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漫画の話です。

「神戸在住」震災の中、一人一人が編み上げる「物語」と、それを編み上げた人間の話

東日本大震災より一ヶ月が経ちました。被災者の方に、心よりお見舞い申し上げます。


現在アフタヌーンで『からん』を連載している木村紺先生が、被災地応援漫画を寄稿しています。
講談社コミックプラス(pdf)
寄稿された漫画にも描かれている通り、木村先生は以前連載していた『神戸在住』の中で、阪神大震災について触れた話を描きました。『神戸在住』を既に何度も読んでいる私はもちろんそれを知っており、今回の震災が起きてからも、その存在を思い出しましたが、読み直すことはしませんでした。そこになんとなく以上の理由はなく、手が伸びないから読まなかっただけでしかありません。
ですが、今回寄稿された漫画に触発され、改めてそれを読み直すと、今まで読んだ時とはまた別種の情動が強く沸き起こりました。
神戸在住』3巻に収録されている震災の話は、サブキャラクターの一人である中国系二世の大学院生・林浩(リン・ハオ)の回想という形で描かれています。彼は、友人達と徹夜で飲み会をして家に帰った後、ジュースを買おうと一旦寮の外へ出たところで地震に遭いました。寮に戻り、歪んだドアのせいで部屋の中に閉じ込められた友人を助けてから、様子を見ようと外へ出ると、早朝の薄暗い中で見た光景に、彼は呆然としました。
「それは「驚く」という言葉をはるかに通り越していた」
言葉を失いながらも、見る影もなく荒れた道を行く彼は、たまたま立ち寄った区役所でボランティアに加わることになりました。そこで出会った、後にボランティアのリーダー格となる男性・瀬畑に、彼は本名の「リン」ではなく「ハヤシ」と名乗りました。「そうすれば、面倒な説明をしなくてもいいから」と、そう判断したのです。
以降彼は、近所の小学校に避難してきた被災者の生活の手伝いや物資の補給、荒れた近隣の整備などを、同じく集まったボランティアの有志達と行っていきます。彼は一ヶ月にわたってボランティア生活を続けていましたが、その間に様々なことがありました。ボランティア内で生まれた気の合う友人。幼い息子の死に号泣する母親の前での遺体運搬。自分が中国系二世だと明かした時にボランティア仲間が見せた態度で広がった苦い味。自ら確認した友人の遺体。一ヶ月ぶりにつかる銭湯の熱い湯船。帰国する、大学の友人である留学生との別れ。震災後の生活の中で、いいことも悪いこともありました。
この話は、林浩の「物語」です。彼が語った、彼についての、彼ひとりだけの「物語」です。
今回の東日本大震災の後で、ビートたけし氏はこう言いました。

今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
週刊ポスト2011年4月1日号 p121〜122「21世紀毒談特別編」)

今回の震災で受けた影響は、人によって違います。
家族を喪った人。財産を喪った人。地元を離れなければならなくなった人。計画停電に遭って仕事にならなかった人。卒業式ができなかった人。買占めに走った人。自粛を強いる人。日常を強いる人。募金した人。ボランティアに赴いた人。特に被害はなくともニュースに心傷める人。
そのどれもが、ひとつの、それぞれの物語です。東日本大震災という大きな事件はありましたが、そこから生まれた「物語」は、それに関わった人の数だけあるのです。
ここでいう「物語」は、創作物という意味ではありません。誰か(含む自分)に伝えるために、言葉などを与えられることでパッケージされた、一つの体系です。同じ事件に遭遇しても、そこから生まれる物語は人が違えば別物になるのです。
神戸在住』の話の中で、瓦礫で通行を妨げている道路を林らが片付けていると、子ども達が崩れた屋根に乗り瓦を投げて遊んでいる、というシーンがありました。林が友人の遺体を確認し、自分がこうなっていたかもしれないという恐怖に今更ながら身を竦ませていたその横を、学校帰りの小学生が歓声を上げながら通り過ぎる、というシーンもありました。ボランティアで身を粉にする人間の横に、その現場で遊ぶ子どもがいるし、自分の命が偶然の上に成り立っていることを実感している青年の横で、無邪気さを発露する子どもがいる。世界の中で様々な人間の生活が錯綜し、笑顔の横では涙が流れ、生命の隣で死が横たわっている。それらを全てひとまとまりにパッケージすることは出来ず、それぞれの人間がそれぞれの形で物語るしかありません。
どのくらいのスピードで進むかはわかりませんが、今回の東日本大震災の被災地も、復興していくことでしょう。かつての関東大震災が100年もせずその跡が見られないように、いつかはそれがあったことも信じられなくなるような地になることを心より祈り、微力ながら加勢もしたいと思います。ですが、ものは直っても、人の心には爪痕が残りました。その爪痕が、しばらく放っておけば消えてしまうような弱いものなのか、強く握り締めすぎて傷痕になってしまうものなのかは、それもまた人それぞれです。語られる「物語」は、優劣を競うものではありません。感動を強制するものでもありません。そうされることもあるのかもしれませんが、まず第一にはそれが語られること、形を与えられることだと思うのです。
神戸在住』の林の「物語」は、特に救いがあるものではありませんでした。そも、大震災という過酷な現実の前に、ハッピーエンドのあろうはずがないのです。いいことも悪いこともホッとしたことも胸を詰まらせることも、彼の前には押しよせてきました。そして彼は、一ヶ月のボランティア生活の後に、学生生活の日常へと帰っていきました。ですが彼の帰ったそこにも、以前と全く同じではなく、震災の爪痕が有形無形で存在していたはずです。
回想の形で語られた彼の話は、それはパッケージ化された、体系化されたものだという事を否が応でも意識させられるものです。被災者は、いつか自分の体験を「物語」にすることになるでしょう。誰に話すためでなくとも、自分自身が思い返すために、「物語」化するプロセスは必要なのです。
震災に影響を受けたあらゆる人が生む「物語」。「東日本大震災」という言葉の下には、それらが錯綜し、積層し、輻輳しているのだと、思い知らされずにはいられない、『神戸在住』の「物語」でした。「物語」があるということは、そこにはそれを語る人がいるという事なのです。人が、いるのです。
ニュースでは被災者の顔が映されますし、声も流されます。ですがそれらは断片的であり、一つの体系を為しているとは言いがたく、仮に為しているとしてもそれは個人の体系ではなく、ニュースの放映側が構築した体系で、個人のものとは別物となります。それぞれの「物語」を抱えた個人が、ひとりの人がいる。何万人の「被災者」ではなく、名前を持った個人が。様々な面においてこの事実を忘れることなく、今後の復興について考えていきたいと思います。
最後に、改めて、被災地の一日も早い復興をお祈りして、記事の結びとさせていただきます。




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