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漫画の話です。

「なるたる」に見る、「父殺し」と「アニキの死」による物語の駆動の話 後編

なるたる(12) (アフタヌーンKC)

なるたる(12) (アフタヌーンKC)

前回の記事からの続きです。
「なるたる」に見る、「父殺し」と「アニキの死」による物語の駆動の話 前編 - ポンコツ山田.com
今回の記事を思いついた三等兵さんの記事もリンク。
3ToheiLog:物語における「アニキの死」について
では、後編をどうぞ。

父殺し シイナの場合

さて、前回の最後は意味深な引きで終わってしまいましたので、今回はそこから。シイナが「父殺し」をしていたら、いったいどんな社会権利を得ていたのか。
私はそれは、母なのではないかと思います。権利というとちょっとそぐわないですが、父・俊二が所有していたものということです。ここでいう「母」は象徴的な意味だけではなく、現実的な、血縁的な、社会的な、母。つまり、玉依美園。彼女のことです。父を殺して母を得る、なんて、まんまオイディプスですけどね。
最終巻、暴挙に出た直角を止めるために飛び立ったシイナは、彼の元にたどりつくまでの道中で、文吾により父・俊二を殺されました。直接俊二を殺したのは文吾の竜の子・ハイヌウェレなのですが、俊二はシイナを守るため特攻に近い攻撃を仕掛けたのです。意地の悪い見方をすれば、シイナの存在が俊二を殺したといえます。シイナはこの時、間接的な父殺しを果たしたのです。
で、間接的に父を殺したシイナは、その後何を得たか。
父を失い、止めるべき直角も死に、一旦は自失してしまったシイナでしたが、明の言葉により、母に対する自分の素直な気持ちを、そして名前を受け入れることができました。そして、美園と和解したのです。
俊二と美園の第一子・実生がシイナの誕生と時を同じくして死んでから、美園は竜の研究に没頭し、実生を取り戻そうと躍起になり、逼迫した精神でシイナの首を絞めたこともありました。その記憶をシイナがもっているかはわかりませんが、作中、彼女にとって母・美園は、一貫して相容れないものとして描かれています。美園のつけた名前「秕」を「シイナ」とカタカナで書いていたことは、それを如実に表しています。*1「秕」の意味は「中身のない実、実ることのない種子」。子供に付けるとしたら余りにも希望のない名前です。シイナ自身、自分の名前の意味を知っていて、決して好んではいませんでした。
しかし、シイナは心の奥底では、母親を望んでいた。敵意は淋しさの裏返しだった。自分に欠落していた母の愛情がほしかった。
嫌いだった自分の名前と、明の言葉で初めてその存在を知った姉・実生との関係を知って、シイナは自分の名前を受け入れることができ、自分の気持ちに素直になることができました。その結果、自分の本当の竜の子である地球とリンクすることができたのです。*2
物語の最初から描かれていた父親との濃密な関係は、母親を求めているという本心からシイナが目を逸らすのに役立っていました。

「シイナちゃん 本当はお母さんのこと
すっ…… 好き…… ですよね?」
「うそ そんなわけないでしょ
あたしはお父さんと二人で――」
「わたしはお母さんとうまくやれませんでした
それはわたしが悪かったんです でも
シイナちゃんにはそうなってほしくないから」
「戻ろう
戻らなくちゃ ホシ丸 戻ろう
お父さんのところ
お父さんの夕ご飯の用意 しなくちゃ」

(12巻 p149〜152)

明に自分の心の底で隠していた感情を指摘されたシイナは、ほんの数刻前に死んでしまった父との幸せだった生活を思い返し、現実から逃げようとしました。このように、敵意と寂しさで相反する、母親に対するシイナの気持ちは、父親への強い愛情で隠せていたのです。
もし、6巻の時点でひろ子が俊二を殺していたら。
母への矛盾する感情を隠蔽するものがなくなり、シイナが母と正面から向き合い、美園と和解を果たしていた可能性は大きいです。
でも、そうはならなかった。俊二を殺そうとしていたひろ子をホシ丸が殺し、結果、俊二の命は助かった。俊二は自分を殺そうとした鬼を「自分を殺すつもりがない」「あっちの方が怯えてる感じがした」と報告しました。きっとひろ子自身、俊二を本当に殺すことには逡巡していたでしょうが、もしホシ丸が彼女を殺さなければ、それでも殺しきっていたと思います。ひろ子は前日から自分の両親も含めて何人もの人間を殺し、殺人に対する心理的ハードルは下がっていたからです。
ひろ子を自分で殺すことができなくても、それでも父との癒着の乖離を拒んだシイナは、事件の後、ひろ子を殺したホシ丸と距離をとりました。竜の子にまつわる物語から離れようとしました。
シイナの本当の竜の子は、先述したように地球です。彼女はそれとのリンクを、(間接的な)「父殺し」を経たことで果たしました。ですから、6巻で「父殺し」を拒否したシイナがホシ丸(竜の子)を遠ざけた=物語から離れようとしたのは、理に適った行動だったのです。もちろん、(父を殺そうとはしても)友人であったひろ子を殺したホシ丸を許せなかったというのもありますが、物語の水準において、シイナの「父殺し」と物語の駆動(シイナと地球のリンク)は同質のものなのです。

シイナの「アニキ」は二度死ぬ

ようやく「アニキの死」の話まできました。
「アニキの死」は真の物語を駆動させる、と前回の記事の冒頭で引用しました。ここで言う「アニキ」は、「父」や「母」が象徴的な存在であるように、「アニキ」も現実に「兄」である必要はありません。「自分と近い存在である競争者」が「アニキ」であり、現実の兄弟であったり、男性であったりする必要はありません。「なるたる」においては、主人公シイナが女性である以上、「アニキ」も女性である方が自然です。
シイナにとっての「アニキ」は、姉・実生です。同性の、血縁の、親(特に母親)からの愛情の競合者という点で、実生はシイナの「アニキ」となる資格があります。
ですが彼女は物語の開始時点で既に死んでおり、シイナは姉が存在していたことすら知りませんでした。そんな彼女が姉の存在を知らされたのは、上に書いたように、最終話の前々話、瀕死の明の口からです。それまでにも、シイナのいないところでその存在が匂わされたり、「実生」という名前をシイナが知ったりする場面はありましたが、姉の存在を確信するには到りませんでした。
美園は、実生の存在を取り戻すために研究に没頭しました。俊二とシイナは、そのために二人で暮らすことを余儀なくされました。シイナの出生の時点で、その影には実生と竜の子の存在がありましたが、それはシイナからはずっと隠されていたのです。
シイナの誕生はほぼイコールで実生の死(乙姫化)であり、シイナが生まれたときから物語は駆動しだしており、実生の存在を知らなかったシイナだけが、そのことには気づいていませんでした。物語が駆動しているのにもかかわらず、物語の存在を知らなかったシイナ。そんな彼女も、小六の夏にホシ丸と出会ったことでついに物語に巻き込まれることになりました。
ですが、まだ彼女の物語は、彼女にとって真のものではありません。「父殺し」という観点から見るシイナの物語の到達点は、先述したように母・美園との和解です。そこにたどりつくためには、「父殺し」だけでなく、真の物語を発見すること、即ち死んだ姉(象徴的な意味での「アニキ」)の存在を知ることが必要でした。
彼女が真の物語を駆動し、母との和解を果たすためには「アニキの死」が必要でしたが、そもそも「アニキ」はシイナに存在を知らされていないまま初めから死んでいました。しかし美園は、シイナに淋しい思いをさせながらも実生の影をずっと追い続けており、その意味で、まだ実生の存在は死にきっていなかった。美園の中で実生の影を振り切り真っ直ぐにシイナのことを見つめたのは、シイナが直角を止めるために飛び立つ寸前のことでした。

「あなた 話が」
「帰ってから聞くよ 急ぐんだ」
「実しょ… し… 秕を守ってあげて」

(12巻 p59,60)

この時、ようやく実生は物語の中で死ぬことができ、その数時間後にシイナは「アニキ」の存在と同時に「アニキの死」をもたらされるのです。
「アニキの死」により物語が駆動しだしても主人公はそれを知らず、美園が実生にはもう手が届かないことを認めた「二度目の死」で、初めてシイナにとっての真の物語(母との和解)が駆動した。
こうして、「アニキ」である実生は二度死んだのです。

性の転倒した物語「なるたる

さて、ここらでもうちょっと精神分析に切り込んでみましょう。精神分析における象徴的な「母」とは、世界と未分化の子どもが癒着している存在です。この子どもと世界に分節線を入れてやるのが、象徴的な「父」の役割になります。
そうすると、玉依夫婦におけるシイナとの象徴的な関係性は性別が逆転することになります。シイナの誕生とほぼ同時に起こった実生の死により、シイナの養育をほとんど放棄した美園ではなく、ずっとシイナと二人で暮らしていた俊二こそが、シイナの象徴的な「母」たりえているのではないでしょうか。
「父」である美園はシイナと俊二の癒着を切り離そうとしますが、シイナは彼女と冷淡に接し、その反動のように俊二とべったりで過ごすため、それはなかなか達成されません。*3
そんなシイナでしたが、父親以外の異性である鶴丸に好意を持ち始め、また生理を迎えたことで決定的に女性性を意識しだし、少しずつ癒着からの乖離を達成しています。ですが、完全に乖離を果たしたのは、シェルの手の上で美園への自分の素直な気持ちに気づいた瞬間だと言えるでしょう。「母」であった(癒着の母体であった)俊二が死に、「父」である美園への素直な気持ちを自覚した時、シイナは初めて世界から自分を切り離すことができ、それが竜の子=地球とのリンクという形で表れたのです。
姉なのに「アニキ」である実生といい、玉依家の象徴的な性がことごとく逆転していたのはちょっと面白いですね。


象徴としての「父」「母」については、冒頭で紹介した三等兵さんの作品「異邦人たち」について書いた記事
「異邦人たち」に見る、父を愛する少女、「父」を知らない少女 - ポンコツ山田.com
でも触れています。


ということで、前後編に亘って書いてきた、「なるたる」に見る「父殺し」と「アニキの死」でした。前々から考えていたことに一つの形を与えられたので、ひとまず満足です。




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*1:2巻 12話

*2:まあ、作中にシイナが本心では母親を求めているという描写は見られず、最終的に和解した、ということからの逆算ではあるのですが

*3:12話でのシイナの誕生日での、両親との対比的な接触がそれをよく表しています