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『王様の仕立て屋』主人公不在でも回る、確立した作品世界とキャラクターの話

30巻の大台から更にもう一巻。『王様の仕立て屋』もここまで来ました。

ナポリの裏路地で個人サルトを構える日本人、織部悠が、よんどころない事情で服を求めるお客様にオーダーメイドのスーツを提供し、人生に一歩踏み出すお手伝いをする、というのが、1話完結の各話の基本的な流れです。服はあくまでお客様の引き立て役。だから、それを作る仕立て屋もお客様の引き立て役。一貫しているそのスタンスが作品に一本筋を通し、登場人物が増えても、主人公、織部悠の存在感を確固たるものとしています。
さてそんな本作ですが、前二巻で展開された時計シリーズで、ずいぶん各々のキャラクターが立ったなと感じました。
どういうことかと言えば、織部悠が服を作るシーンが、時計シリーズではほとんどなかったのですね。今までも、他のキャラクターがメインに服を作る話はあったのですが、一つのシリーズの中で悠がスーツを作るシーンを描かないというのは、初めてのはずです。このシリーズでは、彼はもっぱら依頼されたスーツを縫う役割、つまり自分でスーツをデザインすることはなく、せいぜい他のデザイナーへのアドバイザーに留まっています。これは裏を返せば、彼、すなわち主人公が前面に立たなくても、ストーリーがきちんと展開するほどに、他のキャラクターに存在感が与えられたということだと思うのです。
最初に書いたように、悠のスタンスは「仕立て屋はお客様の引き立て役」というもの。しかしこれは、あくまでナポリでフルオーダーの注文を受ける彼のスタンスであり、他の国や都市(=他の気風)の仕立て屋や、個人ではなくブランドとして服飾を展開している人間とは、ずれるところがあって然るべきものです。実際この時計シリーズでは、個人で独立時計師の卵である男性と、彼の作る時計に合わせたスーツを作るブランドが、ものの作り手です。悠のアドバイスに素直に耳を傾けはしますが、そのスタンスがまるで同一というわけでもありません。それにもかかわらず、ストーリーが滞りなく進み、悠がほとんど姿を見せずとも済むというのは、それだけ他のキャラクターの行動原理や作中での立ち位置、ものづくりに対するスタンスなどが明確になっているということではないでしょうか。
悠が、早仕立てが得意で注文に融通が利く(本人曰く、邪道な仕事、ですが)、というキャラ付けなのは、スーツを仕立てることで一話を展開するという都合上であると、作者の大河原先生自身が書いていて(15巻 カバー折り返し)、そのために1話完結の話(時間経過の幅がそれほど大きくない話)では彼が主役になりやすくなりますが、そうでなければ、他の人間が主役を担うこともできるのです。
悠が中心とならなくても済むことを象徴する一つのものが、時計シリーズ最終話で、時計師の卵であるハンネスから機械式時計を貰った悠が、それを身につけた上で自前のスーツに身を包んだシーンです。それ以前にも、彼が別の人間が作ったスーツを着たことはありますが(フランス編で、ラウラの作ったタキシードでパーティーに出席した)、別の人間が作ったものが主眼となるスーツ姿を披露したのはこれが初めてのはずです。今までは作る側だった人間、お客様の黒子ではあってもストーリーとしては中心だった人間が、誰かにものを作られる客体の人間として描かれたのです。
その姿を見て、登場人物の一人が「今度の出張でオリベ君自身も世界が拡がったようだな」と言いましたが、同時に作品世界そのものも幅が拡がったことの証しの姿でもあると思います。
そして最新刊では、フランス編終了後から彼の弟子となった、フランスの大ブランドの次男坊、セルジュが、悠をモデルにしたスーツのシルエットを作ろうとしました。照れつつも嬉しがった悠は、故人である自分の師匠の遺影にグラスを傾け言いました。「師匠 孫弟子ができましたぜ」と。
今まで悠には特別な人間関係が生まれることはなく、友人や長付き合いになる客、誰かに敬意を払う/払われるという関係性を持つことはありましたが、パートナーや恋人など、一定の距離以上に踏みこむ関係性はなかったのです。それまでの悠の特別な関係性といえば、亡くなった師匠の弟子というものしかなかったのですが、新たに自分が師となる関係性が生まれました。15巻で「サルトの長として下職に号令かけるには俺はまだ貫目が足りないんですよ」と言っていた悠も、弟子ができるという新たな関係性のステップに踏み込んだのです。


まあ、その段階に到るまで30巻と言うのは早いのか遅いのかなんとも言えませんが、キャラクターがしっかり立ったという事は、ストーリーの展開のさせ方にも幅ができたという事ですから、今後も色々なキャラクターを使った柔軟な展開ができることでしょう。スーパージャンプビジネスジャンプの統合で連載に影響が出ないことを祈るですよ。




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