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『ぼくらのよあけ』奥行きのある空間と、子ども達の知った広い世界の話

先ごろ1巻の発売された『ぼくらのよあけ』。ちょっと先の未来、小学生達が自分たちの住んでいる団地を通じて宇宙と、そして人と繋がっていくSFジュブナイル。子ども的な近視眼さと、それの裏返しになる「楽しいこと」へとひた走る熱情を通して、自分のほんの周りの小さな世界から、宇宙へ、そして新しい人間関係へと世界が広がっていく様が瑞々しく描かれている作品です。
そんな本作の主要な舞台にしてキーポイントとなっている団地とその屋上。それの描き方が、今井哲也先生の作画傾向とあいまって小学生達の世界が広がる様子を象徴しているように感じられるので、今日はそのへんを少々。

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

まずは、ちょろっと書いた「今井哲也先生の作画傾向」というものを説明しましょう。
それは初連載作品である『ハックス!』から表れていることで、以前書いた「ハックス!」に見る、漫画空間の立体感ある奥行きの話の記事でも触れているのですが、今井先生の描く絵には、キャラクターが存在している空間に強く実在感があるのですね。キャラクターだけでない背景の描き込みとか、視点が変わることでその背景が色々な方向から捉えられより立体的に感じられるとか、遠近法をふんだんに使った絵の奥へと延びていく背景が多いとか、理由は色々あるのですが、ともあれいくつか例を挙げておきましょう。

ハックス! 3巻 p47)

ハックス! 2巻 p49)

ハックス! 1巻 p196)

ハックス! 1巻 p174)
こんな具合ですが、それは本作でも随所で出てきます。

(ぼくらのよあけ 1巻 p54)

(ぼくらのよあけ 1巻 p61)
前者は背後へと延びる電線が奥行きを与え、後者は階段の上から普段と違う位置から見下ろされる視点が世界の新たな立体感を生み出しています。
そして、さらに本作で特徴的なのは、非常に開放的な、広々とした空間の描写です。

(ぼくらのよあけ 1巻 p67)

(ぼくらのよあけ 1巻 p105)
ただ奥行きがあるだけでなく、そこで展開されている世界がとても広い。まるで、彼らが小さな世界から自分の知らない大きな世界へ踏み込んだことを意味しているかのように。
それが殊に象徴的なのはこのコマ。

(ぼくらのよあけ 1巻 p63)
オートボットのナナコが、団地に擬態した宇宙船「二月の黎明」号に人工知能を一時的に乗っ取られふらふらとどこかへ行ってしまい、それを追って行った悠真が初めて団地の屋上へ上がったシーンです。物置代わりに使われていたためにごちゃごちゃしている階段を通り抜けると、突然悠真の目の前に広がる広大な世界。その広さに彼は目を奪われます。
世界はこんなにも広い。自分の普段暮らしているところからほんの数メートルも移動すれば、それを実感できる。
この屋上から悠真たちは宇宙へと繋がっていくのですが、屋上から見る世界の広さは、そのまま彼らが実感する、今まで知らなかった世界の広さなのです。手の届く範囲の自分の日常は、実は広い世界にすぐそこで繋がっている。それに気づけるかどうか。その意味で団地の屋上というのは、身近さと意外さを兼ね備えたメタファーです。普段は行くことが禁じられているし、そもそも行こうとさえ思っていなかったけれど、ちょっと脚を伸ばしてみればまるで別の世界が開ける。それが団地の屋上。
この身近なところから通じる広い世界は、悠真たちだけのものではありません。28年前、悠真の両親と河合花香の父親が「二月の黎明」号を宇宙へ返そうとした時も、彼らは広い世界を目にしていました。

(ぼくらのよあけ 1巻 p250)
子どもが広い世界を実感して驚く。それはある種の通過儀礼のようなものですが、本作ではそれが「団地の屋上へ登ること」として現れているのです。まだ本誌でもそこに到っていませんが、学校という小さな世界に鬱屈したものを抱えている河合花香も、団地の屋上から見える世界の広さに意識を奪われることでしょう。


子ども達が、日常から一歩脚を踏み出すだけで外には広い世界があることを知る、一夏の冒険譚。まさにジュブナイル
今の季節に最適の本作。さあ、まだ読んでいない君は本屋へ走れ!





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