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『HUNTER×HUNTER』空気を読まないシーンによる空気を読まないゴンと団長の表現の話

以前、こんな拍手コメントをいただきました。

(前略)
ここから上とは関係ないのですが……
12巻でゴンが団長に「なぜ 自分達と関わりのない人間を殺せるの?」と
質問する場面が妙に印象に残っています。
自分達が捕まってしまった、あの危機的状況でする質問か? 空気読めよ!
と最初読んだとき思いました。
山田さんは、このシーンを読んでどう思いましたか? 興味があるので(いつでもよいので)ブログに書いて頂けたらと思います。 by NN

NMさんがおっしゃっているシーンはこんな。クラピカと協力して旅団を捕まえようとしたゴンとキルアですが、途中旅団を眼にしたクラピカが激昂して我を忘れてしまい、そのまま無為に突っかかっていって計画全てが破綻するよりはマシと、苦肉の策としてゴンとキルアが自ら旅団の前に飛び出した後の、ゴンと団長の会話です。

「1つ聞きたいことがあるんだけど
なぜ 自分達と関りのない人達を殺せるの?」
「ふ… 白旗を上げた割に 敵意満々といった顔だな
なぜだろうな 関係ないからじゃないか?
あらためて問われると答え難いものだな 動機の言語化か…… 余り好きじゃないしな
しかし案外… いや やはりと言うべきか 自分を探すカギはそこにあるか………
「………」
『なんだこいつ』
(12巻 p115,116)

HUNTER X HUNTER12 (ジャンプ・コミックス)

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はい。私も正直、このゴンの台詞は流れの中でかなり浮いてると思います。ついでに言えば、団長の台詞も。このおよそ1ページのやり取りは本筋に全くといっていいほど影響はなく、こういう台詞を発する二人(ゴンと団長。ついでに独白するキルアも)のキャラ立ての意味でしかないでしょう。
ふむ。
逆に考えればここは、二人はこういうキャラクター、緊迫したシーンであろうと平気でそれとは関係ない話をできるやつらである、ということを明瞭に示しているカットである、というように考えられるでしょうか。
このシーンに至る前にゴンは、ノブナガとの腕相撲を経て、旅団が「血も涙もない連中」ではないことは知っています。そのときのゴンの台詞はこんなです。

仲間のために泣けるんだね 血も涙もない連中だと思ってた
だったら なんでその気持ちをほんの少し… ほんの少しでいいからお前らが殺した人たちに
なんで分けてやれなかったんだ!!!
(10巻 p158)

それを知っていたから、捕まった時に団長の言った「鎖野郎とどこかでつながりがあるならまだ生かしておいた方がいい」という台詞も、ウヴォーギンの敵討ちのためであるとわかったのです。で、ゴンの脳裏には兆したわけです、「なぜ 自分達と関りのない人達を殺せるの?」という疑問が。
けれど、疑問に思おうとも、空気を読むのが社会性というもの。生殺与奪の権を完璧に相手に握られている状況ですから、どんな言動で相手の不興を買って殺されるのかわからないのです。この段階では、ゴンたちは鎖野郎の係累と目されているわけですから、わずかなりともの意趣返しとして殺されてもおかしくは、ない。
それでも思いついたからには言ってしまうのがゴンクオリティ。まさに以前の記事でも書いたような、空気の読めない子です。一方のキルアは、口に出したらまずいとわかってることは、きちんと胸中だけにとどめているというのに。


で、ゴンはそういう人間なわけですが、団長についてはどうか。
彼は彼で、ゴンの質問に答える形で会話を成立させながらも、明示的に会話を打ち切ることなしに自問自答に沈んでいく。かなり奇矯な振舞いではあります。しかし、奇矯ではあれ、そこには己の内心へと深く潜っていくような、哲学的な一面もある。団長についてまわる求道的なイメージはひとえにこのシーンだけのためであり、これがなければ彼に冷静冷徹な態度、高い知能を見出すことはできても、何かを追い求めるようなストイックさは感じられないと思うのです。
さて、彼の求道的・哲学的な奇矯さですが、これはしょせん表層。彼の奇矯さの根源にあるのは、死への親和です。

彼の心音はいたって平常 同様はみじんもないの
死への不安・恐怖 虚偽への不協和音 なにもないわ
おそらく「死なない」と思っているんじゃない…!この音は…死を受け入れている音…!!
死を毎日側にあるものとして… 享受してる音…
(13巻 p10,11)

心音から心理状態を量ることのできるセンリツに、こんな状況にもかかわらず平常だからこそ強い不快を催させる。それくらい、異質。
ウヴォーギンを殺した鎖を目の前にして、自分が次の瞬間それで殺されてもおかしくないのに、「昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏」を過ごせる。それほどまでに死に親和している彼にとっては、常住坐臥臨戦態勢であり、それゆえに常住坐臥余裕を保ち続けられるのでしょう。
旅団員たちの、旅団の存在に対する執着の異常なまでの強さは、以前触れましたが、そもそもは団長であるクロロ自身がそれを提唱したのです。

旅団クモでは……
オレが頭でお前達は手足 手足は頭の指令に対して忠実に動くのが大原則だ
……が
それは機能としての話で生死での話ではない
例えば頭が死んでも誰かが跡を継げばいい 場合によっては頭より足の方が大事な時もあるだろう
見極めを誤るな オレの命令は最優先 だが オレを最優先に生かすことはない
オレも旅団クモの一部 生かすべきは個人ではなく旅団クモ
(12巻 p159,160)

自分が死ぬことになろうとも旅団を生かせ。クロロの死への親和性は、なによりもその存続が優先される旅団ゆえと考えることができそうです。
いつ死んでも不思議はないと思っている人間にとって早すぎることなど何もなく、あらゆる瞬間がかけがえのないもの、常に寸暇が惜しまれます。だからこそ、「自分を掴むカギ」が目の前を過ぎれば、それを見過ごしてはならない。それが奇矯な振る舞いに見えようがかまうことなど何もない。
という具合のクロロ像なのだと思います。


わずか1ページ程度の短いシーンですが、ゴンの空気の読めなさとクロロの求道性が強く印象付けられます。全体の流れの中では浮いているとも不要とも思えますが、だからこそ流れなど無視して自分の思ったように振る舞える二人の奇矯さが際立つ、というようなメタ的なリンクがあるわけです。
このシーンが有用であるという立脚点からの解釈であるため、必然的に好意的なものになりますし、純粋に「いらねーだろ」と思う方もいると思います。それはそれとして、こんな解釈はいかがです?というお話でした。




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