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殺人鬼と出会った女子高生は合格か不合格か『零崎双識の人間試験』の話

女子高生・無桐伊織は、物心ついた時からずっと、あるイメージに囚われていた。何かに追われている。よくわからない漠然とした何か。でも、それに追いつかれたらすべてが変わってしまうことだけはわかっている。だから、ずっと逃げ続けている。そんなイメージ。それでもなんとか17年間、平穏無事に生きてきた。生きてきたはずだった。今日も今日とて、朝から兄に小言を喰らいながらも、学校へ向かった。けれど、その途中で見知らぬ人に声をかけられ、手を掴まれた。
「ゼロザキイチゾクの者だな?」
何かに追いつかれたイメージ。逃げ切れなかったイメージ。崩れようとする日常に抵抗しようとする伊織。そこに颯爽と現れたのが、零崎双識だった……

零崎双識の人間試験(1) (アフタヌーンKC)

零崎双識の人間試験(1) (アフタヌーンKC)

ということで、西尾維新先生原作、シオミヤイルカ先生コミカライズ、『零崎双識の人間試験』のレビューです。私は、原作の小説を読んだ上でこの漫画を読んでますので、そういう視点であることは予めお断りしときます。
西尾先生のメディアミックスといえばアニメ『化物語』の作り方にぶつくさ言っていた私ですが、この作品については「いいじゃないか」と言わざるを得ません。原作の筋を概ねなぞりつつも、原作の良く言えば立て板に水、悪く言えば冗長な文章を連載漫画というメディアに仕立てるために、キャラクター登場の順序や仕方にアレンジも加え、ちゃんと「こういうもの」としての漫画作品になっています。
漠と危ういイメージを持ったまま17年間生きてきた少女、無桐伊織。そのイメージが形を持って現れたように登場した、胡乱な男達。そこに颯爽と参上したひょろりとした男、零崎双識。その邂逅を遠くから見つめる、裏で糸を引いていると思しき早蕨を名乗る兄弟。そんな始まりなのですが、まあとにかく人の死ぬ作品ですよ。いや、違うな。人が殺す作品ですよ。刃物は乱舞する、鮮血はしぶく、生首は飛ぶ。屍山血河の死屍累々。僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る。ただし真っ赤。人倫を圧倒的にぶっちぎるこの方々は、そのことを恬と恥じない。恥じないどころか気にしない。罪悪感なんか微塵もない。その筆頭であり主人公であるところの零崎双識(別名自殺志願マインドレンデル、針金細工、変態)曰く、「私たち零崎にとって殺しとは――生きざまだ」

君たち早蕨と違って 私たち零崎は――
「殺人鬼」なのだよ
場合によって殺したり殺さなかったり ましてや簡単に主義主張を曲げられる君たちとは 始めから存在している次元が違う
君たちにとって殺しは「仕事」なのだろうが 私たち零崎にとって殺しとは――
生きざまだ
(1巻 p207〜209)

食事をするように殺す。睡眠をとるように殺す。呼吸をするように殺す。生きるだけで殺す。生きてるだけで殺すのだから、殺すことは何でもなく、何でもなく、何でもない。だから、日常は日常のままだし、日常は日常のままで人を殺す。人を殺す前と、殺している時と、殺した後で何も変わらない。安定した狂気。
狂った日常を生きてきた零崎双識と、敵役の早蕨兄弟。そんな日常とは無縁だったはずの、普通に家族と暮らして、普通に学校へ行って、普通に生きてきたはずの無桐伊織。この作品は、彼女が堕ちる物語であり、日常が堕ちる物語であり、人が人を殺す物語です。
原作はもともと、西尾先生の二作目『クビシメロマンチスト』で特に深い意味もなくちょろっとでてきた単語「零崎一賊」から、どんどん膨らませていったお話。書いた頃はまだ、作者のデビュー作にして代表作の「戯言」シリーズを、(一応)ミステリーとしての体裁で整える気のあった時期ですから、その反動かのようにラノベラノベしてます。奇妙な能力とか、奇天烈な武器とか、そんなんがてんこもりなのですが、それらが猛威を揮って生まれたのが、死体の山とそれを築いた者、そしてそれらを前にして堕ちていく少女です。
で、そんな狂った人間と狂いつつある人間を描くのに、シオミヤ先生のポップでピーキーな絵柄はなかなかに好適だと思います。「針金細工」とも称される零崎双識の人間離れしたひょろりと細長い肢体や、無桐伊織が「なりかけてる」時の目なんかが、悪い意味でなく微妙に均整から外れて描かれ、狂った世界観に上手くマッチしているのです。
原作も、凄惨な情景の中に登場人物のすっとぼけた台詞を入れるなどして、「いつも通り狂っている日常」というバランスがあるのですが、血飛沫や生首乱舞などの視覚イメージがある分だけ凄惨さは漫画の方が強まっていますね。その凄惨さが、危ういバランスで揺れている無桐伊織と、とっくに狂ったバランスで安定している零崎双識や早蕨兄弟とのギャップを作っていますし、無桐伊織の「なり」方を劇的なものにしています。
17年間「何か」から逃げ続けていた無桐伊織と、彼女を「妹」と呼ぶ零崎双識と、彼と彼女を敵と狙う早蕨兄弟と。キャラクターの登場頻度や心理描写などから見るに、原作よりも「兄弟姉妹」あるいは「家族」というものを強く意識して描いている節があります。「仕事」であるいは「生きざま」で人を殺しても、家族はいるし、愛情もある。愛情が強ければ強いほど、「普通」に近い部分が多ければ多いほど、狂っている部分がまざまざと浮かび上がる。おぞましさは鮮明になる。
そうそう、記事のタイトルについてネタバレにならない程度に答えておけば、彼女は合格でも不合格でもありません。これについてはおそらく、作中でいつか語られることでしょう。
それでも、前述したように最初から原作とは少し違った道を進んでいる漫画版。これから先どうなるのか、楽しみなのですよ。



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