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『ドリフターズ』『アーサー・ピューティーは夜の魔女』読み手の「こちら」はどちら側なのかという話

ここ二回の記事で『アーサー・ピューティーは夜の魔女』『ドリフターズ』を紹介しましたが、この二作品に共通しているのは、人間と人間ならざる者が敵対している点です。

ドリフターズ 2 (ヤングキングコミックス)

ドリフターズ 2 (ヤングキングコミックス)

『アーサー〜』では、かつて人間を支配していて神や魔物が、知能と体力をつけた人間たちに狩りだされようとしている。
ドリフターズ』では、豊久らが飛ばされた世界で、人間が比較的人間に近い亜人種(エルフやドワーフなど)を支配、さらにその人間を黒王率いる廃棄物とより人間らしさの低い亜人種(ゴブリンやコボルトなど)が滅ぼそうとしている。
で、その時読み手は、いったいどちらに対して感情を移入するのか、ということです。読み手に属する「こちら」側は、いったいどのサイドなのかということ。
読んでる私たちはもちろん人間ですが、だからと言って人間側に移入するということにはならない。『アーサー〜』は、魔女である主人公は狩られる側で逃げる側。人間たちは暴徒で狩る側襲う側。まあアーサーにしても非常に強大な力を持ち、逃げるために人間をいとも容易く縊り殺したりはしていますが結局は多勢に無勢、基本は逃げの一手です。特に、暴徒として描かれている人間たちの姿が、私たちが同じ人間にもかかわらず彼らへの移入を拒絶する大きな要因でしょう。それも、感染によって知能が大幅にアップしたにもかかわらず、かつての支配者たちに抵抗するために無秩序な暴力を用いるという醜い姿からは、つい目を背けたくなります。
ドリフターズ』はもっと複雑で、漂流者たちは人間ですが、助けているのは亜人種で、(現時点で)敵対しているのは人間。けれど、その人間自体もまた別の亜人種と敵対していて、さらにその亜人種を率いているのは人間であるはずの廃棄物だし、廃棄物の長たる黒王曰く「人を救おうとした だが拒絶された ならば人ならざるものを救い 人を滅ぼすしかない」。現在漂流者がついているエルフと廃棄物が率いているゴブリンらに今のところ同属意識は見られていませんが、反人間という形で今後連携するのかもわからない。読み手が人間である漂流者に移入して読むことが即ち人間側に移入することにはならない、実にこんがらがった関係性を成しています。
読み手が「私」という形で自分を考えた時、いろいろな属性が考えられるでしょうが、その根っこには「人間」が必ずあります。にもかかわらず、漫画に限らず小説でも映画でも、非人間の主人公に自分を同一視して鑑賞することをなんら意識しせずに可能とする。人間よりもうちょっと限定を狭くして、同じ人間でも性別が違う、年齢が違う、国籍が違う、人種が違う、思想が違う、能力が違う、そんな諸々の垣根とは無関係に、主人公と自分を同一化して味わうことができる。日本人男性がブルース・リーの映画を見た時に、蹴り殺される悪徳日本人に感情移入することは、絶無とは言いませんが、素直に鑑賞していればまずないことと思います。
考えてみれば、これはなかなか奇妙なことです。日常生活の中で、ここまで深く誰かと自分を同一化することはそうお目にかれない。第三者との自己同一。簡単な言葉で言いかえれば、その人の立場に立ってみること。その人の視点で世界を眺め、その人の嗜好の流れ・感情をトレースすること。これが簡単にできるようであれば世界はもうちょっと平和になるのかそれもとももっと酷いことになってるのか、それはともかく、本当ならとてつもなく困難なことが、漫画や小説、映画などにはできる。もうちょっと正確に言えば、出来のいいそれらには、できる。
それができなければ出来のいい作品とは呼べないわけではないですし*1、それができたから即いい作品というわけでもないですが *2、それは措いといて、じゃあ作品のどのような性質が、受け手によるキャラクターの自己同一化を促すのかという話になります。
丁寧な心理描写なのか。他のキャラクターの対照なのか。ストーリーなのか。漫画や映画であれば視覚表現なのか。小説であれば文体なのか。
そのどれか一つということはなく、様々な要因の絡み合いなのが本当のところなのでしょうし、受け手の属性や思想などで移入の度合いにも濃淡はあるでしょうから、画一的なことは言えません。まあ難しい問題はたいがいそんなものですが、それでも、個別の作品、個別の受け手(つまりは自分ですが)についてはある程度まで要素を取り出せるかなと思います。取り出せたらいいな。


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*1:カミュの『異邦人』はその代表格でしょうか。主人公ムルソーへの感情移入を徹底的に排し、彼を異邦の人間として書ききった、不朽の名作となっています

*2:たとえば『アーサー〜』は、読み手が十全に移入しないよう意識して描かれています。アーサー側、即ち魔物や神などの旧支配者側が人間にとってよろしくない行為をしていたことを、アーサーが人間の倫理観・社会観も熟知している(その上で人間を支配してきた)描写を通して読み手に見せつけていることから、それが言えるでしょう。