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漫画の話です。

『ハックス!』「外」を知らない高校生と、知らなかろうと存在する「外」の話

スーパー『ハックス!』タイムはまだまだ続行中です。
今回は、高校というクローズドな社会の中の重層的・円環的な関係性と、それを取り囲んで存在する外部の話。

ハックス!(4) <完> (アフタヌーンKC)

ハックス!(4) <完> (アフタヌーンKC)

既に卒業した方々は思い返してみればピンと来るかと思いますが、高校というものは、入学するまではすごく大人びていて、そしてすごく自由なものだと思っていて、実際に中に入ってみるとそこまでではないながらもやっぱり中学とは違う空気があって楽しくて、卒業してしばらく後に振り返ってみれば自由とは言っても「学校」に囲まれた世界の中での自由に過ぎない、というのがわかるものです。
というか私はそう。在学中は基本的に部活に明け暮れ、たまにクラスの友達とどっかに遊びに行って、勉強はまあそれなりで、楽しみ呆けてた三年間でしたが、それは所詮「高校」という世界の中で「高校生」という看板を背負っていた状態で、籠の中の鳥というか籠に気づかない鳥というか籠に不自由を感じていなかった鳥というか、まあそんな高校生でしたよ。
ハックス!』の主人公みよしもそうです。入学しょっぱなの新入生歓迎会で観たアニメに、すっかり打ちのめされました。

も〜〜〜う すごいよ! すごいよ!
なんか…… なんでだろ 私 あれ観たときすごいなんかワクワクした
(1巻 p9)

友人達と弓道部の見学に行くはずが、みよしはアニ研部室へ駆けていくのです。


トーリーはアニメ制作をメインに進むのですが、いくらみよしの高校生活がアニメを中心に動いているとは言え、中心以外に何もないわけではありません。自分のクラスがあって、クラスの友人がいて、その友人が所属している部活や委員会があって、あるいはアニ研の人間が所属しているクラスがあって、そこにはクラスメートがいて……。学校の中には重層的に種種のクラスタが存在しているのです。
昔からのみよしの友人である美和と翔子は、みよしのクラスメートでありながら弓道部員。仲はいいけれど常には一緒にいない、というポジションから、近しいながらも客観的な視点を保っています。
高校からの友人であるハタノさんは、アニメに興味があり、アニ研に入りたいと思いながらも持ち前の臆病さのためにそれができません。楽しいと感じたことを楽しいままに取り組めるみよしと、ネガとポジのような関係で描かれているとは以前の記事で書きましたが、彼女はアニ研ではなく成り行きでかかわることになった生徒会で一皮剥けることと相成りました。
その生徒会が総務として動く文化祭での発表がアニ研の目標で、そもそも新歓アニメも生徒会(会長)がアニ研の部室から漁ってきたわけで、最初から浅からぬ縁がある。
生徒会に参加してる人も色々な部活をしていて、そこはそこで繋がりがまた生まれる。演劇部からはしのっち先輩や沼山先輩、勝間さん。演劇部の一人である神谷先輩は同時に漫研の「神会長」でもあり、そこで生徒会副会長の細井さんと繋がり、さらにアニ研部長の後藤にまで糸は繋がっていく。勝間さんはコズィーのクラスメートだし。
引っ込み思案で係累の少ないハタノさんにしたって、図書委員会の一人として真面目に業務をしているうちに司書さんと仲良くなり、そこから会長たちは話だけは聞いていて、勝間さんには勝手にライバル視されて、彼女の目に見えてはいなくても、繋がりはできていた。それが見えるようになるには「きっかけ」が必要なわけで。
とまあこんな具合で、クローズドな社会の中で複数の集団が重層的に存在し、そこで起こった1つの事件が、バタフライ効果ではありませんが、それぞれのクラスタに波及していくのです。
更に、この作品では、学校の中で誰がトップか、一番偉いかということを言えません。
もちろん教師は学校社会の中に組み込まれていますが、それは生徒に対する上位概念みたいなもので、基本的に同じ次元にはいません。みよしの担任と映研顧問、あとはおまけで司書さんが出るくらいで、まあ影が薄いわけではないんですが、明確に影響を及ぼすわけでもないのです。まあ法律みたいなもんで、基本的にはネガティブ(消極的)な権力なのです。
じゃあ生徒会長が一番偉いんじゃないかと思われる向きもあるでしょう。実際、作中の彼女はてきぱきと実務をこなし、人望も篤い。実に堂々と振る舞っています。けれど彼女は完全無欠の存在というわけではありません。

「ま…… うん トラブルもあったけど なんとかなりそうかな――……」
「ん? あ なんだ アニ研のこと? 気にしてんの
大丈夫大丈夫! みゆき・・・のせいじゃないし みんなちゃんとやってるよ」
「………… 
――だってさ! 悔しいじゃん せっかく私たちもできることはやってさ 文化祭せっかく盛り上がりるところだったのに 申し訳なくてさ」
「大丈夫だって 盛り上がるから 楽しみにしてよう」
(4巻 p228,229)

彼女がちらりと見せた弱気の虫を、友人であるしのっち先輩が敏感に察知し、きっちりフォローをいれるのです。
最後の最後のここに来て初めて彼女の名前が登場したのは示唆的で、今まで「会長」や「先輩」「会長先輩」でしかなかった彼女が、役職ではなく一人の「みゆき」になったのです。
彼女が「生徒会長」であろうと、学校という社会の中の同じ生徒、学生でしかない。いくらカンペキな人間に見えようとそれはある一面の話でしかない。学校なんか、生徒会なんか1つの社会/社会の1つでしか、ない。そんなことを語っているシーンだと思います。
トップダウンでもボトムアップでもなく、どこからか生まれた何かがぐるぐると社会の中を巡って、また自分のところに形を変えて還ってくる。一旦なくしたハミーハミーが改造されて最後の最後にみよしの元へ戻ってきたのも象徴的ですね。
また、空間的な円環性だけでなく時間的な意味での円環性・回帰性と言えるような描写が、いくつか見られます。まあ布石というか伏線というか、そんな感じのものです。
既に書いている「こうしておる場合ではない」から「こうしている場合ではない」への変化もそうですし、ハタノさんの表情もそう。

(3巻 p99)

(4巻 p187)
ハミーハミーの紛失から再会もそう。クキッと転んだ中寺先輩もそう。十数年前の新歓アニメの作者である文野秋とみよしが色々似ているのもそう。みな、時間を経てよく似た何かが再び起こっているのです。
こんな感じの、クローズドな社会での重層的な・円環的な・有機的な・厚みのある関係性が、『ハックス!』の面白さの1つだと言えるかな、と思います。


んで、その文野秋らOBOGやみよしの兄・和義、児島の従姉であるゆかなんかの、高校社会の外にいる人間が別原理の影響を与えているのも興味深いです。
アニ研がかつて「ハックス(HHACs)」と呼ばれていたことをみよしに教えたのは和義で、児島が文化祭に向けてアニメをちゃんと一本作ろうと燃えているのは、密かに思いを寄せているゆかに見せたいからで、そのゆかの招待で行った各大学アニ研による合同上映会に偶々いた和義の縁で、新歓アニメを作ったアニ研のOBOGに出会うことができた。そして最終盤、窮地に陥ってどうしたらいいかわからないみよしを救ったのは、出会ったOGからの電話、すなわちその電話口にいた新歓アニメの主制作者にして現役アニメーターの文野秋でした。
混乱に溺れるみよしは文野に窮地を切々と吐露しますが、それに対する文野の反応はみよしにとって意外なものでした。

「あ…… あ あの すみません ……いきなりこんな ヘンな話」
「ああ…… いや〜〜〜〜……
高校生だね―――……
いいな―――
楽しそう」
(4巻 p213)

文野にしてみればみよしの窮状は、既に自分が通った道でした。自分だってその時は苦しんだし悩んだに違いないのですが、喉元過ぎれば何とやらではありませんが、「1本完成させちゃえば全部いい思い出にな」るというのです。完成するかわからないと不安がるみよしにも、そんなの余裕と断言する。
この言葉は勿論、それが過去のこと、自分が経験済みのことだから言えるわけです。高校を卒業し、自分が悩み苦しみでも楽しんでいたそこが1つのクローズドな社会でしかないことに気づき、自分の所属集団を俯瞰的に見られるようになったから。
文野の言葉はみよしの目からウロコを流れさせましたが、この時みよしの頭の中は台風一過の空のように澄み渡っていたでしょう。学校の外、社会の外部からの風が、ごちゃごちゃした頭の中を吹き抜けていったのです。
実際、高校生活で外部の存在を意識することってあんまりないと思うんですよ。意識しようにも、自分から動いてもあんまり意味はなく、外部の方からコンタクトがあって初めて意識できるんじゃないでしょうか。みよしたちも、文野らとの出会いは元々の係累(みよしの和義、児島のゆか)から端を発する偶然ですし。
そう考えれば、『ハックス!』は高校生が「外部」を知る成長譚、というように読むこともできるかもしれません。できないかもしれません。




今日は作者である今井先生のサイン会が新宿であったのですが、行けない私はその様子を実況中継しているtwitterのTLを眺めながらこの記事書いてました。いけた人、いいなあ。
ちなみにその実況まとめはこちら。「ハックス!」の今井哲也、サイン会の様子実況中継




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