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「ダメさ」はコーヒーと同じくらい当たり前にそこにある 「珈琲時間」の話

珈琲時間 (アフタヌーンKC)

珈琲時間 (アフタヌーンKC)

読了直後の第一印象は、「ダメさが転がっている作品」だった。それは作品がダメという意味では決してない。作品の各話各話に「ダメさ」が見て取れる、ということだ。
この「ダメさ」は、ただ単に否定的な意味合い一辺倒のものではない。前向きでもあり後ろ向きでもあり、明るくもあり暗くもあり、深刻でもあり滑稽でもあり、重くもあるし軽くもある。「ああ、ダメさにも色々な形があるのだな」と思わせる奥行きのあるダメさだ。そんなダメさがそれぞれの話の中に、滲んでいたり、たゆたっていたり、くすぶっていたり、はしゃいでいたりしている。
例えば初対面の女性にたかろうとする自称映画監督。例えば父親を刺した少女。例えば妻と息子をを亡くした老人。例えば胡散臭い「ロボット刑事」。
彼や彼女は、それなりかそれ以上に真面目に、必死に生きている。でも、そこには世界の歯車とがっちりかみ合う感触がない。軋んだり、空転したり、あるいは過剰に回りすぎてしまったり。それを見て読み手は、面白いと思うし、哀しいとも思う。一言じゃ言い表せないような、複雑な感情だって浮かんでくる。


この作品は短編集だ。12p×17話と、短い話ばかりで構成されている。ほんの12pで親切な話を描くのは難しい。親切と言うか、起承転結がはっきりしていると言うか。作者は、物語の最初から最後までを全て描こうとはあえてしていない。たったの12pで描けることには限界がある。だからその限界を逆手にとって、不親切なまでに説明を省き、物語の登場人物たちの人生のワンシーンを切り取っている。作りこまれたシーンではなく、連綿と続く日常の中の、偶々切り取られたワンシーン。だから、そこには誰かに向けられたこれでございの親切さはない。
例えば第六話「Hate to See You Go」。銃を向け合って一時間も経つ男二人。読み手は1p目からその状況に遭遇する。12pの中で、そうなった経緯は少しだけ語られる。きっとその背景にはもっと大きな物語があるだろう。二人の過去も少しだけ語られる。こうなってしまった状況がどれだけ悲劇的でどれだけ諧謔的なのか、それを表す記憶が彼らの間には横たわっているはずだ。でも、それは僅かにしか語られない。隠れているはずのものを想像させる程度にしか、二人は喋らない。そのまま大きな盛り上がりもなく、淡々と二人は語り、話は結末を迎える。
この話で見られる「ダメさ」は、私の言葉で言えば、せこい悪事を共に働きながら徐々に下方螺旋へと巻き込まれ、世界の歯車からも着実に外れ始めた二人が、最後はお互いに銃を向け合うことになるという、悲劇でもあり喜劇でもある「ダメさ」だ。「ダメさ」は滑稽さと悲哀を伴いながら彼らの人生を彩り、こうして切り取られたワンシーンの中にもしっかりに顔を覗かせている。ここで見て取れる「ダメさ」は、今までの集大成と言う意味では濃縮されたものだが、過度に濃縮されたものではない。当たり前のものだったダメさが当たり前のままに育った、当然そこにあるべきダメさだ。
二人にあった「ダメさ」は、二人をこんな修羅場にまで引き込んでしまった。でも、これは二人に限った事ではない。ほんの少し「ダメさ」が変な方向に行けば、歯車の軋みがひどくなれば、誰にも「ダメさ」は牙をむく。
誰の中にも当たり前にある「ダメさ」。この作品を楽しめるかどうかは、これを是とできるかどうかではないかと思う。
この作品には、色々な形で「ダメさ」が顕れる。それを見て、面白がったり悲しんだり、色々な感情が生起すると思う。でもその「ダメさ」の中に、自分の片鱗を見てしまう。丸々自分だとは思わない。「もしかしたら自分がこうなる可能性もなくはない、かも」なんて心の隅で思ってしまう。
自分の中には「ダメさ」がある。それには気づいている。でも、それはどうしようもなくてどうしようもないんだけど、やっぱりどうにかしたくて、それでもどうしようもないようなあ、なんて苦笑できる人。そんな人に、この作品は指向していると思う。


そして、珈琲。
この作品の中で珈琲は、大きな役割を果たすわけではない。珈琲が人を救いはしないし、珈琲の蘊蓄が問題を解決することもない。登場人物の日常の中に、なんでもない顔をして珈琲は鎮座ましましている。そう、それはまるで、人の日常に横たわっている「ダメさ」のように。
作中最もアッパーでおちゃらけたダメさをもつ男は、こう叫ぶ。

人生に必要なものは何か? 生きる糧となるものは?
酒か? 恋愛か? 金か?
それらは強すぎる
私は一杯のコーヒーだと思う
一杯のコーヒーと口ずさむ歌 それが生きる慰めとなるのだ
さあコーヒーを飲もう 今すぐに!
なぜなら人はいつ死ぬかわからないからだ!
さあコーヒーを飲もう 今すぐに!
なぜなら人生はあっという間に過ぎ去ってしまうからだ!
ははは!
はははは!!

(p205,206)

真面目だけどテキトーで、アッパーアッパーな彼の「ダメさ」は、きっとコーヒーと同じなのだ。彼は強すぎることのない一杯のコーヒーを人生の糧としているが、きっと自分の「ダメさ」を同じくらいに愛でている。自分のダメさを知って、受け入れ、そしてはっちゃけて生きている。
彼の姿は、自分のダメさを知っている人間の、ある意味での理想の姿かもしれない。でもダメさを受け入れている人はそっと思っている。
「ま、自分にはどうせ無理だけどね」


なんか頷けちゃった人は、読んでみるといいと思うよ。






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