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「友達100人できるかな」と、とよ田先生のストレートな感動の話

友達100人できるかな(1) (アフタヌーンKC)

友達100人できるかな(1) (アフタヌーンKC)

友達100人!!できなかったら人類滅亡!!
36歳の小学校教諭・直行の前に突如現れた宇宙人。彼らの地球侵攻を回避する条件、それは友達を100人作ること!!その試験会場となった一九八〇年にて人類の命運をかけた壮大なミッションが始まった!!

とよ田みのる先生の、「FLIP-FLAP」以来の新刊です。
人類の存亡を一身に背負ってやることが、小学生に戻って友人を100人作ること。スケールが大きいのか小さいのか。
でも、自分が小学生の頃を考えれば、「一年生になったら」の歌詞のあまりのビッグマウスっぷりが笑い話になるくらいのものですから、あながちスケールが小さいとも言えないのかもしれません。歳をとれば見識も交友関係も広がりますが、小学生にとっての世界はごくごく小さなもの。家族と隣近所と学校と、それくらいなものです。作品の舞台の1980年の江戸川区を考えればなおさらで、塾や習い事もそれほど一般的ではなかったでしょう。首を巡らせれば見渡せてしまうような小さな世界で友達を100人作れというのは、なかなか難しいものです。
で、しかも主人公は元36歳小学校教諭で現9歳小学三年生。小学生同士が友達になったり、あるいは大人同士が友達になるのではなく、小学生の皮を被った大人が小学生と友達になる。当然色々な問題があります。主に前者の側に。
36年の人生の経験がある、人類の命運という使命がある、全てを知らされずに放り込まれた情報不足がある、そしてなにより照れがある。そんなこんなを乗り越えて、直行は友達100人作らなければいけません。はたしてどうなることでしょう。
今のところ、だいたい一話で一人のペース。そうすると100人作るのには100話。ざっと八年の連載が必要です。まさかそこまで狙ってはいないだろうなと思ったところで、一巻の最後には、どうやら「友達を一人作った×100」では終わらなそうな兆しが見えました。次巻の展開が楽しみです。




ラブロマ」、「FLIP-FLAP」と、シンプルながらも熱い作品作りを続けてきたとよ田先生。その熱さの源は、感動したことを素直に、ストレートに表現していることだと思うんですよね。
もちろん多くの作品でキャラクターが感動したシーンは出ますが、たいていの場合、その表現方法はいくらかひねってある気がします。ひねったと言うか、技巧を凝らしているというか。感動を表す言葉とか、動作とか、あるいは漫画的技法とか、そういうものをいろいろ試行錯誤して、「いかに感動したか」ということを具体的に、印象的に表現しようとしているんです。
でも、とよ田先生は実に素直に感動を表現します。

(p36)
感動したのだから、ぶるりと身体が震える。

FLIP-FLAP p43)
心が震えたのだから「震えた」と書く。
こんな、いっそ身も蓋もないとさえ言えるような方法で感動を表すのですが、それが身も蓋もないだけに直球でこちらに飛び込んでくる。余計な雑念を交えず、「感動した」という状態がポンと目の前に放り投げられる。それがとても心地よくて、ハートフル。いいですね。


他にそんな直球勝負を仕掛けてくるのは、「とめはねっ!」の河合克敏先生なんかが印象的。

(とめはねっ! 4巻 p143)
良寛の書の趣に感銘を受けた望月は、身体をぶるりと震わせて、言葉を費やさずともその感動を表しています。
音楽を聴いて鳥肌が立ったり、映画を観て手に汗握ったり、人間の身体は精神と密接に結びついています。シンプルながらも奇を衒わないこの手の表現方法は、シンプルであり根源的なものです。
まあシンプルで根源的なだけにともすれば陳腐となりかねないので、そうはさせないだけのがっしりした中身を必要としますけどね。


あいも変わらず熱々なとよ田節。続刊も期待です。






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