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『3月のライオン』零に生まれた頼る/頼られる関係性の話

6巻で、「ほんとに イザとなったら 頼っちゃうからね!?」とあかりに言われた零。

3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)

それに対して、「はい もちろん どんとこいです!!」と力強く即答しました。
振り返れば、3巻の時点で零は、誰かに、というか川本家に頼られたかったのにそれをされないということで悩んでいました。

「今日みたいにさ 一人ではどーにもならん事でもさ 誰かと一緒にがんばればクリアできる問題ってけっこうあるんだ
そうやって力をかりたら 次は相手が困ってる時 お前が力をかしてやればいい 世界ってそうやって回ってるんだ
あのな 大事な事だぞ? いいか?
一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ ―でないと実は 誰も お前にも 頼れないんだ」
その時 はっと あかりさんたちが浮かんだ
ぼくは 遠慮する事にばっかり気をつけて 実は
彼女たちに頼られた事って
一回だって
―――そうだ… 一回だって……
(3巻 p175〜177)

もともと零は引っ込み思案で人付き合いに自信がなく、家族を喪い幸田家に引き取られてからは、遠慮・気遣いという形で誰かと深く関わることを避けてきました。誰かに迷惑をかけたくない。誰の邪魔にもなりたくない。幸田家では率先して家事を手伝い、学校では息をひそめて級友たちの視線から逃れ、プロになってからは逃げるように幸田家を出た。自分がこれ以上いれば、幸田家に大きな迷惑をかけてしまうと思ったから。他人を傷つけることを恐れる、より正確には、自分の意図しないところで、自分のせいで誰かが傷ついてしまうことを恐れているのです。
だから零は、川本家と知り合ってからも、それを嬉しく思い、感謝しつつも、深く関わろうとしません。自分が好きなものだからこそ、傷つけてしまうことが怖いから、嫌われることが怖いから、「遠慮する事ばっかり気をつけて」いる。

「いつでもおいで」って言ってくれたけど ホントかな…
なんだか 「おいで」と言ってもらえた場所ができただけで…… 
そのコトバだけで
うれしくて おなかがいっぱいで もう 充分な気がした
(1巻 p73)

川本家からはいろいろと恩を受けているのに、自分の方からそれを返すことができず、零は悶々とする。その機会がない。理由もない。誰かと深く関わることに慣れていない零は、誰かのために何かをするという事さえ、上手くイメージできません。誰かを気遣って何かするためには、相手が何を望んでいるかを推し量る必要がありますから、それには相手のことをよく知る、つまり深く関わる必要があるのです。今までの人生でそれを怠ってきた零にとって、相手の内情を深く考えるのは、「遠慮」もあって、ひどく難しいことでした。
ようやくその機が訪れたのが、5巻から始まるひなのいじめ問題。今までよくしてもらった川本家である以上に、自分の「恩人」であるひな。彼女のために零は奮い立ち、積極的に行動を起こそうとしました。その過程で出くわしたのが、あかりのヘルプサインです。ひなの担任教師が見せた事なかれ主義に、強い怒りと同時に無力感を覚えたあかりは、今後の展開を想像して、身をすくませました。その時の彼女の震える手。それこそが「一人じゃどうにもならなくなった」事態の徴だと直感した零は、「ぼくもいますっっっ」とあかりを支えたのです。それが、「ほんとに イザとなにったら 頼っちゃうからね!?」につながった。
はて、上で引用した林田先生の言葉に従うなら、零はいつ川本家(あかり)に頼ったのでしょう。お世話になってる川本家に恩を返したいと思ってはいても、なかなかそれができず思いあぐねていた零。その零が、いつの間にか頼られる立場になっていた。なぜ?
実はこれは、頼る/頼られるの関係性が二者間のみで行われることではないからです。
いみじくも林田先生は言いました。「世界ってそうやって回ってるんだ」と。世界です。広いです。誰かが誰かに頼る。そしてまた誰かが誰かに頼る。この関係は二者間のみで起こる必要はなく、最初にAに頼られたBがAに頼り返すのではなく、別のCに頼ってもいい。そうやって世界の関係性は繋がっていきます。文化人類学で言うところの互酬性、返報性というやつですか。誰かに何かを(して)もらったという心理的負債(簡単に言えば引け目、負い目)は、その人当人ではなく、他の人間に別の形で返す方が軽くなるのです。あるいは、そういう形で負債を別の人間にパスをしていった方が社会は気持ちよく運営できる、という人類学的知見をある段階で人類は獲得した、という方が適切でしょうか。つまり、このような考え方がつながっていく社会は、ごくごく簡単に言えば、誰かが誰かに親切にしていくという、至極過ごしやすい社会なのですから。
川本家に返報しあぐねていた零も、実は他の場面では別の誰かから頼られています。
例えば義姉である香子。後藤との恋愛に思い悩んでいた香子は、零に泣き言をもらします。

あのチビ ひとのこと「まじょ」とか言いやがって
――ホントに魔女なら こんな情けない苦労してないわよ…
ねえ 零 
どうしよう 
わたし
こわい
(4巻 p67,68)

泣き言をもらせる相手は、ほぼイコールで頼れる相手です。泣き言は、その原因を解決してほしくて言うものではありません。自分の負っている困難を分かち合って欲しいから言うのです。どうでもいい人間と重荷を分かち合いたいとは思いません。頼っている、一つの支えとしているからこそ、泣き言をもらすのです。
例えば島田八段。彼の研究会に入った零は、獅子王戦のためにと島田から特別に練習に付き合うよう頼まれました。対宗谷戦を想定すると、零の棋風が役に立つ。そう判断しての頼み事です。

ぼくは いや ぼくたちはプロだ
どちらかだけが一方的に甘い汁をすする関係であってはならないのだ
――あの時 島田さんはぼくから「奪えるモノがある」と思ったから僕を誘い 
僕もまた 僅かかもしれないが「差し出せるモノ」があると思ったから 研究会に入れてほしいと口にした
だから
あの日 突き刺さるように思った 「僕はこの人に聞きたい事がある」
それを掴めるまでは
絶対に くい下がるしかないんだ
(4巻 p88,89)

零もまた、研究会に所属した時点で、誘ってくれた、そして入れてくれた島田に恩を返したいと思っていて、対局に付き合い、獅子王戦で京都まで付き合ったのもそのためでした。
例えば二海堂。彼は何度となく零と共に研究をしたり、また引っ越しプレゼントなんかもあげていました。零の方からも、ひなの件があってからは、ひなのためにお金を稼ぐという目的のもと、二海堂を誘ってVS(一対一の研究会)をしています。自分の目的のために、彼を頼ったのです。
新人戦準決勝でも、新人王のタイトルホルダー・山崎順慶との対局を前にして昂ぶる二海堂に、零はこう言いました。

「えーと あと それと ☗6九飛はどう思う!?」
「………二海堂 二海堂
お前なら大丈夫だ」
「…桐山」
「それより 明日 大阪へ前乗りだろ? もう寝ろ」
「おう」
「体調を崩さないようにする方が大事だ」
「おう
わかった
ありがとう」
(6巻 p87〜89)

多い口数は不安の裏返し。それを静かに鎮める零の言葉は、二海堂のことを芯から思いやっていなければでないものです。
もう零は、頼る/頼られるの関係を、将棋を軸に作り始めることができていた(その前に、科学部関連でもありますが)。だから、あかりへの頼り方がわからなくても、目の前にした彼女のヘルプサインに素早く反応して、彼女を頼らせることができた。「世界ってそうやって回ってる」のです。
そもそも零が、将棋を軸にしてでも誰かとそのような関係を築き始めることができたのは、川本家との出会いがきっかけだと言えるでしょう。他人とはとかく距離を置きたがる零が変わり始めたのは、「コタツみたい」に「中にいるととろけるようにあったかくて 心地良」い場所に出会えたから。誰かの懐の中のように暖かい場所は、そのまま他の人との近さを意味しています。だから零は、必然的に人付き合いが変わっていった。もう近くに誰もいない「すっごい寒い」日常だけではなくなったから。
自立を求めてプロになり、幸田家を出た零ですが、それは彼のなりたがった「大人」とはまるで違ったものでした。居場所を守るために高校へ入りなおした零(参照;『3月のライオン』零が欲しがった「逃げなかった記憶」の話)。結局のところ居場所とは、誰かと一緒にいられる場所ということです。頼る/頼られる関係とは、誰かと一緒にいれば必然的に生まれるもの。零は、少しずつ「居場所」を作り出せているのです。



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