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森の仲間は日常を愉快に抉り取る 「森のテグー」の話

森のテグー 1 (ヤングチャンピオンコミックス)

森のテグー 1 (ヤングチャンピオンコミックス)

子猫のテグーは、お父さんとお母さんと、森の中で暮らしています。他にも親友のチポ、パンダのプアン、海の精霊のオロロ、人間のハラダさんにマッタさん、学校の先生や村長など、森の仲間と日々を楽しく過ごしているのです。子どもらしい純粋な目で。子どもらしいひねくれた目で。


ということで、施川ユウキ先生の『森のテグー』のレビューです。
基本的な路線は、既刊の『サナギさん』や『もずく、ウォーキング!』、『12月生まれの少年』と似ています。普段何気なく使っているものや見過ごしているもの、口にしている言葉、社会の常識なんかを、ほんわかしたキャラクターたちがザックザクと抉り出していきます。
さらにこの作品が特徴的なのは、キャラクターと世界が現実の人間社会から大きく隔たっていること。動物やら人間やら精霊やらが同じ土俵で同じ言語を使って何不自由なく生活しているのですから、まあ現実とは違います。それでどうなるかといえば、かなり突飛な設定を登場させることができるようになったのです。ダイナマイトで拡張する洞窟に作られた図書館とか、深い地底の底にある数人しか同時に入れない温泉とか、長さ数kmに及ぶ身体の上に旅行者を載せて運ぶ、両端に顔のある大蛇とか。『サナギさん』や『12月の少年』は現実の人間が登場人物ですし、『もずく、ウォーキング』も主人公がイヌでも作品世界はあくまで現実の社会がベース。突飛なキャラクターを作ることはできても、突飛な設定は入れづらいものでした。そういう意味で、かなり自由度の高い作品になっています。同じく突飛な設定をつぎ込みまくった『頑張れ酢めし疑獄!!』のような不条理性とはまた違いますが。
この作品の登場人物は、ざっくり子どもと大人に分けられます。テグーにチポ、プアン、オロロらの子ども組と、それ以外の大人組。どちらの組でも、語られていること(=ネタ)はたいして変わらないのに、ニュアンスがかなり違うように思えるのは、それはやはり、子どもと大人の差なのでしょう。常識をまだ体得していないとみなされる・・・・・子どもと、しているとみなされる・・・・・大人。その違いゆえに、ネタにほとんど差がなくとも、前者は物事の普段気にも留めていないところまで彼らは目を向けていると解釈され、後者は普段気にも留めていないところに改めて気づくと解釈される、というように差異化されているのではないかと思います。子どもは、まだ常識を体得していないために先入観が強固ではないので、物事から未知を発見する。大人は常識ゆえに先入観が強固であり、既知の物事の中から未知を再発見する。みたいな。
もちろんこれは錯覚、というか、大人サイドとして作品を読んでいる受け手(というか私)の偏見です。子どもには子どもなりの常識があり、大人には大人なりの非常識があります。それを一方的に子ども/大人の先入観の有無を当てはめてしまっているのです。
ただ、その偏見ゆえに、作品が二度美味しいことも慥か。複層的な視点を持った作品は、たぶん施川先生の中では初めてではないでしょうか。『もずく〜』は動物と人間の対比が魅力の一つでしたが、あくまで全編動物側で話は進みますし。
この度発売された2巻で完結しましたが、途中途中で挟まれる、家族と離れて一人暮らすチポのエピソードはドライなくせに人情味がありますし、最後3話からの最終話までの流れはとても素晴らしいものになっています。押し付けがましくないいい話。
施川ユウキのみすぼらしい部屋
こちらの施川先生本人のページで本作以外も試し読みができるので、未読の方はどうぞ読んでみてくださいな。




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