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「かっこいいだけではかっこ悪」いことをよく知っている水上悟志先生の話

※CAUTION この記事には「惑星のさみだれ」8巻のそれなりに大きいネタバレがあるよ!未読の人は気を付けてね!

惑星のさみだれ 8 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 8 (ヤングキングコミックス)

ああ、あれだ。わかった。
自分が水上悟志先生の作品が好きな理由の一つが、8巻でこの上なく明瞭に表されていた。
キーワードはこれ。
「かっこいいだけではかっこ悪かろう」(p49)
これだ。


「百舌谷さん逆上する」に関する記事を書いたときに、篠房先生を評して「『道化の仮面をかぶっておどけている哲学者』の仮面をかぶった道化」と言い、続けてこう書いた。

私見だが、カッコイイはカッコ悪い。もうちょっと言葉を足せば、「これってカッコよくね?」とウハウハしながら表現するカッコよさはカッコ悪い。その手のカッコよさは、それをカッコイイと思っている自意識が透けて出てしまい、カッコよさ以上にそっちが目に付くのだ。

キメキメの人間の鼻から鼻毛が出ているところをイメージすればだいたいあってる。「いいからお前はポーズをとる前に鏡を見ろ」だ。
(中略)
「カッコイイことをしている自分て恥ずかしくね?」と否応なく思ってしまう自分のような人間は、そういうことをしてしまったときにどうするかと言えば、茶々を入れる。一番手っ取り早いのは「なーんちゃって」と行為の後につけることだが、それが通用する場は極めて限定されるので、それに類する表現でもってカッコよさをごまかす。

自分でもびっくりするくらい、水上先生の作品に綺麗に当てはまっている文だ。なんだ。これは未来日記か。これだけシンクロしていれば、自分が水上先生の作品を好むのも無理はない。むしろ必然だ。


惑星のさみだれ」に限らず、水上先生の作品には「"life"に対する(良いも悪いもひっくるめた)前向きさ」が通底している。"life"は「生命」でもあり「生活」でもある。
連載作品で言えば、「散人左道」のフブキは、師への憎しみと一度は別れた自分の力を、許しはせずとも真正面から受け止めることを決意し、「エンジェルお悩み相談所」では誰もが悩みを抱えて生きる平穏な日常を愛し、「サイコスタッフ」は非日常の力に振り回されずに生きる平凡な日常を好み、それを守るために非日常の力(と自分の命)を差し出す。
これらのテーマを描くのには、どうしてもそれを印象付けるシーンが必要で、そのシーンはどうしても「かっこよく」なってしまう。だが、印象的になるほどの「かっこよさ」は質量が高く、迂闊に使えば作品のバランスが崩れる。あるシーンで刹那的な「かっこよさ」を求めたために、それ以外の部分で「うわあ……」という気持ちになってしまうのだ。つまり、「かっこいいだけではかっこ悪」い。
じゃあ水上先生はどうするかというと、「かっこいい」シーンを描いたら、必ずといっていいほど直後にギャグを挟む。「エンジェル〜」は、そのような過度な盛り上がりがない作品なので(1話14pだし)うまく該当するシーンはないが、「サイコスタッフ」のクライマックスの走馬灯なんかはわかりやすくその例だろう。作品を重ねるにつれてその傾向ははっきりしだし、終盤に向かっている「惑星のさみだれ」はそこかしこにそれが覗いている。


8巻で最大の茶々はもちろんこれだ。

(p190)
対ビスケットハンマー用小天体兵器ブルース・ドライブ・モンスター。
バカにしているのかと思えるほどに素晴らしいぶっくら返し方だ。直前の夕日と直後のアニマが真面目な顔をしているから余計に素晴らしい。
「…見えてきましたね 勝利のイメージが
今なら視えるかもしれません
「空を
「空にあるのは本当に絶望ハンマーだけでしょうか?
「今の皆には見えるはず
今なら 視えるはず」
これだけ「かっこいい」セリフの後にこの絵を入れるのだから、水上先生は恐ろしい。でも、だからこそ「惑星のさみだれ」は危うい均衡の元で面白さを獲得し続けているのだ。


「かっこいいだけではかっこ悪い」
とてもいい言葉だ。






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