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漫画の話です。

「神様との約束」羽海野チカの天才観の一類型の話

羽海野チカ先生の天才観が少し垣間見えた話を軽く。


羽海野先生の連載作品である「ハチミツとクローバー」と「3月のライオン」には、天才と呼びうるキャラクターが出てきます。前者には代表的なところではぐ美と森田(二人については過去記事;漫画で天才はどう描かれるのか、「ハチクロ」と「バガボンド」を例に考えてみる話も参考に)、後者は主人公の零。描写のされ方は違っても、(同年代の平均像に比べて遥かに高い)周囲の人間からの評価、業績を鑑みるに、作中で「天才」として遇されていると考えて差し支えないでしょう。
そんで共通するところに気づいたのは、はぐと零なのですね。その共通点とは、「神様との約束」。
はぐ美は中学生の時に一度だけ神様を見ました。

小さい頃 一度だけ神さまを見た
(中略)
この「絵を描く」ということだけが 「私」を「守り」「生きさせて」くれたんだ
そう思った時 雨降りの窓の外が ぼうっと 金色の光りだしたように見えて……
――そうして 私は話しかけたのだ その光に
「もしも私が描くことを手放す日が来たら」
「その場で この命をお返しします。」
――と………
あの時 私は「約束」をかわしたのだ ――たしかに
目には見えない
私の神さまと

ハチミツとクローバー 9巻 p162〜4)

そして零も、家族を亡くした葬式の場で神様と約束をします。

「……君は 将棋好きか?」
「……はい」
嘘だった…… (これが契約の瞬間だった)
人生で初めての 生きる為の (将棋の神様と僕の)
――そして決して戻れない…… (醜い嘘でかためた)

3月のライオン 1巻 p164〜5)

かたや芸術、かたや将棋、分野は違えど同じく才能を発揮している二人が、ともにその能力を奮うために神様と約束をしているのです。羽海野先生の天才観を考えるのに、なかなか興味深いエピソードだと思います。


とは言え、神様と約束をした二人ですが、その方向性は実のところまるで違います。
はぐの約束は、「「私」を「守り」「生きさせてくれた」」絵をくれた感謝の証しとして、絵が描けなくなれば自分の命を「お返し」するというもの。
零の約束は、喪った「家族」を新たに得るために、その代償として自分の身を将棋に捧げるというものです。
かたや感謝、かたや代償。二人はともに我が身を神様(絵/将棋)に捧げることは共通していますが、その意味するところは余りにも隔たっています。


そう考えると、はぐの天才性と零の天才性も別物なんじゃないかってことになると思うんですよね。
はぐの芸術の才は、先天的なもの、天賦のもの。あるいは天衣無縫のものと言ってもいいかもしれません。小さい頃から絵が好きで好きで、ただ好きに任せて描いていたら、それが周囲の人とは一線を画すようなものになっていた。上手くなりたいからとか、賞をとりたいからとかの、ある意味不純な動機ではなく、ただただ自分がそうしたいから(とにかく絵を描いていれば幸せという彼女の心情は、自身の将来像についても如実に出ています*1)。芸術のための芸術。目的としての芸術。そして、それによって自分が守られ、生きさせてもらってきたことに気づいたときに、神様と約束をしました。
ですが零の天才性は、ある意味で後天的なもの、自力獲得によるものと言えます。
もともと将棋の才能はあった零ですが、その才を磨かざるを得ない環境に自らを投じたのは神様と約束をしたからです。もともと将棋自体が有限個の手数によるゼロサムゲームですから*2、先人の棋譜を調べたりするなど、理屈や経験に頼る部分が非常に大きい遊戯です。理屈や経験。つまり積み重ねる努力ですわな*3。それがものを言う競技であるために、中学生でプロ入りした零は「天才」として持て囃されているわけです。
そんな努力をせざるを得ない環境だからこそ、零の才能は中学生でという弱冠で花開いたと言えます。零の将棋の才能(強さ)は、後天的な環境の影響が大きく、更に言えばその環境を自発的に選択した結果なのです。
そもそも零のその選択も、「不純」なものとも言えます。彼は将棋が好きだから将棋の神様と約束をしたわけではありません。「家族」を得るために将棋を選んだのです。将棋のための将棋ではなく、「家族」のための将棋、手段としての将棋なのですから。その点でも、はぐ美の天衣無縫さとは対極の位置にあります。


才能(強さ)を「神様」という上位存在との関係性の中に考えていることが窺える羽海野先生ですが、その才能(強さ)の在り方には、ただの天賦のものでオールオッケーと考えているわけではありません。
「感謝」と「代償」。
「神様」と「才能」の関係性に挿入されるには、相応しい概念のような気もします。どちらも自分と相手(神様)との非対称性を基礎にした概念ですからね。
3月のライオン」の中のもう一人、圧倒的な天才性を誇るキャラクターとして宗谷冬司名人がいますが、彼の天才性がいかなるものかいつか描かれるのでしょうか。それも今後の展開の楽しみです。






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*1:6巻p61

*2:似たゲームであるチェスに比べ、獲った相手のコマを使えることによりその有限性も莫大に膨らみますが

*3:芸術がそれを必要としないとは言いませんが、比較対象としてのはぐ美(森田も)がそのような積み重ねるタイプの努力をしている描写がないために、より将棋の零が際立っているのです