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「よつばと!」63話に見る、贅沢にコマを使った濃密な時間の話

年一冊の刊行ペースに歯軋りしながらもその安定した面白さに「まあしょうがねーな」と思わざるをえない『よつばと!』。テンション高い風香がうざかわいいとか、ひどいあさぎがかわいいとか、みうらのかーちゃん若くてきれいとか色々見所のある巻ですが、まず感じたのは、10巻で一番初めに収録されている63話「よつばとあそぶ!」での、そのむせ返らんばかりの時間の濃密さでした。

よつばと! 10 (電撃コミックス)

よつばと! 10 (電撃コミックス)

よつばと!」を読んで感じる時間の濃密さについては、特にコマ割におけるコマ送り技法に着目して以前にも書いています。
「よつばと!」に見るコマ送り技法のニュアンスの話 - ポンコツ山田.com
「よつばと!」コマ送り技法による読み手の時間操作の話 - ポンコツ山田.com
もちろん、63話でもコマ送りはふんだんに使われているのですが、この話で感じた濃密さはそれだけではないと思うのですね。
じゃあ何かと考えてみるに、それは端的に言えば、タイトルでも触れた、コマの贅沢な使い方だと思うのですな。
その贅沢さは、二つの面から考えられます。一つは、台詞的な意味での贅沢さ。63話の前半ではよつばととーちゃんがおままごとをしていますが、そこでは1つのコマあたりの台詞量が非常に少なくなっています。

(p9)
かなり極端ですが、まあこんな感じ。
今まで何度となく触れていることですが、台詞(音声)が書かれたコマの中では作中時間として、読み手の主観時間とは関係なく、その音声分だけの時間が最低限流れています。長い台詞ならその分だけ、短い台詞ならそれに応じた時間が存在しているのですが、その時間と読み手の主観時間は決してリンクしない。まあ人にもよるでしょうがたいていの場合、台詞が長ければ長いほど、それを読む時間と作中時間は離れていくと思います。台詞を目で追うだけの方が、その台詞を喋るよりよっぽど早いですから。
また、コマとコマは時間的な意味で隣接はしていても、間断なく続いているわけではありません。キャラクターの体勢が変わっていれば当然その分の時間が流れていますし、場面転換などがあればコマ1つ分の移動で数十分数時間数日飛ぶこともなんらおかしいことではありません。
で、このおままごとのシーンでは、1コマあたりの台詞が比較的少なく、コマ間の時間推移も短いと推定されます。なにしろおままごとですから、ロールプレイであるその演技をするときに実際それを行うくらいの時間はかけません。記号的にそれがなされればいいのですから、料理をつくるふり、洗い物をするふり、寝るふりと、それがそうであるとわかればいいのです。
つまり、このおままごとエピソードでは、描かれている紙幅に比して流れている作中時間が非常に短いのです。読み手の主観時間と作中時間の開きが少ないと言ってもいいですが。
おままごとという子どもらしいエピソードを、一つ一つの台詞や動作、行動の推移を贅沢にコマを使って丁寧に描き込むことで、とてもゆったりとした、濃密な時間を読み手に与えているのですね。


さてもう一つの贅沢さは、キャラクターのいない(少ない)コマの贅沢な挿入です。

(p17)

(p19)
こんな感じ。
場面転換や時間移動を示すために、キャラクターのいない、あるいはキャラクターを遠景からうつした風景のコマを挿入することは、『よつばと!』に限らずよく行われるものですが、このように複数のコマを挿入するのは、かなり贅沢なことだと言えるでしょう。なにしろ漫画は、限られた紙幅の中で話を描ききらなければいけないもの。キャラクターの登場しない、言い換えれば本筋を進める効果の薄いコマを何コマも描く余裕は本来ないはずなのです。ですが、それが『よつばと!』ではわりとよく見られる。
しかもそのコマは、対象をほぼ真上を見るように見上げるものだったり、あるいはかなり近い位置から接写しているものだったりと、大人のあまり見ない、つまりは子どもであるよつばに擬することのできるような視点で描かれているのです。実際、この歳になるとあまりしませんよ。真上を見上げたり、何かにドアップになるくらいまで近づいたりって。
つまり、この時読み手は、場面転換や時間推移のワンクッションとしての役割以外に、よつばの視点と同一化する形で作品世界を眺め、子どもの目に写る世界を構築していくのです。
本来的には意味があまりないと思われる、少ないなら少ないに越したことがないと思われる情景コマを、子どもの視点から見た世界の1コマとして頻繁に使うことで、作品世界を濃密にすることに一役買っているのではないでしょうか。


また、情景コマの多用ということでは、同じく10巻の68話「よつばとうそ!」でも印象的に使われています。
うそをついたよつばを反省させるためにとーちゃんがお寺まで連れて行こうとしているのですが、日も暮れかかる頃の道中、人気の少ない路上の風景を何カットも写実的に描いています。7ページに亘っての移動シーンでは、よつばとトーちゃんが写っていないコマは、そのカメラの角度から察すれば、ほぼよつばの視点だと考えていいでしょう。
キャラクターの少ないシーンは意味が薄いと書きましたが、場面が飛び飛びに移っていく寒々しい一連の風景は、キャラクターがいないだけに、そしてそれが写実的なだけに、よつばの不安な心理状況をよく表しています。


もともとコマ送り技法自体、コマ間の時間推移を短くする作用があるのですが、それを多用しながら、さらに台詞回しや情景コマを効果的に用いることで、コマに時間を詰め込みすぎない、贅沢な物語を生み出しているのではないでしょうか。
作中時間と読み手の主観時間の開きの少なさが、読み手に濃密な時間感覚を与える、というのが、果たして自分だけの感覚なのかどうかと少々不安なところではありますが、まあこんなことを思ったのですよ。




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