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「え!?絵が下手なのに漫画家に?」漫画に必要な絵の上手さとはなんなのかという話

え!?絵が下手なのに漫画家に? (ヤングチャンピオンコミックス)

え!?絵が下手なのに漫画家に? (ヤングチャンピオンコミックス)

「森のテグー」と同時発売の、施川先生の新刊です。「エレガンスイブ」や「全部ホンネの笑える話」などの雑誌に掲載されたエッセイ漫画が収録されています。エッセイ漫画というか、施川先生の体験談ですね。
前半は、施川先生の鬱々とした専門学校時代の色恋話から漫画家デビューにかけて。その〆にカラスヤサトシ先生との対談も入ってます。「この鬱々感はどこかで感じたな」と思ったら、福満しげゆき先生の「僕の小規模な失敗」ですね。ネガティブスパイラルの落ち込み方がよく似てる気がします。
後半は、たいていの人は(心の平穏のために)意識の奥底に封じ込めてある、子どもの頃の常識外れな行動や感覚をすっとぼけた感じで描いています。内心のテンションは割りと高いのに、基本妄想だしやってることが地味だから、全体的にのったりした雰囲気が漂っています。
カラスヤサトシ先生もそうだけど、子どもの頃の奇行を覚えてる人って独特な面白さがありますね。出発点に含羞のある笑い(ネクラな笑いと言っても可)は、とても好きです。


まあ雑感はそれくらいにして、タイトルの事柄について。
本作中で、あるいは他の作品の単行本の余白ページなどでも、施川先生は折に触れて自身の絵心のなさに触れています。

(p118)

話は変わるけど、僕はマンガ家のくせにマンガを描くのが嫌いだ。絵がどうしようもなくヘタクソだからだ。どうやったら効率的に手を抜くことができるかというコトばかり日々考えている。おかげで一向に画力が上達しない。
(がんばれ酢めし疑獄!! 1巻 あとがきより)

初めての単行本のあとがきでそれを書くとかどんだけ自信がないんだという話ですが、まあ正味な話、漫画家として本を出している人の中では、確かに施川先生の絵は達者とはいえない。もうちょっと正確に言えば、絵に精密さがない。描いているのがデフォルメ絵ばかりなので、精密さ/写実性があまり求められないのは事実ですが、それでも単純に絵心ということであれば、よっぽど上手いアマチュアの人というのはいくらでもいるでしょう。
けれど大事なことは、それでも施川先生は漫画家としてやっていけているということです。本作が「漫画家10周年記念初エッセイマンガ集」だそうですが(あまり記念という感じもしませんが)、10年も漫画家として生計を立てているわけです。


はてさて、精密な絵が描けるとどんな利点があるか。それは、一枚の頁に情報をより多く詰め込めるということです。
例えば、人間の表情を細やかに描くことができれば、言語情報に頼らなくても感情の機微を表現できますし、背景や小物を緻密に描くことで、情景がリアリティをもって浮かび上がります。時代ものなら服装などでその時代らしさをより強く匂わせることができます。
情報伝達の媒体には向き不向きがあり、言語は論理的な情報を載せることを得意とし、対して絵は、言語化すると膨大になる、雑多で属文脈的な情報を伝達することに向いています。
極端な例を出せば、裁判の判例を絵のみで伝達することは困難の極みですし、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の情景を言葉だけで表しきるには、万言を費やしても足りるかどうか。要するに、適材適所ってことですな。


で、施川先生の作品に要求される適材とは何か。
施川先生の作品の面白さは、「酢めし疑獄」の不条理性や「サナギさん」の言葉遊びなどに大別できますが、それらは総じて、概念の異化というように表現できます。不条理性は、普段使っている概念をあえて逸脱した用法で用い、そのズレを楽しむもの。言葉遊びは、普段使っている言葉や概念をまっさらな視点(「サナギさん」や「12月の少年」の各キャラとか)で見直したり、違う存在(「もずく、ウォーキング!」のもずくとか)の視点で見たり、音韻のみで意味を拡張したりして、イメージを広げるもの。施川先生の作品の肝は、言ってみれば非常に概念的なものなのです。
概念的なものを表すのには、絵よりも言語の方が向いています。それゆえ、施川先生の作品において絵はさほど重要視されず、言語感覚、そして言語によって表される感覚が大事になるのです。


概念の異化を肝とする作品の場合、過剰な絵の描きこみはともすれば、異化解釈の邪魔になりかねません。楽しむべき概念以外の情報が余計に入ってくれば、それが達者な絵であればあるほど大きなノイズとなります。淡白な日本料理を楽しんでいるところに玉露を飲むと、強すぎる香りが繊細な出汁の風味をかき消してしまうように。
その意味で、施川先生の作風にあのごちゃごちゃした感のない絵は実に適しています。いみじくも施川先生自身が「どうやったら効率的に手を抜くことができるかというコトばかり日々考えている」と書いているように、余計な線を省略し要点だけを描いた「手抜き」絵は、概念を噛み砕いて味わいなおすには程よい味わいなのです。玉露じゃなくて、番茶でいいんです。
「え!?絵が下手なのに漫画家に?」とは言いますが、「物語」伝達によるエンターテイメントとしての漫画には、内容の性質に見合った画力があればいいんじゃないでしょうか。




さて、ちょっと話を一般化して。
画力の高い漫画家は頁の中に描きこむことのできる量が増えるわけですが、それがなぜかというと、単に一つの対象を精密に描けるからだけではなく、一つの対象が精密になることで、それがパーツ(一部)となる全体も精密に描くことができるからです。
画力の低い人間がパーツのたくさんある絵を描こうとしても上手くはいきません。それは建築と似たようなもので、全体が要求するパーツが多くなればなるほど、各部の細密さも同時に要求されるのです。柱数本でできる掘っ立て小屋なら雑な材木でもいいですが、堅牢な住居を作ろうと思えば、鉋をかけられしっかり採寸もした材木がなければどうしようもありません。
ものが多い一枚の絵をすっきり見せるには、緻密な線で丁寧に描くか、少ない線で曖昧に描くか、どちらかでしょう。
この、ぱっと見たときに感じる「すっきりさ」は、作品としての漫画にはとても重要だと思います。これがあるとないでは、読んだ時の印象が段違いだからです。読み手が「内容がめちゃくちゃ好き」という強いポジティブさを持ってくれればいいですが、そうでなく、(言い方は悪いですが)惰性でとりあえず今後も読んでみようかな、という程度であれば、読みやすさは重要なファクターです。
もちろん絵の構図も「すっきりさ」の要因ではありますが、緻密に描けるからこそものを多く描いてもすっきり見せられるのです。逆に、それができないのならものは減らしたほうがいい。

読者はあんたのファンじゃないのよ。
がんばって読んでくれるなんて思わないことね。
誰にでもわかるように作るのが、一番難しいのよ。
G戦場ヘヴンズドア 2巻 p16)

G戦場ヘヴンズドア 2集 (IKKI COMICS)

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てとこですな。
自分の画力に見合った「すっきりさ」を描けるかどうか。それが「漫画に必要な絵の上手さ」の答えの一つではあると思います。






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