ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

異能の少女との出会いが青年の未来を変える 『7人のシェイクスピア』の話

稀代の詩人、劇作家でありながら、その生涯が謎に満ちている英国最大の文学者、ウィリアム・シェイクスピア。彼には“失われた年月ザ・ロスト・イヤーズと呼ばれる空白時代がある。1564年、イングランドの片田舎に生まれ育った彼が、1585年に自分の子供である双子を教会で受洗してから、1592年にロンドンで芝居に関する文献で登場するまで、ぽっかり空いた7年間の空白時代。文人足りうる教育を受けていない片田舎の青年と、都会の豊富な知識を持った当代きっての大詩人。二人の彼を隔てているその時代、いったい何があったのか。話は、1587年のリヴァプールから始まる。付近を流れるマージー川のほとりには、中国人たちがチャイナタウンを作っていた……

7人のシェイクスピア 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

7人のシェイクスピア 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ということで、ハロルド作石先生『7人のシェイクスピア』のレビューです。余りにも巨大で余りにも謎多き大文人ウィリアム・シェイクスピア。その彼の生涯を、ザ・ロスト・イヤーズに何があったかを切り口に、ハロルド先生が描き出します。ヨーマン、ジェントリといった社会階級、海洋貿易国家として動き始めた政治経済、ヘンリー8世に端を発する新旧キリスト教徒の対立などの当時の英国の社会状況を史実とし、シェイクスピアの栄光の影にいる人間たちに虚実を交え、読み応えのある歴史物となっているのです。
1587年、後にウィリアム・シェイクスピアとしてロンドンで名声を得るはずの男は、リヴァプールでランス・カーターと名乗り、塩商人ギルドの優秀な徒弟として働いていた。当時の彼は、地区の教会で毎日曜日に親方衆によって演じられる芝居にの脚本作りに熱を上げていた。しかし、グラマースクールしか出ていない彼には、笑える芝居は書けても、歴史のバックボーンがある重厚な芝居を書くことはできず、それがコンプレックスになっていた。商売そっちのけで書いても壁を突破できないことに悩んでいたクーパー。そんな彼が、満月が涙を流した夜の翌日に出会ったのが、一人の少女・リーだった。
16世紀後半、中国からリヴァプール付近のチャイナタウンへと、家族と共に移り住んでいた少女リー。烏の濡れ羽のように美しい黒髪と黒瞳、そして未来を見通す力を持っていた彼女は、幼い頃はその能力を無邪気に発現させ、他人の死期を言い当てていたことから周囲に忌み嫌われ、二度とそんなことを言わぬよう実の父から喉に焼き鏝を押されるほどだった。しかし、英国に移住した後は、か細い声からなされる助言が事態をことごとく好転させ、街の長老からも一目置かれるようになり、いつしか密かに「黒い女神」と称されるようになっていた。
けれど、人とは違う能力が持て囃されるのは平和な時だけ。続く長雨によりチャイナタウンの生命線である貿易が壊滅的状況に陥ってしまったとき、ヒステリーに襲われた人々は生贄として彼女を求めた。「黒い女神」を供えてこそ神の怒りは鎮まる、と。今にも爆発しようとしている住民たちの不安を治めなければ、街はもっと酷い状況になってしまうことを理解していたリーは、粛々とその運命を甘受した。リーが棺に入れられ、今にも埋められようとしたその時、落雷が近くの大木を直撃する。パニックに陥る人々。氾濫する川。飲み込まれる街。何の導きなのか、縛られ棺に入れられたまま一人残されたリーはそのまま濁流に流され、翌日川岸に打ち上げられる。それを見つけたのがランスだった。
これぞ涙を流した月の女神の導きと、彼女を家に迎え入れるランス。友人で同業のワースは彼の戯れに眉を顰めるが、従僕のミルは熱心にリーの面倒を見てやった。三人の見知らぬ男達と暮らすことになったリーは、無為徒食で世話になりっぱなしになることを心苦しく思い、異常なまでのスピードで英語を憶えていった。時折見せる彼女の聡明さに驚いていたランスらだったが、ある時、死んだ池の魚のためにこぼしたリーの言葉を聞いた彼は、雷に打たれたような衝撃を受ける。彼女の言葉は、今まで聞いた何にも勝る、素晴らしい詩だった。
こうして目覚めたリーの詩にランスは魅入られ、笑いだけだった彼の芝居が、人の心を揺さぶる強さと深さを持った言葉を得ることなりました。片田舎の青年と都会の大文人を隔てるザ・ロスト・イヤーズ。その中核をなすのが、異国の少女だったと言うのです。
異能ゆえに人間の残酷な部分に触れ続けてきたリーと、野心に燃えるランス。時、あたかも新教徒が勢力を伸ばし、旧教徒が狩られている英国。揺れ動く社会の中で、シェイクスピアという一人の偉大な人物が、いかにしてここから生まれていくのでしょう。
また、シェイクスピア作の詩であるソネットは、作中で何度となくリーの口から歌われ、あるいはペン先から溢れているのですが、さすが後世に語り継がれているのが頷けるほどに魅惑的です。人間の醜い面も美しい面も、熱い面も冷たい面も渦巻く群像劇の中で、リーのソネットは超然と幻想的な言葉の世界を紡ぎだすのです。骨太な歴史物、愛憎入り混じる群像劇と、幻想的な詩の世界が共存する様には、引きずり込まれずにいられません。
リーの未来は。ランス、ワース、ミルの過去は。そして、シェイクスピアとは何者なのか。今後の展開に期待するしかないのです。


お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。