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『うさぎドロップ』BGMで生まれる、苦しい風邪の中の不思議な多幸感の話

たまにはアニメの話を。
最終話を残すところとなった『うさぎドロップ』。

その前話となった第10話。風邪をひいたりんを大吉とコウキママが一緒に看病すると言う話。Youもう付き合っちゃいなよと思うほどにコウキママフラグがビンビンですが、それはともかく、この話で印象に残ったのは、りんの風邪が顕在化してから漂いだした、非常にゆっくりとした空気です。風邪をひいてぼうっとしているりんの意識に同調しているかのようなその空気は、りんは風邪をひいて苦しんでいて、大吉は苦しむりんを見て苦悩していて、という重苦しさと、親としての先輩であるコウキママが大吉を叱咤しながらりんの前では鷹揚に看病をするという母の力強さが同居して、不思議と多幸感のある世界を演出していました。
このゆっくりした空気は、一つにりんとの会話のテンポから生まれています。朦朧としているりんの言葉は、普段のこまっしゃくれた言葉遣いからは遠く、言葉を憶えたての子供のように訥々としていて、それに答える大吉やコウキママの台詞もまた噛んで含めるようにゆっくり。さらにそれに反応するりんも、耳に届いた言葉を頭で意味を理解するまでに間があって、一呼吸挟んでから返答する。いっそ牧歌的でさえある会話のキャッチボールは、風邪の重さを物語っています。
これだけ見れば、重苦しい雰囲気が立ちこめそうな会話進行ですが、そこに陽の空気を満たしているのがBGM。子守唄のような、ゆったりした優しい音楽がそんな会話劇の後ろで流れているために、りんや大吉の苦しげな姿にも関わらず、背後に揺るがない幸福があるように思えるのです。苦しむ子供を心から心配する親がいること自体が、一つの幸福かのように。
このようなBGMの使い方は2話でも印象に残りました。保育園のお迎えに遅れた大吉がりんをつれて帰る時、顔やモノローグは重苦しいのに、BGMは明るい。このギャップに不思議な昂揚を感じたことを憶えています。
音楽は意識せずとも耳に入ってきて、一定のリズムで打つビートはスピードを左右し(逆にビートのない音楽は朗々とした雰囲気を出し)、長調の音楽は雰囲気を明るくし、短調の音楽を逆に暗くする。場面が同じだろうと、使うBGMが異なればそこに流れる雰囲気はまるで別物になります。10話の件のシーンも短調の音楽に差し替えれば、とたんにりんが生死の瀬戸際に立たされるたように見えるでしょう。「大丈夫だから」と元気付ける大吉達の声も、空虚な慰めにしか聞こえないこと請け合いです。
BGMの重要性を再認識した回でしたことよ。
果たして最終話はどうなるのでしょうか。もうアニメオリジナルのコウキママエンドでいいんじゃないかな……


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