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「惡の華」のむず痒さから考える、創作物とこじらせた思春期の距離の話

惡の華(1) (少年マガジンKC)

惡の華(1) (少年マガジンKC)

こじらせた思春期を真っ向から抉り取るように描く、押見先生の「惡の華」。主人公の春日くんや仲村さんは、思春期をこじらせている者らしく、かなり香ばしい台詞を発します。

いや… おもしろいっていうか… オレは… 本によって世界が変わったっていうか…… 普通の人にはわかんないだろうけど……


(1巻 p39)

春日くん 自信持って 私と契約できたのは春日くんだけなんだよ


(1巻 p106)

ただの中学二年生が口にするには、あまりにも香ばしい台詞。いやまあ、どこの誰が呟いても香ばしいには違いないんですから、逆に言えば、思春期をこじらせた少年少女しか早々口にはできないものなのかもしれません。
さて、私がこの台詞を香ばしいと感じるのは、この作品の世界が何の変哲もない中学校で、春日くんも仲村さんも、思春期をこじらせてはいるものの、どうってことない普通の中学生だからです。この作品世界では魔法が使えるわけでもなく、巨大ロボが活躍するわけでもなく、春日くんの家に美少女悪魔が転がり込んでくるわけでもなく、仲村さんが陰で世界平和のために悪を狩っているわけでもありません。群馬のK市をモデルにした、普通の世界の普通の中学生です。そんな彼らが発する香ばしい台詞は、痒いところをもっとむず痒くさせるような力に満ち満ちています。
しかしどうでしょう。他の漫画を考えてみると、実はそこにも香ばしい台詞はいくらでもあります。

「ぼくはあなたの所有物です 僕が愛するこの地球も 喜んで魔王あなたに捧げます」
「愛してるぜ 魔王の騎士」
「愛してます 我が魔王」

惑星のさみだれ 3巻 p198)

…もしお前がもう一度…
オレを震えさせてくれるのなら、この世界で、一緒に汚れてやる。


G戦場ヘヴンズドア 1巻 p61,62)

どうでしょう。台詞だけ切り取ればかなり香ばしい台詞のはずです。ですが、実際に作品の中で読めば、そんなことはない。むしろ感動的、いい意味で印象的なシーンに仕上がっている。
じゃあ、「惡の華」と他の漫画の違いは何か。なぜ「惡の華」の台詞は、ここまでむず痒く届くのでしょうか。


何度もいっていることですが、漫画に限らず小説でも映画でも演劇でも、台詞を伴ってストーリーを描くものは、程度の差はあれ、芝居がかった台詞になります。芝居がかったというか、ソフィスティケィトされたというか、作為的なものというか。裏を返せば、日常で使われる台詞は、さしてまとまりがなく、話があっちこっちに飛び、指示代名詞が乱舞しています。「アレがアレしてさあ、それがアアなのよ」なんて常套句がよく冗談として使われたりしますが、あながち冗談でなくそんな会話はありうるのです。
それでも会話が成立するのは、前後の文脈などから内容を類推する能力ゆえで、人間の読解能力は、時間に対して一元的な方向で行われるわけではありません。後の発言で前の発言の補完をしたり、今の発言で未来の発言を先読みしたり。ぴょこぴょこと時間軸の中を跳ね回りながら、解釈しているのです。
ちょっと話が逸れましたが、作品の中ではそのような言葉遣いはほとんどなされません。それは、作品と受け手で立ち上げる解釈の場が、場の成員が共同で立ち上げる一般的な対面コミュニケーションと違い、作品側が用意した、既に完成された場に受け手が後から乗り入れる、という状況になっているからです*1。受け手は場のコミュニケーションに能動的に参加できるわけではなく、一方的に受け取る、つまり受動的な立場でしかありません。共同で立ち上げた場なら、誤解が発覚すればそれを訂正するチャンスがあるのですが、受動的でしかない場ではそれは不可能で、作品読解(鑑賞)の最中に送り手が訂正することはできません。それゆえ、受け手の解釈(誤解)の余地を極力減らすために、作品内の台詞は、明確で、収まりのいいものになっているのです。


思春期をこじらせると、どうにもイカした言葉が使いたくなります。つまり、芝居がかった言葉です。その意味で、思春期をこじらせた最中というのは、自分以外の何か、それも出来合いのところから借りてきたような何かを演じているようなものなのですが、それは言ってみれば、自分が何かの作品の登場人物、というか主人公のように振る舞うってことです。
現実世界と虚構の世界の境界が曖昧になる。虚構の世界が現実世界に流入してくる。そんなこじらせた思春期を真正面から描くことをテーマとした「惡の華」は、他の事をテーマとした作品に比べ、現実との距離が、「こじらせた思春期」というごく一時的な期間とは言え、とても近いのです。それゆえ、作中の芝居がかった台詞と、現実世界でもありえそうな芝居がかった台詞がリンクして、いい意味でむず痒くも香ばしく感じるのではないでしょうか。


すごく簡単に言ってしまえば、「惡の華」と他の作品との違いは、文脈の差、世界観の差、ではあるんです。「惡の華」では、思春期をこじらせたヤツが、思春期をこじらせたことを前面に押し出して描いているから、こじらせた思春期の言葉として響き、他の作品では、また別の文脈、非こじらせた思春期的文脈で描いているから、そうは響かないのだと。
でも、思春期をこじらせると芝居がかったものに近づくのはどうにも確かなことのように思えますから、それをメインテーマとして描く作品がとても「リアル」、現実に近く感じられるのはありえる話だと思います。


このこじらせた思春期を正反対の方向で描いたのが「男子高校生の日常」ですね。というか、特に「男子高校生と文学少女」の話なんですけど。描いてることは「惡の華」と同じこじらせた思春期なのに、それを徹底しておちょくって描いてるから、なんかもうリアルとはまるで違う方へ行っているようで、でもなんか本当にこんなヤツいたらどうすんべ的な面白さがあります。
男子高校生の日常
1話2話、最新作、それに「男子高校生と文学少女」のFlashがこちらで見られます。
で、「惡の華」の1話はこちらで。
惡の華






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*1:生で演じられる演劇などは、まだ比較的余地が残されていますが