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漫画の話です。

『鉄風』夏央の感じる劣等感と嫉妬と充実の話

「私は充実している人間を―許さない」の刺激的フレーズでおなじみの『鉄風』。そのフレーズを発した張本人である主人公・石堂夏央が何度となく口にする言葉。劣等感、嫉妬、そして充実。複雑そうでシンプルそうで、なにはともあれ根が深そうな彼女の心理を、その三つをキーワードに考えてみたい。

鉄風 1 (アフタヌーンKC)

鉄風 1 (アフタヌーンKC)

劣等感

女子高生・石堂夏央は、生来の運動能力の高さからたいていのことは少しやれば人並み以上にできて、それゆえに「努力」することの楽しさがわからない。

物心ついた時から何でも出来た
少ない情報でもスグにコツを掴み 感覚で体が勝手に動いてくれる―
自分にとってはそれが当たり前で 他の皆もの同じ様なものだと思っていた
だから 自分には簡単にできることが周りの人にはとても難しい事柄だというのが 初めは疑問で仕方がなかった
「どうして出来ないの?」と……
それが「才能」だという事を自覚した時には 「退屈」という二文字も私に付きまとう様になっていた―
でもそれは 本当は「退屈」じゃない 「寂しさ」だった
「努力」する人間には決してわからない 寂しさだ
(1巻 p8〜11)

「努力」する人間を目の当たりにしたとき、彼女が感じるもの。それは寂しさであり、劣等感だった。

「だったら尚更部活に顔ださなきゃ……」
「あそこじゃ駄目なの あそこにいると…… 劣等感 感じちゃって」
(1巻p175)

うまくいったら……駄目 辻褄が合わない
もっと見せて…… 練習の成果 積み上げた努力を私に見せつけて……
劣等感を 私に感じさせないで
(3巻 p34)

彼女に劣等感を覚えさせる者たちは、皆、彼女より「才能」がない。才能のないものが、なんとかしようと努力して、それでも才能ある夏央に敵わない。その姿に、夏央は劣等感を覚えている。
不思議と言えば不思議な話だ。持つものが持たざる者に覚える劣等感。普通は逆だろうに。
それは、彼女も言っている「寂しさ」と結びつけると考えやすいかもしれない。
彼女の感じる寂しさは、自分は「周りの人」(普通の人)とは違う、という孤独感に由来すると考えられる。冒頭に引用したとおり、夏央は自分の寂しさを「「努力」する人間には決してわからない」と思っている。才能のない人間が、ある人間より圧倒的に多い。だから、彼女はほとんどの人間は自分の心がわからないと思っている。自分は独りだと思っている。
才能を自覚するが故の孤独。マジョリティに対するマイノリティ。これが優越感になるか、劣等感になるかは、当人の感じ方次第。夏央が劣等感に傾いてしまったのは、彼女がその才能から楽しさ・面白さ・嬉しさなどのポジティブな感情を引き出すことができなかったからだ。
夏央は望む。

努力がしたいの
ちょっとずつ…… 地道に それこそ織物の糸を紡ぐ様に……
自分の能力を研ぎ澄ませていく 少しずつ少しずつ確実に
一つ一つの課題の意図をキチンと理解して 吸収していく
欲を言えば
そんな努力も虚しく…… 全力を出し切って結果に届かない
それで人目も気にせずわんわん大泣きするの……
素敵……
(1巻 p173,174)

これを望むということは、裏返せばこれは、夏央にとって今まで叶わぬものだったということだ。普通の人なら経験していておかしくないこと。むしろ普通であれば、最後の「全力を出し切って結果に届かない」ことを避けるために努力するのに、それこそを夏央は望むという。一種の倒錯とさえ言えそうなこの願望は、それだけ夏央の寂しさ、劣等感、孤独感が大きかったことを意味している。だから彼女は、自分より才能のない人間がたくさん努力してきたのに、ちょっと齧っただけの自分がやすやすとそれを凌駕してしまうという事実を見せつけられる、すなわち彼女の願望を(当人は叶えたくなんかないのに)叶えている人間ばかりのバレー部には、劣等感を感じてしまい、いられないのだ。
孤独感とほぼイコールの劣等感を、才能がないものから感じる夏央。では、それを持つものに対してはどうか。
夏央が「許さない」と敵意を燃やす相手。それが馬渡ゆず子だ。

嫉妬

マチュアグラップラー大会で優勝したゆず子を評して、女子格闘界の最高峰・紺谷可鈴は言う。

楽しそうだもんね あの子
「嬉しそう」じゃなくて 「楽しそう」
あの若さで あれだけの実力があって 挫折も苦悩も倦怠も驕りさえもなく…… 充実だけが満たしている感じ
(2巻 p157)

才能を持つもの。それは残酷な存在。

でも…… そういう努力を台無しにする才能もある
1%の才能を……99%の努力で補った人間が 100%の才能で1%の努力をした人間に 文字通り叩きのめされる
(3巻 p89)

夏央もゆず子も、そういう才能を持った人間として描かれている。その意味で二人は同類。けれど、決定的に違う。ゆず子は充実していて、夏央はしていない。そして、充実していない夏央は、しているゆず子に嫉妬をするのだ。

嫉妬よね……
あれだけの実力と才能があって…… しかも努力家で性格もいいなんて…… 更に私と同い歳なのよ……
年上なら年の功よねって許せるし…… 年下なら才能の違いだって認めてあげられるけれど……
あの子は私と同じ時間を生きて来た 時間を平等に与えられてあの場所にあの子は居る
それってまるで 私が怠けて時間を無駄にしてた気がして我慢ならないの
(4巻 p88,89)

時間は誰にでも平等に流れている。だから、自分より年上の才あるものには「年の功」と、年下の才あるものには「才能の違い」と思えるけれど、同い歳ではそうはないかない。平等な時間を持っているはずの同類。
なのに、自分と違う。私は充実できないのに、なんであいつだけ。

充実

ゆず子に対して産まれた嫉妬心。それの解消に向かうことで、夏央は充実を得ようとしている。

才能があるといっても……
いきなり何でも出来る訳じゃない
まずは刻む 体で感じる
新しい事を始めるのにこういう覚悟で臨むのは
何年振りだろう
(1巻 p141〜143)

楽しい……
0から吸収していくこの感じ……
しかも目標がハッキリしていて……
その底が全く見えない
地道に地道に一歩ずつ……
いつか充実しちゃったりして
思いっきり笑ったり泣いたりしたいなぁ……
(2巻 p192〜194)

嫉妬心を糧に動き出した夏央は、次第に自分も「努力」をすることができるのではないか、と考えだす。いや、実感しだす。

私が…… 精一杯努力したらさ……
間に合うよね!?
(3巻 p107)

なんでそんな事言うかなぁ
努力するよ私…… 一杯一杯努力するんだから
私が頑張ったら 凄いんだから!!
(3巻 p194)

「頑張ったら凄いんだから」。普通に考えれば、怠け者の言い訳だ。こういうことを言うやつが頑張る試しがない。
夏央も、頑張りたいのに頑張れないという思いをずっと抱えてきた人間だ。それだけ見れば、他の怠け者となんら変わりはない。でも、夏央はそういうのとは違うと思わせるもの。それは、彼女の才能に他ならない。やればできるどころか、やらなくてもできる人間。それが夏央だったし、そのこと自体に彼女は不満を持っていた。できるものなら、やりたい、頑張りたい。そういう世界に飛び込みたい。そんな夏央が、主体的に飛び込んだのが総合格闘技であり、目標としたのがゆず子との対戦だ。
いや、違う。正確に言えば、夏央が目標としたのは、ゆず子の「笑顔を潰」すことだ。
初試合で勝ち、うれし泣きしている同門の先輩を見て、夏央は思う。

「今まで努力した成果が出たよ―」
努力……
努力 努力 努力――――
私が求めているのは……
(4巻 p84)

自問する中、夏央が気づく、自分が求めていること。

G-girlに出たい訳じゃない
プロになりたい訳じゃない
充実したい―――
あの子の笑顔を潰したいだなんて―――
(4巻 p92,93)

充実=ゆず子の笑顔を潰す。必ずしも、努力ができることのみが充実であると、夏央は思っていなかった。
かといって、相反するわけでもなさそうだ。自分が目標に向かって全力で努力できること。嫉妬相手であるゆず子の笑顔を潰すこと(比喩的な意味でなく)。その両方が、充実へと繋がる。
でも、「欲を言えば そんな努力も虚しく…… 全力を出し切って結果に届かない それで人目も気にせずわんわん大泣きする」ことと、ゆず子の「笑顔を潰」すことは、両立できない。途中まで道を同じくすることはできても、ゴールは二手に分かれている。両方が夏央の本心だとすれば、過程の上での全力の努力が成就できればどちらでもいい、ということだろうか。
それはそれとして、どちらの道を歩むにしても、ゴールへ辿り着いた夏央を満たした充実の意味を考えてみよう。
前者の充実。それは、過程を経て、自分の孤独感・劣等感が埋められたということ。才能がある自分も、他の人間と同じように、努力が報われないという状況を味わうことができたということ。自分だって周りの人と同じだとわかったということ。
後者の充実。それは、嫉妬を感じた相手を叩き潰せたこと。あんただけが特別なんじゃない、あんただって、才能があっても充実はできないんだと思い知らせられたこと。ゆず子を自分と同じ次元に引きずりおろせたこと。
こうして見れば、どちらにせよ夏央の充実は、才能という点に関して孤立する自分を、他の人間と近づけることにあるのかもしれない。*1孤独の充填。孤立からの逃避。折に触れて影の見える夏央の兄は、彼女のこの指向性についてどうかかわっているのだろうか。

結び

とまあ、こんな感じで最新刊であるところの4巻までで、主人公・夏央の重要な行動原理である劣等感・嫉妬・充実について考えてみた。どうにも彼女の心の底には、才能を持つ者の孤独感が横たわっているようだ。自分が誰かの仲間になるか、誰かを自分の仲間にするか。方向性は逆だけれど、才能の水準を他の誰かと合わせたい、一人じゃなくなりたい、という点で同じ。その根っこが今後どう語られるのか、というのが物語の肝かと思う。具体的には、ひきこもりらしき兄との過去。
ま、続刊次第でこの仮説もまるで的外れなものとなる可能性も存分にあるので、素直に楽しみに待つのが吉。
しかし5巻は来春って……。これだから隔月誌は!





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*1:夏央の(唯一の)友人であるケイは、才能という点とは無関係に夏央と付き合っている。夏央の過去の交友関係はいまだ詳らかにされていないが、沢村早苗という幼馴染もいるわけだし、まったくのゼロではないだろう(ただ、早苗は空手の才能において夏央に圧倒的に水をあけられているため、孤独を埋めることはできなかったし、それどころか夏央を敵意の対象にすらしているが)。ケイのような関係性を持てた友人はいたのだろうか?