが溝呂木と「秋山富士子」の最初で最後の対面となった。
そう考えることで

僕は『ウツボラ』の作者とは一度きりしか会っていない
そうだね?
(2巻 p215)

溝呂木のこのセリフに筋が通ります。『ウツボラ』の作者=「秋山富士子」に溝呂木が会ったのは、数回にわたる「藤乃朱」=「浅」の情事に続く、「藤乃朱」=「秋山富士子」との一度きりの情事の時だけ、ということです。
だから、溝呂木は「「藤乃朱」と「三木桜」は別人だ」と理解しながらも、「彼女らの輪郭が重なる瞬間があ」ることを意識せずにはいられないし、抱いたことが無いはずの「三木桜」の「身体を体験した・・・・ことがある」と思ってしまった。彼は、「藤乃朱」=「浅」と「藤乃朱」=「秋山富士子」の両方を抱いているのですから、「三木桜」=「浅」を初めて抱いても過去に同一の体験をしたと感じるのは当然なのです。
さて、ここで考えなくてはならないのは、「秋山富士子」と「浅」の目的です。
「秋山富士子」(つまり自殺した方)については、幸い明確な記述があります。

私 全て分かったの 私の… 本当に私の欲しかったものが
私は先生を愛していた 先生の作品を愛していた 先生になりたかった 先生に愛されたかった でも先生は誰も愛してなかった 作家は自分の作品しか愛していない
だから…
きっと書いて下さるわ
先生きっと
私のことを・・・・・書いて下さるわ
(2巻 p191,192)

彼女の最終的な望みは、自分の愛する溝呂木に自分について書いてもらうこと。そのために彼女は『ウツボラ』の作者である「藤乃朱」として死んだ。おそらくは(本当に「おそらくは」ですが)自分が『ウツボラ』にそう書いていたから。
じゃあ、「浅」の望みは?
これの解釈は二通りあるように思います。一つは、彼女も「秋山富士子」と同じく溝呂木のことを愛していたというもの。だから彼女は「秋山富士子」と組むことで、溝呂木と身体を重ねた。
もう一つは、彼女は「秋山富士子」を愛していたというもの。彼女にとって溝呂木は、「秋山富士子」と共にいるための道具でしかなかった。「秋山富士子」を愛していた「浅」は、溝呂木をきっかけに「秋山富士子」に近づき、「藤乃朱」として溝呂木に抱かれ、それを想像しろと彼女を抱いた。
私としては後者なんじゃないかと思ってます。
「浅」は「秋山富士子」を好きだった、という視点で読むと、たとえば

「おもしろいわね」
「ありがとう」
「これは発表しないの?」
「趣味で書いているだけだもの 人に見せたのだってあなたが初めてよ」
「そう でも私 この話好きよ とても好きよ」
(1巻 p131)

という回想シーンから戻った時の「三木桜」=「浅」の涙は、彼女がその作品を(そしてそれに仮託して「秋山富士子」のことを)好きだと言った相手はもういない、自分には理解できない方法で手の届かないところへ行ってしまったことに対する涙なんじゃないかと考えられます。

…私 姉の死んだ理由が知りたいんです
私は姉と一心同体のようなものだったんです 双子ってそういうものでしょう? 自分の半身のような 私突然一人ぼっちになってしまった
どうして…
(1巻 p49)

という「三木桜」=「浅」のセリフ。「姉と一心同体」「自分の半身」という言葉は、「藤乃朱」という人物を二人で入れ替わって演じていたことも意味するし、"my better half"(ただし「浅」からの一方的)の意味もあるんじゃないでしょうか。
そして、「姉の死んだ理由が知りたい」は、つまり自分の愛する「秋山富士子」が自殺した理由を知りたい、ということになるわけですが、この時点で「浅」は「秋山富士子」が死ぬ直前の電話を聞いているのですから、理由自体は知っているわけです。でも、知っているだけでは意味がない、その理由に納得したい、実感したい。だから溝呂木に彼女の作品を書いてもらうよう仕向けるのと同時に、彼女がなぜそう思うに至ったかを知ろうとしているのではないかと思います。
つまり、彼女の目的は途中で変質した。
彼女が愛していた「秋山富士子」は彼女に理解できない理由で自殺した。もしかしたら自分のせいで彼女は死を選んだのではないか。もう死んでしまった彼女にそれを問いただすことはできない。だから、それを知りたい。そして、死を選んだ彼女に罪滅ぼしをしたい。ゆえに、「秋山富士子」が死んだ後は彼女の願い、すなわち溝呂木の作品として書かれることを叶えるために「三木桜」として溝呂木に近づき、「藤乃朱」=「秋山富士子」がそうしたようにが飛び降りる直前に「きっと彼女のこと・・・・・を書いて下さいね」と言い残し、その願いが成就したあとはで心の糸が切れて泣き崩れた。
「秋山富士子」への愛情から、死んでしまった彼女への理解と贖罪。そういう経過なのではないかな、と。
また

だってこの部屋… なにもない なにも感じない なにも浮びあがってこない
まるで…そう 朱の印象そのもの 
表側しか見えない 本当はそれがなんなのか…
いや… なにもないのかもしれない
朱なんて本当はいないのかもしれない
(1巻 p80)

という、溝呂木と「三木桜」=「浅」が、「藤乃朱」=「秋山富士子」が遺したマンションの部屋で交わした会話。*1この時、まだ「三木桜」=「浅」は「藤乃朱」=「秋山富士子」がどういうつもりで自殺したのか理解できていない。自分が愛していた人間なのに、本当のところがわからないまま自殺を選んでしまった。自分が今まで理解したつもりになっていた彼女の心は、まるで見当違いだったのではないか。そう思ったから、「なにも感じない なにも浮びあがってこない」のではないかと思います。

「やはり君は朱ではないんだね」
「…どういう意味です…?」
「(……?)意味もなにも ただ…」
「なんで今朱が出てくるんですか? 私と先生とのことに朱が関係あるんですか? 朱は死んだんです
朱なんていないんです 本当は最初から 朱なんて…」
(2巻 p49〜51)

このシーンで「三木桜」=「浅」が溝呂木に食って掛かったのは……実はこれまで書いてきた仮説だと上手く説明がつかないので、保留にしてあります。なんかいい説明はありそうなんだけど。
それはひとまず措いといて、「浅」が最終的に溝呂木に抱かれ、海辺を楽しげに散歩しているのは、願いが成就したことによる贖罪の完成、そして溝呂木を愛していた「秋山富士子」に同一化し続けていたことで、溝呂木への愛情まで刷り込まれてしまったゆえなのではないか。


完全に解釈し切れたわけではありませんが、なにはともあれ私は、このように読んだ次第でございます。どっちがどっちについてここまで確定しきれない辺り、お意図的に明確な描写を避けている印象を受けました。いわゆるミステリ的なすっきりした解決がない作品ですが、あえてそういう風に仕上げているのは、サイコ・サスペンスの名にふさわしいような気がします。
なんかやたらと書くのに疲れた今回の記事でした。



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*1:私は、この部屋は「秋山富士子」が「浅」にも秘密にして契約していたものだと解釈しています。2巻p164の黒塗りフキダシの会話は死ぬ直前の「秋山富士子」は「浅」に電話越しにしているもので、そこで言われている「あなたにも内緒にしていた部屋」が、溝呂木と「三木桜」=「浅」が訪れているマンションなのです。