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「のだめカンタービレ」感受性の色々な形の話

この度最終巻が発売された『のだめカンタービレ』。

のだめカンタービレ(25) <完> (KC KISS)

のだめカンタービレ(25) <完> (KC KISS)

終盤のまとめ方で、千秋やのだめの周辺がうまく収束してないなという印象はもったのですが(ヴィエラやミルヒィや千秋父、オクレールあたりをもっと踏み込んでほしかった)、黒木君やフランク、ユンロン、ターニャ、それにRuiなどの脇のエピソードはよかったです。
で、そのRuiのエピソードで短いながらも印象的だったのが、18巻でのオクレール家での食事シーン。七重の膝を八重に折り、オクレールに個人的レッスンを申し込んだRuiですが、なんだかテキトーな感じのする彼の個人レッスンにどうも不満が溜まる。学校では彼がのだめに熱のこもったレッスンをしているのを見たものだから、なおのこと。もっと厳しいレッスンを彼女は望みますが、オクレールは「おなかすいた」と能天気に終了し、妻が作っておいてくれた料理を一緒に食べようと言う。9割方完成している料理を切って盛り付けるようRuiに指示するも、家事がまるでダメなRuiは肉を切ることすら満足にできず、盛り付けもただ器によそっただけ。そんな彼女に、オクレールは口を尖らせます。

「君…… 食べ物に興味ないの?」
「興味ないというか 面倒です やることいっぱいあるのにお腹がすくと腹立たしくて
でもちゃんと食べてますよ 健康管理は大事だし」
「ふーん…… 
もっとゆっくり食べなさい フランスは指揮者のことを“シェフ”とも言うでしょ 料理も音楽と同じ そしてうちの奥さんは一流のシェフなんですヨ ちゃんと味わって食べてください
この煮込み 一見素朴で単純そうな料理だけど この中にはうちの秘伝のブイヨンが入ってる 君はこのブイヨンになにが入っているかわかるかな? わからない者には作れない ベースは牛か鶏か魚か?
「ぎ……牛」
「ブッブー 全然ダメ― こんなの初歩なのに 君 なにしにフランスに来たの?」
(18巻 p68〜70)

わざわざピアノのレッスンを受けに来たRuiにとって、なぜ料理のことでとやかく言われなければならないのか。オクレールの指導能力そのものを疑ってしまいます。
それに繋がるのが、アメリカからやってきた母親とケンカしたRuiが着の身着のまま家を飛び出し、千秋を頼るシーン。財布も持ってなかったので、千秋にご飯をおごってもらうのですが、そこでの千秋。

「あ 美味い
「え?」
「このポレンタすげー美味い なんだ?コレ
ネズの実風味か……」
「千秋も料理好きなの?」
「え…… まあフツーに
食べるのも作るのも好きだし 人が喜ぶのも……」
(18巻 p105,6)

ここでのエピソードがもっとも直截的に語っているのは、そこから続くRuiのモノローグを考えても、千秋の最後の一言である「人が喜ぶ」、つまり、誰かが喜んでくれるから何かをする気になる、ということなのでしょうが、私は寧ろ、オクレールや千秋が料理に一喜一憂できる感性を持っているという点が妙に印象強く残ったのですね。
もちろん料理に限ることはないし、それどころかポジティブな感情に限ることもないんですけど、ちょっとしたことに気がついて心が浮き沈みするっていうのは、創作活動に携る者として、いい感じな描写だなあ、と。指揮者のことをシェフと言うからといって直接音楽と料理が関係あるわけではありませんが、本職とは関係ないところでも自分の感覚に訴えてくるものにきちんと耳を傾けられるからこそ、本職においても微細な感覚の揺らぎに反応できるのかなと思うのです。
実は、Ruiが「なにしにフランスに来たの?」と問われたのと同じ目に、のだめも遭っています。

「どうですか?」
「うん ぜんぜんダメー
ボクは好きな曲って言ったんで特技を見せろと言ったわけじゃない それに そういった難しい曲が弾ける子は 今は君じゃなくてもたくさんいるから
君はここになにしに来たの?」
(11巻 p187,8)

この時ののだめは、千秋がシュトレーゼマンの演奏旅行についてまわっていたせいで、食事を自分で用意しなければいけない状況でした。水で戻しただけのヒジキを食べたり、水で戻しただけの切干大根を食べようとしたり(未遂)、ろくなものを食べていません。そんな日々が続いての「君はここになにしに来たの?」です。
振り返ってみれば、のだめの食事情は千秋と知り合ってから猛烈に向上しています。味覚において新鮮な感覚に目覚めたのだめが、音楽においても新たな感性を尖らせ始めた、というのは言いすぎでしょうか。言いすぎだな。


上でも書いたように、料理やポジティブな感情に限定する必要はありません。料理にはぴんときてないRuiも、今まで世界中を回って体験してきた楽しさを思い出すことで、情感溢れるピアノを蘇らせることが出来ました。日本編のR☆Sオーケストラコンサートで黒木君は、失恋とコンクールの失敗を経ることで、もともとあったいぶし銀の渋さに艶を加えることが出来ました。自分の味わった感情を反芻することで、それは表現において確実に血肉になるのです。


とまあ、感受性というのは今現在自分が取り組んでいることだけに集中させればいいものではなくて、ふと気づいた日常の出来事、あるいは過去の良くも悪くもの思い出を想起することで、他のところにも影響を与えるんだろうなと思うのですよ。
とっぴんぱらりのぷう。




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