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漫画の話です。

感情をなくした死刑囚は外で生きる夢を見るか 『死刑囚042』の話

刑法の改正により、死刑制度が廃止されることになった日本。同時に終身刑も廃止されたために、それに代わる刑罰として、死刑相当の受刑者を国民のために無償労働させることが考案された。だが、凶悪事件を起こした犯人を枷なしに世の中へ送り出すわけにはいかない。受刑者の暴走を抑えるために、脳内の破壊衝動を司る部位に小型のチップを埋め込むことになった。被施術者者の脳が殺人に至るほどに興奮すると、そのチップが反応し頭部を吹き飛ばすのだ。このアイデアが実際に運用されるかどうか。その実験のテストケースに選ばれたのが、死刑囚042号・田嶋良平だった。高校の清掃員として働くことになった彼は、実験に携わる研究者・椎名、高校に通う盲目の少女・ゆめ、ゆめのボランティアスタッフ・古家あやのなど、多くの人間とかかわっていくことになる。この実験は、田嶋に、そして社会にどのような変化をもたらすのか……

死刑囚042 (1) (ヤングジャンプ・コミックス)

死刑囚042 (1) (ヤングジャンプ・コミックス)

ということで、小手川ゆあ先生『死刑囚042』のレビューです。死刑問題、法による人権の制限、殺人行為、社会による障碍者の受け入れなど、重い内容の込められた作品ですが、それが全5巻で上手くまとまっています。問題全てに答えを出しているという意味でなく、問題提起となるエピソードを冗長にならず描き出しているという意味です。設定の段階で無理はあるのですが、その無理を承知の上で、現実の社会にその設定をビルトインしています。その一点突破っぷりが潔いし、そこに拘泥しないことで余計な齟齬を抱えることも無くなっています。
被験者となった田嶋良平は、暴力団に雇われ、立件されただけでも7人もの人間を殺害した大量殺人犯。彼を逮捕した警察官曰く、「野生の獣が獲物を狩るような目だ 人を殺した罪の意識なんぞみじんもない 殺意しかない あんな目のやつは後にも先にもあいつだけだよ」。そんな彼を椎名が実験体として選んだ理由は、田嶋の少年時代にありました。8歳の時に失踪した彼は、14歳の時に電車内で傷だらけの姿で発見、保護されましたが、何者かに誘拐されていたらしい彼は、色々な憶測が飛び交いながらも、空白の6年間についてはなにも喋りませんでした。以来、感情を喪い、別人のようになってしまった田嶋は、殺人行為にさえ何とも思わなくなってしまいました。カウンセラーとして田嶋に興味を持っていた椎名は、実験を通して、田嶋が一つずつ感情を取り戻していけたら、と思っていたのです。
ですがこの実験、決して人道的なものではありません。健常な人間の脳内に起爆性のチップを埋め込んでいるのですから、ほんの小さなミスで予期せぬ死が訪れることになります。実験にしても被験者の自由は無いに等しく、成功したところで制約のない形で社会復帰が出来る訳でもありません。自由のない人間が決して手の届かない自由な世界を見せつけられるのは、牢に繋がれ続けられる以上に残酷ではないのか。そのような意見も作中で登場します。
椎名も当初は、田嶋については割り切った態度をとるよう、チームに徹底させていました。

実験が失敗しても死刑囚が一人死ぬだけだよ 
そう気持ちを割り切るんだ
(1巻 p31,32)

田嶋が感情を取り戻せたら、と言っていた椎名でもこうなのです。
当然、実験先となった高校でも、田嶋は好奇と非難の目に晒され、口を聞くものは一人もいません。これでは感情を取り戻すどころではありませんが、それを救ったのが、全盲の少女・ゆめでした。仕事の一環で園芸作業をしていた田嶋にたまたま接触を持った彼女は、自分が接している人間が誰かはわからず、屈託なく田嶋と会話をするのです。これが、田嶋と生徒が初めて交わした会話でした。以降、彼女を媒介に他の生徒や、ボランティアスタッフのあやの達とも話をするようになります。
性に合った土いじりに、他人とのふれあい、ゆめのためにと始めた点字ボランティア。時には敵意ある人間との接触もありましたが、それも含めて田嶋は、少しずつ感情を表すようになっていくのです。


直接の被害者や遺族ではない、登場するほとんどのキャラクターにとって、田嶋の「殺人犯」という立場は肩書きでしかありません。徐々に人間らしい感情を取り戻していった田嶋は多くの登場人物にとって、「殺人犯」や「実験体」である以上に、一人の人間と認められるようになりました。
ですが、そんな彼も実験が成功しなければ死刑囚に逆戻り。頭のチップが何らかの拍子に誤作動を起こしても即死亡。常に死が傍にあります。彼の事をよく知れば知るほど、彼の中身に踏み込めば踏み込むほど、皆その現実に苦しみます。自分が今付き合っている人間は、いつ何時死ぬことになるかわからない。そんなのは誰でもそうなのですが、人は四六時中そんなことを考えてはいません。いや、普通の人間が平常に生きるためには、考えてはいられないのです。でも、田嶋の場合はその事実をを忘れることができない。すぐ傍にある死を常に意識せざるを得ない。そもそも、第1話の段階で30歳だった田嶋が33歳で永眠することは、序盤で読み手に明らかにされています。田嶋の死は約束されているのです。
たとえば鬼頭莫宏先生の『ぼくらの』のように、逃れられない死、意識されざるを得ない死が物語に重みを与えることがしばしばありますが、死ぬことが明示されていれば、何でも感動できるというわけではありません。キャラクターの行動が、決定づけられた死と対照された時に新たな側面を浮かび上がらせるほどに強く関係づけられて初めて、そこに感動が生まれます。本作はその関係の意識のさせ方が絶妙なのです。
とにかく、一つ一つのエピソードがぐっとくる作品です。ゆめやあやのとの交流、自分が殺した男の遺族との接触、カウンセラーである椎名の心境の変化などなど、周りの人々の動きに田嶋が反応し、心のひだが増えていく様と、その背後に常にある死の影が、何とも読む者の心を動かすのです。
『SLUM DANK』と並ぶ二大号泣漫画である本作。全5巻とコンパクトにまとまっていますのでおすすめおすすめ。



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