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「G戦場ヘヴンズドア」生き生きと動くキャラクターにある「濁り」とは何なのかという話

私が日本橋ヨヲコ先生のファンであるのは「日本橋ヨヲコ」タグをクリックしてもらえればその記事の多さで一目瞭然なのですが、その中でも好きな作品筆頭なのが「G戦場ヘヴンズドア」です。

G戦場ヘヴンズドア 3集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 3集 (IKKI COMICS)

現在連載中の「少女ファイト」も勿論好きですし、まだ完結していない作品ですから評価を確定することも無いのですが、それでも現段階で「G戦」が頭三つくらい抜き出ているのは確かです。
じゃあ、私はいったい「G戦」のどこがそんなに好きなのか、「G戦」が他の作品に比べて秀でているのはどこなのだろうか、ということをちょっと考えてみました。


日本橋先生の作品の作風といえば匂い立つばかりの青臭さ、若人達の愚直さだと思いますが、「G戦」に登場するキャラクターたちは愚直さの中にも逡巡がある、変な言葉を使えば、心中に「濁り」があるように私は感じるのです。
わざわざこの流れで特筆する点ですから、勿論悪い意味ではありません。キャラクターの「濁り」は、彼/彼女の心理に深みを与え、言動を際立たせ、作中の登場人物としての生命力を賦活しているのです。


さて、それでは「濁り」について詳しく説明しましょう。具体的なキャラクターとして、「G戦」の主人公であるところの堺田町蔵と長谷川鉄男に登場してもらいます。
町蔵は売れっ子漫画家・坂井大蔵を父に持つ、小説家志望の男子高校生。父に対する敵意と反感とライバル視(これらは愛情を求める心の裏返しでもあるのですが)は第1話からはっきりと描かれ、当初の彼、即ち「戦友」となる鉄男と出会う前の彼は極めて攻撃的な人間でした。

(1巻 p6)

(1巻 p9)
ですが、町蔵の書いた小説を読んだ鉄男が差し出した手、そして彼の描いた「鳥肌立って目ぇそむけたくなる」漫画に心揺さぶられた町蔵は、鉄男と共に漫画を創る道を歩み始め、そこにのめりこめばのめりこむほど、町蔵の粗暴さは鳴りを潜め、代わりに優しさ、他人への思いやりが姿を見せだしたのです。
では、一方の鉄男はどんな人間か。
小学生の時に両親が離婚し、漫画編集をしていた父親・阿久田鉄人が家から出て行き、残った母親も身体を壊して、幼馴染の菅原家が経営している病院に入院中。現在は母方の祖父と二人きりで暮らす鉄男は、かつては漫画を描くのが趣味の少年でしたが、ある時を境にぷつりとそれを辞めてしまいました。しかし、雑誌の漫画賞の賞金額を見た鉄男は、家計と母親の入院費用のために封印していたペンを再びとることにしました。
あるきっかけで鉄男は町蔵の書いた小説を読むのですが、それは鉄男の漫画が彼の心を揺さぶったのと同様、鉄男の心に強く響き、町蔵の原作で漫画を描きたいと思ったのです。

(1巻 p29)
鉄男は、幼い頃から口数は少ないながらも、持ち前の優しさ、気配り、それに手先の器用さで周囲の人気者でしたが、その裏側にはバラバラになってしまった家族をもう一度元通りにしたいという身を切るような切望がありました。漫画を家族復活の道具としながらも、逆にそれが家族の解体を推し進めた一因になったという過去があり、そのせいで一度鉄男は漫画を描くことを辞めてしまったのです。
お金のためとは言え再び漫画に手を染めた鉄男は、町蔵との合作により漫画賞受賞、尊敬する漫画家・坂井大蔵との出会い(この時点では、彼が町蔵の父だとは知りませんでした)、ソロでプロデビュー、初連載作品が人気爆発と、驚くほど順調に漫画家としてステップアップしていきます。一見すれば何の問題もないどころか順風満帆この上ないようですが、彼の心中には黒々と渦巻く様々な感情が生起していました。
受賞者全員に課せられた、一ヶ月以内に単行本一冊分のネーム作り。町蔵とも別々に描くよう言われた鉄男はある日、母親が入院する病院からの帰り道に、町蔵から坂井大蔵のデビュー作と、彼が大蔵の息子であることを教えられ、同時に恨み言めいた皮肉を投げつけられました。

(2巻 p91)
この時鉄男が町蔵に抱いた感情は、嫉妬と軽侮、そしてある種の憎悪であったでしょう。

(2巻 p91)

(2巻 p100)
後に明かされることですが、尊敬する漫画家である坂井大蔵が息子に届いてほしいと願って描いた漫画、即ち町蔵のために描いた漫画が当の彼にまるで理解されていなかった、父親の気持ちが皆目届いていなかったという事実は、鉄男の心をひどく荒ませたのです。
そして、母親の病状が重くなり、鉄男は病床の彼女に「漫画家になりたい」と告げますが、その未来が決して鉄男を幸せにしないとわかっていた彼女は、聞こえない振りをしました。

(2巻 p123)
彼女の意を汲み、また、恩を受けっぱなしの幼馴染である菅原家への恩返しのために、ネーム作りの最中にも拘らず鉄男は突然夢を翻し、学校の三者面談で「医大に行く」と宣言しました。そこにあるのは、自分を殺してでも家族を、人との繋がりを大事にしたいという鉄男の悲痛な決意です。
しかし、ついに母親は亡くなり、鉄男が必死で作り直そうとしていたものは、もう二度と手に入らなくなってしまいました。悲嘆に暮れる鉄男に、祖父は言います。

鉄男 立ちなさい。辛くてもちゃんと見るんじゃ。
悲しいがワシはこれでよかったとも思うとる。お前ら二人とも苦しんどった。もう、がんばらんでええんじゃ。周りの期待に応えんでええんじゃ。
ええか鉄男。この先枝美子の望む通りに生きても、お前が望んだ昔の家庭はもう帰って来ん。いい子でいても、どうにもならんのじゃ。
もう我慢するな。思うように生きろ。


(2巻 p188,189)

この言葉を鉄男は、ひどく昏い目をして聞いていました。
母親の喪も明けきらぬうち、漫画を描くことに没頭しだしました。その怨念渦巻くような姿に幼馴染の菅原久美子は彼を止めようとしますが、鉄男は凄惨な表情で言うのです。

久美子。
オレは、
オレはね、
腹が立って腹が立って仕方がないんだ。


(2巻 p198、199)

青黒い炎が燃え上がっているような情念で描いた鉄男のネームは見事連載枠を勝ち取るのですが、彼の目的は漫画家として活躍することではなく、母親の通夜の最中でも自分を、家族を気遣うことなく漫画のことしか気にかけなかった父親への復讐でした。父親が編集長をする雑誌で人気作家となり、人気絶頂の瞬間に行方をくらまして父親に迷惑をかけてやろうという、漫画を使った復讐だったのです。
しかし、その復讐もあえなく失敗します。坂井大蔵の新連載開始、一時は坂井をしのぐほどの人気を見せた漫画家・石波修高の復帰、堺田町蔵のデビューがあれば、鉄男の作品がなくなるぐらいでは雑誌の屋台骨は揺らぎもしない、と阿久田は言い放ったのです。
復讐すら叶わず、久美子にも自分の下を去られた鉄男は絶望し、ついには自殺を図りました。
一見華やかにも見えた鉄男の歩みの内側には、このような心理のアップダウンがあったのです。


さて、ここで町蔵に目を向けなおしましょう。
鉄男と組んで漫画を作り始めた彼ですが、審査委員長である父・大蔵と面と向かうことになる授賞式に、父に自分を見てもらうという期待と、自分のやったことを父親に見られてしまうという不安をない交ぜにして臨みますが、渋滞のために式に遅刻し、丁度二人が表彰されるタイミングで到着した大蔵が最初にしたのは、町蔵を見て驚くことでも、息子に賞賛を投げかけることでもなく、鉄男を抱擁することでした。実は、数年前に漫画家を辞めようとした大蔵を思い留まらせたのが、当時の鉄男が描いた漫画で、そんな鉄男に漫画を届かせたいというのが、大蔵のモチベーションでもあったのですが、その相手が漫画の賞を受賞できるほどになってくれたというのが嬉しく、思わず大蔵は鉄男を抱きしめてしまったのです。
それを見た町蔵は打ちのめされました。嫉妬に燃える憎々しげな目で、鉄男を睨みつけるのです。
別々に漫画を作ることになった町蔵ですが、まともに漫画を描いた経験がないため、同じ受賞者である猪熊がアシスタントをしている漫画家・町田都の元で修行をすることになりました。
町蔵が鉄男の才能に惚れこんだのは確かですが、それとは別次元の話で、自分が欲しかったものを全て持っていった(と思っている)鉄男に対して、強い嫉妬にも駆られています。
以下は、町蔵と猪熊の会話です。

堺田ちゃん 私はね、守りたいプロの人が沢山いるの。生かすべくは、自分より面白いことを企んでくれる人間。震えさせてくれるならさ、敵とか味方とか関係ないと思わない?」
「…三ヶ月前、同じことを思った時がありました。でもオレはガキだから、鉄男が羨ましくなったんです」
「…………あの相方の子ね?」
「イノさん オレ、もうこれしかないんです。あいつに、マンガで勝つしか、オレにはもう…」


(2巻 p115,116)

鉄男への尊敬と憧憬と、羨望と嫉妬と、そして自分の未熟さと。町蔵の心の中には自分でもどうしていいかわからない感情が渦巻いていました。
そして、鉄男の三者面談中に乗り込んだ町蔵は、「医大に行く」と宣言した鉄男に激昂し殴りかかりました。

ふざけんなよお前。ここまでオレの家族巻き込んどいてそれかよ。
お前ここでオレに手ェ差し出したじゃねえか。オレのこと受け入れたじゃねえか。
オレもう、戻れねえんだよ。
鉄男ぉ。


(2巻 p127,128)

後日、鉄男の母の葬式に駆けつけた町蔵は、「戦友」であった鉄男に別れの言葉を告げられました。
「さよなら堺田君」
鉄男に決別された町蔵は自分を見つめなおし、後日一緒に動物園に行った久美子に言います。

じゃあまず、菅原久美子になれ。
昔、親父が言ってた。人はどんなに交わっても、本当はみんなひとりぼっちなんだってよ。
だからお前は、長谷川鉄男の彼女でもなく、誰かのものじゃない、お前になれ。
オレもちゃんと、堺田町蔵になる。


(3巻 p20,21)

渦巻いていた町蔵の感情は、鉄男のことを考え、自分のことを考え、一つの形を成したのです。


鉄男の自殺現場に駆けつけた町蔵と久美子。辛くも命を取り留めた鉄男でしたが、手の神経が傷つき、元のようにペンを握れるかわかりません。無気力と絶望の淵にいた鉄男は、連載をこのまま中断するか数回で決着をつけるか、阿久田に詰め寄られ、「辞める」と口にしようとした寸前、町蔵がいつかの鉄男のように手を差し出しました。
「オレが続きを作ります。オレが鉄男の手になります」
人との繋がりを必死に求め、誰にも彼にも手を差し出していた鉄男は、ついに誰かから手を差し出されたのです。鉄男は一人ではなくなったのです。からっぽでは、なくなったのです。


掻い摘みながらもなるべく詳しく二人の足跡を追ってきましたが、どうでしょう。「濁り」の意味が少しは理解いただけたでしょうか。
鉄男も町蔵も、決して特別な人間ではありません。普通の心ある人間です。そして、その心の中身は綺麗なものばかりではありません。彼らはもちろん喜んだり楽しんだりもしますが、迷い、惑い、妬み、嫉み、憎み、悲しみ、怒り、種々のネガティブな情念が渦巻くのです。
この、心の底が見通せない雑多さ、真っ直ぐに歩き続けることのできない心のブレ、心の中に沈殿しては再び舞う澱。そのようなものを指して、私は「濁り」と呼んでいるのです。
ただ挫折をするとか、過去に嫌な思い出があるとか、それだけの話ではありません。現在進行形の物語の渦中で、如何に心乱され、邪まな情念に焦がされ、粗雑な妄念に悩まされ、その上でどんな道を選ぼうとするのか。真善美で全てが上手くいくわけはないし、常に真っ直ぐで一切悩まない方が人間らしさがありません。克己の精神とは、惑わないことではなく、惑った上でそれを飲み込めることだと思うのです。
鉄男と町蔵だけでなく、「G戦」の主要登場人物には、みな「濁り」が見えます。阿久田は漫画のために、そして鉄男のために、苦汁を舐めようとも鉄のような精神で己を律し、大蔵も同様に、漫画と家族を秤にかけ、苦しみに身を焼かれながらも漫画を描き続けました。
そして久美子。彼女もまた、家族の絆に苦しんでいた一人で、鉄男を守ろうとしていたのは守ってもらいたかった裏返しで、おままごとのようなそれが終わるのが怖かったから、鉄男を一番わかっているふりをして一番見ようとしなかった。物語冒頭のバイオレンスな性格は独占欲の発露で、鉄男が漫画にのめりこむにつれてそれが消えていったのは、自分が鉄男を独占することがもうできないのだとわかってきたから。
彼女も、何か/誰かを妬み、嫉み、憎み、怒っていたのですが、鉄男との精神的な癒着の乖離(それは町蔵の出会いに端を発するのですが)を経て、自分なりの形を作っていったのです。


「白川の 清きに魚の 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」とは江戸時代の狂歌ですが、「濁り」がないところには生命も住まないのです。生き生きとしたキャラクター、作り手から独立した存在であるようなキャラクターには、「濁り」があるものだと私は思います。






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