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『昴』に見る、「天才」の人間関係の話 後編

後編です。前編はこちら

昴 (1) (ビッグコミックス)

昴 (1) (ビッグコミックス)

前編では、「天才」である主人公・すばるの《師》と呼べる人間をピックアップしました。彼/彼女は、すばるに対してバレエの技術と共に、「天才」としての資質を教えた、あるいは気づかせました。しかし《師》としての彼/彼女は皆、最終的にすばると心をすれ違わせたまま別れることとなったのです。
では、「天才」であるすばるを孤立から防ぐ《友達》や《仲間》は、登場したのでしょうか。


すばると同年代の人間としてまず登場するのは、すばるの同級生・呉羽真奈です。彼女こそが、すばるにバレエの存在を教えた人間でした。
たまたますばるが弟の前で踊る姿を見た真奈は、心臓を掴まれた思いがしました。普段自分が母親のバレエ教室で習っているものとはまるで違う動き、表情、なにより切迫感でネコを演じていたすばるの姿に、畏怖と、恐怖と、嫉妬を覚えたのです。その日の夜、生徒不足に悩む真奈の母親が、真奈にバレエに興味のある子はいないかとと問いかけると、真奈はすばるの姿を思い返しながらも、首を振りました。他の友人を体験教室を誘うもすばるには声をかけなかった点にも、彼女の嫉妬がありありと窺えます。
この時点での真奈の嫉妬は、小学生らしい、「母親をとられてしまう」というものでした。元々真奈が母親の元でバレエを始めたのも、バレエ教室の指導で家にいない母親とも自分がバレエをすれば一緒にいられる、と考えたからです。そのために、異常な気迫で踊るすばるを見たときに、もし彼女が自分のバレエ教室に来たら、母親がそちらにかかりきりになってしまうのではないかと恐れ、体験教室の件を伝えませんでした。後日、偶然バレエ教室に来ることになったすばるが見せた運動能力、それはバレエを始めて何年も経つ真奈より荒削りながらも高いもので、いっそう嫉妬と恐怖感を覚えたのです。
ですが、真奈が覚えた感情はそれだけではありません。後年、様々な形で「天才」すばると関係を持っていくことになる真奈は、既にこの時、彼女に魅せられていたのです。
両親がかまってくれない不満から、意図せず弟に暴言を吐いてしまったすばる。それを悔やむ彼女に、真奈はバレエのワンシーンで謝罪することを提案します。それは、自分の得意分野だから提案したというのもあるでしょう。嫉妬したすばるに上の立場から教えることができるという、暗い喜びもあったかもしれません。ですがそれだけではなく、きちんとバレエを踊るすばるを見たいという願望もあったに違いないのです。
「ねこのおどりや今日あったこととかは伝えられるけど、こんなきもち、どうやったら伝わるのか、わかんない。」と、弟への謝り方がわからず泣くすばるを前にした真奈は、「ジゼル」で主人公がヒロインに心から後悔をするシーンを演じることで謝ろう、それならきっとわかってくれる、と言うのです。もちろんまだ小学生の真奈、「ジゼル」もビデオで見ただけですので、正確な指導ができるわけではありません。いわば、紛い物の「ジゼル」です。それでもすばるは、心の底からの後悔と謝罪でもって「ジゼル」を踊り、めちゃくちゃな振り付けにもかかわらず、真奈の心を強く揺さぶったのです。弟に見せるために病室へと向かったすばるの背中を見ながら、真奈は零します。

あんなに教えたのに、もう振り付けもめちゃめちゃ。ぜんぜんダメ。
ぜんぜんダメだよ、あんなの。
ぜんぜん…
バレエ… あたし、なんで教えちゃったんだろう!!
(1巻 p135,136)

めちゃめちゃな振り付けでも、自分が心揺すられてしまった事実。すばるをバレエに踏み込ませてしまった後悔。「天才」に魅せられ、同時に自分にはないものを見せ付けられてしまった真奈の心情は、いかばかりだったでしょう。
幼少編が終わり、「白鳥の湖」編、ローザンヌ・コンクール編、「ボレロ」編でも真奈は登場しますが、彼女は常に、すばるに嫉妬しながら、彼女のダンスに魅せられていました。真奈も才能はあります。努力もしています。ローザンヌ・コンクールで決勝まで残ったのですから、その実力は確かなものでしょう。ですが、すばるとは決定的に違う。何かが違う。
しばらくは、真奈はすばるに対してライバルであるという意識を持っていましたが

あんたの“本気”を見たことがあるのは、あたしだけだもの。
あんたのライバルはこのあたしよ!!!
絶対負けない
(4巻 p117,118)

ローザンヌ決勝の舞台で、すっかりシャッポを脱ぐのです。

ダメだ… 観客は舞台の上でのこのコの演技は観ているけれど…
決して観客は見ることのない、もうひとつの演技が舞台そででは始まっていて、ここでも姿を見せた瞬間から…
どうしても・・・・・このコが主役になってしまう。
(5巻 p108)

おんなじ街に育って、おんなじスタジオでレッスンして。
あのコとあたしと、一体何が違うって言うの。
(5巻 p148)

すばるのライバルであると無理矢理自分に言い聞かせる真奈も、作中でダンスをするシーンが描かれていない以上、その役割はもう彼女の手から離れています(初めからなかったのかもしれませんが)。
半ば意地になって自分はライバルであろうとする真奈ですが、自分がまるですばるが活躍するための駒、「天才」のための露払いの一人なのだということも、自覚してしまっています。

いつも…… そうよ、このコの前にはいつも“道”が用意されていて…
事の経緯は知らないけれど、伝説のバレリーナ、日比野五十鈴が6年間もつきっきりで教えたっていうし。
ローザンヌ”に来たら、あのイワン・ゴーリキーがべったりだった!! フリー・ヴァリエーションは彼の振付だってうわさまである!
いつだって誰かがこのコのために!! それにのって今まで、フワフワ来ただけ。
何よりも、
みんながこのコを… このコには……
まわりに何かをさせちゃうヘンな力がある。それにず〜〜っとあたしは…
今度もまた!!
(10巻 p75〜79)

心のどこかでライバルであることを諦めた彼女は、かわりに《友達》としての立場を築いていきます。真奈自身が意図せずとも、すばるにとって真奈の存在は大きな支えになっていたのです。

真奈ちゃん。
ありがとう、そばにいてくれて。もう大丈夫!!
ありがとう。真奈ちゃんのやさしいとこ、あたし大好き。
(2巻 p210,211)

「どうしました? ここ数日で、いちばん穏やかな顔をしている。」
「え?
……友達・・が… 昔からの友達がはげましてくれたんです…
あたし、うれしかった…」
(4巻 p119,120)

二人の間には、バレエの実力ではもうどうしようもない差がついていました。こと純粋にバレエの面では、真奈はもうすばるに何も言う事は出来ません。ですが、本番前、ナーバスになっているすばるを支えたのは、いつも真奈でした。
真奈は、「天才」であるすばると同じ次元にはいません。でも、長年すばるを見てきた彼女には、すばるが何を考えているか、どう考えているかがピンときていました。すばると同じことは出来なくても、すばると同じ方向を見ることはできる。
例えて言うなら、すばるが夜の灯台の上から海の彼方を見ている時、真っ暗な地上にいる他の人間はすばるがどこを見ているかわかりませんが、真奈はわかっているのです。ただし、地面にいる彼女には、すばるが見ている方向はわかっても、遥か上から何を見ているかまではわかりませんが。
真奈が、自分がすばるの《友達》(兼ライバル)であるときちんと口にするのは続編の『moon』まで待たなくてはなりませんが、真奈は確かに、すばるの「孤独を防ぐ《友達》」だと言えるでしょう。


では、彼女の《仲間》は誰か。
それには、《仲間》と《友達》の違いを考えなければいけません。上の比喩に倣えば、《仲間》とは、同じ灯台から海の向こうを眺められる人間、とでも言えるでしょうか。この場合、同じ方向でなくもいい、すなわち分野やアプローチが違ってもいいのですが、とにかく同じ高度から他の人間には見えないものが見える、見えてしまう人間です。
それは誰か。
一人は、バレリーナの頂点をひた走る、プリシラ・ロバーツその人です。
彼女は自身の「天才」について自覚的でした。

がんばってね、なんとなく思っただけだけど… あなたなら、いつか突き抜けられる・・・・・・・かもしれない。
楽しいわよ。こちらの世界・・・・・・は――――
99.9%の人は見られないで死んでいく。
(8巻 p67,68)

自分は「突き抜け」た人間、「こちらの世界」の人間、0.1%の人間だというのです。
そんな人間達に共通するものを、プリシラはこう表現しています。

世界のセレブリティ… 各界の超一流の人物達とつき合うようになってから、私はたびたび感じてきた。本当にその道で突き抜けた人物であればあるほど…
それを“やりたい”というより、“やらなければならない”、彼らの横顔にふと、見えることがある。
やらされている・・・・・・・。本人の意思を超越した何かに…………
(8巻p95,96)

そして、それと同じものを感じたすばるを「やらされてる系・・・・・・・」だと言うのです。
奇矯な言動の目立つプリシラを、マスコミのみならず、長年傍にいるマネージャーや衣装係も上手く理解はしていませんでした。プリシラが毎日必ず行っている、バレエに必須の足のポジションの練習を皆は

プリンシパルの、そのまたトップでいるためにはいろんな努力が必要なんだろな…
…………とは言っても、アレが一体なんの役に立つのか我々にはさっぱりわからんがね。
(8巻 p127)

と呆れ半分で笑うのですが、練習するプリシラの姿を直に見たすばるは

このひと“大事”だからやってるんじゃない。あの表情、
ぜったいちがうよ!!
あたしにはぜったいこんなことできない。こんなことする必要がない気もするし…
でも、
生まれて初めて思った。あのとき、人が踊るのを見て、
“もっと続きを見せて”――
これだ。
これだったんだ。あたしが見たかった“続き”……
(8巻 p141〜144)

と、プリシラがやっている行為の意味を、言葉にできずとも直感的に理解するのです。
今まで誰にも感じたことのなかった、自分が知らない“続き”への熱望。自分が見えなかったものは、この人の視線を追えば見えるはず。すばるは生まれて初めてそう感じたのです。
運命のいたずらか、同日に同じ演目「ボレロ」を踊ることになったすばるとプリシラ。そのアプローチは正反対ながら、求めているものは同じ、「ダンスでも言葉でも伝えられるハズのない領域。ダンスを超えた表現」。プリシラはそれの「究極の観客」として“宇宙人”を想定していました。
“宇宙人歓迎式典”のために踊りたい。そうプリシラが言った相手は、実の娘や孫にも会わない偏屈なNASAの科学者、シドニー・エクレストンです。おそらくは彼もまた突き抜けた・・・・・人間。それゆえ笑うことなぞまずない彼も、《仲間》であるプリシラの前では大笑いするのです。
プリシラはすばるに自分の「後継者」であることを予感し、すばるはプリシラを自分の知らないものを見せてくれる先達として意識する。同じ次元、同じ高さでのシンパシー。それは、すばると真奈の間で通うものとは別物です。


さて、もう一人のすばるの《仲間》。それは、「ボレロ」編の後にまるでおまけのように連載されたイノセント・ワールド編に登場する、FBI捜査官、アレクサンダー・シンです。
あまりにも異色なこのイノセント・ワールド編。すばるのダンスはほとんど登場せず、アレックスとすばるの短い恋を描いています。
アレックスもまた、灯台の上にいる人間。ただし彼は元々数学者。

人の行動は数式じゃ表せないと思うだろ?
わかってないなァ。
たとえば関数の中の“x”… xを見ただけで人は解は無限にあって答は出ないと思ってしまうんだ。
対象のプロフィールを煮詰めて、一度本人とじっくり会話すれば、ぼくにはだいたい入力する“x”はわかるね。
(11巻 p197、198)

こういうことを言う人間です。実際彼は、初めて会ったすばるとカフェでしばしの会話を交わした後、いくばくかのお金を置いて立ち去りました。彼の態度に腹が立ったすばるは、一人で追加注文をして腹いっぱい料理を食べましたが、そのレシートを彼が置いていったお金を見比べて戦慄しました。42ドル60セント。小銭までぴたりと合っていたのです。
彼に興味を覚えたすばるですが、同時に彼もすばるに興味を覚えていました。

「一目で気づいたよ。彼らを仲間とも同志とも思ってない。
きみには想いのつまった土地ばしょもない。人を愛してもいない。誰と一緒に居ても、
なんか自分はチガウ、って違和感・・・だけ……」
「…それは、あなたもでしょ。
あたしだってさいしょから気づいてた。
だってあなたも・・・・
ここにいないもん・・・・・・・・。」
(11巻 166〜170)

彼がいう言葉の一つ一つに、すばるは自分が見透かされるような感覚を覚えます。彼女は昔から、今ここにいる自分に満足していませんでした。

ローザンヌで…… 賞を獲れば…
きっと誰も知らないところへ行ける。
ここじゃないどこかへ…………!!
(3巻 p74)

今までだってあたし、どこかで喜んで迎えられたことなんてなかったよ。
あたしはどこの国の人でもない。だから今までと一緒だよ。
(4巻 p55,56)

そんなすばるにとって、自分と共感できたアレックスに喜びを感じ、彼を求めますが、アレックスはそれを拒絶します。

“サヨナラ”だ。ぼくらはもう二度と会わない。
たぶん同じ方向… 同じものを見てる。ぼくも初めてだった。でも――――
速度がちがう。
ぼくときみは生きるスピードがちがう。
(11巻 232,233)

高さは一緒。見えるものも一緒。でも、速度が違うと、アレックスはいいます。速度とは即ち、生き方です。何をなすかです。静的な、観察可能な才能ではなく、動的な、その才能を使う生き方の問題。それが違うのです。プリシラとすばるは、その速度は似通っていました。二人とも「生み出す・・・・」人であり、その速度をゆるめる・・・・ことは、才能を狂わせることになるのです。アレックスは「天才」ではあっても、生み出す・・・・人間ではありませんでした(ならどのような人間なのかは明示されませんが)。
《仲間》であっても、生き方が違う二人。『昴』を通してこのエピソードが浮いて感じるのは、すばるの「天才」性がバレエを通して語られなかったからでしょうか。それまでのエピソードでは、バレエを踊るすばるがいかなる形でその「天才」性を発露してきたがごりごりと描かれているのに、このエピソードでは、共に歩くことのできない「天才」同士が、「違和感」や「生きるスピード」などの抽象的なレベルで語られるだけだったのですから。


結局恋に浸ることのできなかったすばるは、続編の『moon』で初めて、同じスピードで生きる「天才」、盲目のダンサー、ニコ・アスマーと出会い、恋人同士になりました。正直、『moon』には『昴』ほどの魅力を感じられず、それがなぜかというと、『昴』で培ってきたすばるの「孤高の天才」像が薄れているからかな、と思ってます。ニコというmy better halfを得たすばるは、ニコを支え、支えられ、甘え、拗ね、その上で素晴らしいパフォーマンスを発揮しています。当然、そのような天才像もありえます。曽田先生のもう一つの連載中の作品『capeta』はモータースポーツという一人では何もできない(パフォーマンスの維持に多くの人間を必要とする)世界であるため、登場する「天才」たちは、周囲の人間への恩義を忘れません。同じ高さにいる《仲間》ではないかもしれませんが、彼らに違和感を覚えることはなく、今ここにいる自分を疑うことはないのです。
初めから「one for allの天才」を描いている『capeta』とは違い、余分なものを削ぎ落とすように「孤高の天才」を描いてきた『昴』では、『moon』で突然他者との協同性を描いても、なんだかしっくりこないのです。芸術とスポーツという分野の違いがあり、パフォーマンスの質も違いますから、「天才」の描き方も変わるとは思いますが。あるのかな、「スポーツ的天才」と「芸術的天才」のような違いが。ま、それも今後の課題という事で。


それはさておき、『昴』の中では他に、《仲間》候補として春原多香子、恋人(《友達》)候補として多香子の友人であるコーヘイが出ましたが、哀れなくらいに立場を消していきました。特にコーヘイのフェードアウトっぷりは涙を禁じえないのですが、多香子は「白鳥の湖」編からローザンヌ編まで登場し、彼女の先生から「天才」と呼ばれるほどに才能のある人間なのですが、すばるへの当て馬以上にはなれませんでした。ローザンヌの決勝で、すばると共にコンクールのレベルを引き上げたと言われながらも、フリー・ヴァリエーションを踊り終わったすばるを見て

あのコには勝てない。今年のローザンヌは、いえ、今日は。
今日はあのコの日・・・・・だった。
(5巻 p148)

と言ってしまったのです。いわば、レベルの違う「天才」。灯台には登っているけれど、すばるらよりは何階か低いところにいる「天才」です。すばるを基準に見れば、真奈も多香子も自分より下にいる人間。「孤高の天才」すばるを徹底的に描く作品としては、真奈で「脇の凡人」役は埋まっています。それゆえ、多香子も舞台から姿を消しました。《友達》の座をキープできた真奈だけが、「天才」であるすばるの近くにいられたのです。


《友達》は「天才」と共感できるわけではありません。真奈は何度も狼狽するすばるを落ち着かせていますが、それは暴れだした彼女を抑えているのであって、彼女に欠けているものを埋められたわけではありません。
《仲間》は「天才」に安らぎを与えられません。同じ高さで生きるもの同士は切磋琢磨の関係にならざるを得ず、もっと上を向かせることはできても、張った肩肘を緩めてやることはできないのです。
ですが、《友達》も《仲間》も、「天才」の孤立を防ぐことに違いはありません。もちろん《友達》にして《仲間》もありうるでしょう。すばるにとってのニコです。
「天才」について回る孤高という印象。それを防ぐ人間とはどのような存在なのかと、『昴』を例にして考えてみました。『capeta』で考えてみてもまた面白いのでしょうが、いかんせん一度流し読みしたっきりなので……。きちんと手元に揃ったら、改めて考えてみたいと思います。


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