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上達に必要な理想のイメージ/バイアス、あるいは主観の客体化の話

今日サックスの練習をしているときに、先日発見した携帯のICレコーダー機能を使ってみました。自分が吹いている音を録って聴いてみるのですが、もうこれがびっくりするくらい残酷に自分の下手さを知らしめてくれて、ひどく落ち込んだのですが、同時に自分の音を客観的に聴くことの大事さを今更ながら強く実感したのですよ。
昔から、楽器を吹きながら自分の音、周りの音を聴かなければいけないと、自分自身に言い聞かせていましたし、後輩たちにもよく言っていました。実際、ある程度それは実行できていると思います。でも、録音したものをその場ですぐに聴いてわかるのは、演奏しながら聴く音にはバイアスがメチャクチャ強くかかっているってことです。演奏しながら聴いていた音と、録音して聴く音は、ビックリするほど違います。吹いているときに聴く音、というか聴いている自分自身は、生半には信用できないのです。
楽器を吹いてる時は、当然「こう吹きたい」というイメージがあります。それなしに漫然と吹いていても上達できません。ですがそのイメージは、確実に聴覚へバイアスをかけます。「こう吹きたい」は、容易に「こう吹けているといいなあ」、そして「こう吹けているに違いない」へと形を変えるのです。
譜面を吹いてる最中に聴いている音は、我ながら惚れ惚れしてしまいます。「おいおい、大分吹けてるんじゃねえの?」とほくそ笑んでしまうのですが、それを録音したものを聴いてみるとさあどうでしょう、泣きたくなるほどしょっぱい演奏です。音はのっぺり、ピッチは悪い、抑揚は平坦、音キレが悪い……。さっきの名演はどこへ行ってしまったのかと頭を抱えたくなります。
イメージは大切です。演奏しながら自分の音を聴くのも大切です。でも、同様に大事なのは、演奏しながら聴いてる音にどれだけバイアスがかかっているのか自覚することです。
はっきり言って、そのバイアスをゼロにすることは出来ません。バイアスがゼロであることは、吹いている音=聴いている音に思い入れがゼロということですから、イメージがゼロであることと同義です。それでは上達は望めません。ですから、大事なのはバイアスが存在することを自分の意識の中にきちんと折り込むことです。バイアスは存在する。そこから始めなくてはいけません。それを認めた次は、そのバイアスがどれだけ大きいものかの認識が必要です。つまり、自分の演奏を録音して、すぐに聴く。バイアスのかかった演奏と現実の演奏。そのギャップを、前者のイメージが消えない内に自分自身に突きつけるのです。そうすることで、ようやく他人が聴いている音に近いものを自分でも聴けるようになります。現実を知らずに理想の音を追うだけでは、上手くなれないのです。
さて、この「自分の理想=バイアス」が、まさにその行為を行っているときに強くかかるというのは、音楽に限らずたいていのもので言えそうです。特に、創造的な分野とでも言うのでしょうか、一つの問いに対して一つの答えが用意されている学校のテストのようなものとは違う分野で、強く言えるでしょう。
「頭の中ではなんでも名作」という言葉があります。これは、構想だけで実際形にしていない創作物、もしくは形にしようとしない人を皮肉って言う言葉ですが、まるっきり形になっていないものだけではなく、作っている最中のものにも通用すると思うのです。つまり、バイアスです。絵でも文章でも、描いてる(書いてる)時は自信満々に筆が乗っていることでしょう。あるいはにじりにじりと進めている時も、どういう風に仕上げてくれようというイメージはあるでしょう。そのようなイメージは、自分が現に作っているものの評価を歪めます。頭の中でできている名作のイメージは、絵のデッサンの狂いや細部の不自然さ、文章の論理の乱れや言葉遣いのおかしさから目を逸らさせるのです。
絵や文章は、音楽よりもそのバイアスが長時間残ります。おそらくそれは、音楽が強く時間に縛られる作品形態であることに関係するのですがまあそれはともかく、ために、絵や文章は作り上げた直後ではなく、少し間を置いてから見直したほうが、バイアスからは逃れやすくなるでしょう。
以前のCuvie先生の『NIGHTMARE MAKER』についての記事でも書きましたが、人は見ているもの・聞いているものをそのまま意識に上らせてているわけではありません。無意識の抑圧=バイアスを経て、知覚した情報はようやく意識に上ります。いいものを作りたいという気持ちは、自分が現に作ったものを「いいもの」として捉えられるように、情報をいいとこどりで処理していくのです。イメージが色褪せるのを待ってから作品を評価した方が、主観的評価は客観的評価に近づくと思うのですよ。
もう一度言いますが、人はバイアスから逃れられません。重要なのは、バイアスがどのようなものなのかを理解することです。主観の客体化とでも言いましょうかね。どこまで行っても主観からは離れられませんが、そこにあった主観をなるべくそのままの形で想定し、外から見ることで、主観1(過去の主観)を主観2(現在の主観)で観察することは、近似的にできるかとは思います。


以下では、特に音楽(演奏)での主観の客体化、つまりは録音練習の有用性を書いていきますので、興味のある方はどうぞ。


「演奏する」→「すぐ録音を聴く」の練習パターンは、驚くほど練習の効率が良くなります。まず、自分がどこができていないかが明白にわかります。吹いているときに自分で聴く音は、他の人が聴く音=バイアスなしで聴く音の5倍は抑揚がついているし、できていないところは1/5ほどに粗がごまかされています。それを即座に気づけるのだから、録音なしで練習するよりずっと修正が早いのです。
あとは、集中力も上がりますね、録音しているという意識は、他の人が聴くという意識に近いものです。誰かに聞かせるときは、良くも悪くも集中力が上がります(悪い意味で集中力が上がるというのは、肩に力が入りすぎるってとこですか)。また、「練習する」→「改善点が見つかる」→「直す」→「別の改善点が見つかる」というサイクルが短い周期で現れるので、変わり映えしない成果に漫然としながら練習するよりも、ずっと集中力が持続するのです。
ただし、この録音練習は、指自体が回っていないとさして意味はありません。自分で指が回っていないことを自覚していると、理想のイメージどころではないからです。指を回す=譜面を正確に演奏するには、まず機械的な練習が必要ですから、録音するのはその段階を抜けてからがいいでしょう。あるいは、自分では指が回ったと思っても、録音すればできていないところがあれば浮き彫りになりますから、再びそこに戻って練習することができます。とにかく録音超大事。



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