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漫画の読み方はどのように体系立てて内面化されているのかという話

このエロ漫画のコマ割がすごい ほかまみつり『Chocolat』のコマ割がすごい - karimikarimi
こちらの記事で触れられているコマ割の表現論について、思ったところを軽く。
私の記事内でkarimikarimiさんの画像基づいた言及が多くあるので、まずこちらの記事を読んでいただくと話が通りやすいと思います。


リンク先の記事で引用されている『Chocolat』(ほかまみつり)の画像について、karimikarimiさんは読む順番を中心の少女を軸にすることで、
右上→左上→左中央→右中央→左下→右下(以下、便宜上この順でコマを1〜6とします)
となると提示されました。
ですが、私が文章を読む前にこのページをパッと見たとき、
右上→右中央→右下(→中央の少女)→左上→左中央→左下(146235の順)
の順でコマを読みました。
この違いはなぜ生じたのか、私の思う漫画を読む時の法則性を元に考えてみましょう。




karimikarimiさんは提示した読む順番についてこのように書かれています。

このフラッシュバック的な時間、つまり「グラビア撮影」的な時間は、コマの配置による視線誘導により行われています。真ん中に、存在感のあるキャラクタを配置し、その左右に、段々違いにコマを設けることにより、視線を左右に振ります。

日本の一般的な漫画のコマを読む法則は、原則的に

  1. 右から左(第一原則)
  2. 上から下(第二原則)

をベースとします。普段自分が漫画を読んでいるときを思い出せば異論はないかと思いますが、karimikarimiさんの提示した読み方はこの原則から外れています。もしこの二原則を厳密に当てはめれば、124365となるからです。
原則から外れた読み方を読み手に従わせるには相応のトリックが必要ですが、karimikarimiさんが指摘しているそれは、「段々違いにコマを設ける」という点です。段々違い(互い違い)にコマを配置することでなぜこのような変則的な順番が成立するかと言えば、逆説的な説明になりますが、第一、第二原則の適用を包括的に規定する法則があるからです。
この法則は、「横方向の並びのコマの高さ、もしくは縦方向の並びのコマの幅が揃っている方向へ視線は優先的に移動する」と言語化できます。
こう書いても何のことかわかりづらいことこの上ないので、実際の例を見てみましょう。

HUNTER×HUNTER/冨樫義博 19巻 p165)
この画像の上の4コマを読む順番は、
右上→左上→右下→左下
になります。これは第一原則に従っていますが、なぜ第一原則が適用されるかと言えば、横方向ではコマの高さが揃っていますが、縦方向では幅がずれているからであり、そのため、縦方向よりも横方向でコマを一まとまりと捉えるのです。
逆の例としてこれ。

(MicroHolic/よしの p26)
この4コマは、
右上→右下→左上→左下
と読みます。これは同じように、縦方向でコマが揃っているため、縦でコマを一まとまりに捉えるためです。


段々違いに配置されている「Chocolat」のコマはまとまりとして捉えることが難しく、この法則から逸脱します。
で、その結果どうなるのかと言うと、水は低きに流れるの言葉どおり、水平方向に配置されたコマの高さがずれている場合、ある段の右→左が終わり、次の段の右に戻ろうとする時に、視線の流れは右方向より下方向へ向かって優先的に移動するのです。
これは視線の移動の負荷の軽減のためでしょう。視線が大きく跳躍する回数、そして距離を節約するのは、漫画を滑らかに読むために必須だからです。
ですから、karimikarimiさんの提示した読む順に理屈をつければ、
1→2はまず第一原則に従い読まれ、そのまま第一原則に従えば4に進むところを、上の状況が起こり、2→3と進む。そして第一原則より3→4→5、最後に残ったコマということで6が読まれる
となります。
「Z」の鏡文字を書くような動き(横棒がコマの、斜線がコマ間の空白の移動)ではなく、曲線的で視線跳躍のない滑らかな動きが出来上がっているわけです。


とまあこれがkarimikarimiさんの説の私なりの理屈です。
では、私の読み筋の理屈はどうなっているのか。


先に書いたとおり、私の読み筋は縦方向を基準としたもので、第一原則以上に第二原則を重視した形になっています。まず1から2にいかず4に行く時点で差は決定的なものになっているのですが、なぜ私は1から4へ向かったのでしょうか。
それは、画像中央に描かれた少女像、より正確にはその輪郭線、縁取りをどう捉えるかの問題だと思うのですよ。
karimikarimiさんの言う「コマ枠を利用してキャラクタの輪郭を縁取りするという手法」。
Chocolat」の手法との比較として赤松先生の「ネギま!」を引用していますが、そちらは「Chocolat」に比べてキャラクターの縁取りの白抜きが非常に細くなっています。このため、このぶち抜きになっているキャラクターはあくまでコマを縦断する絵と捉えられ、縁取りもコマ枠とは認識されづらくなっていますが、「Chocolat」は縁取りがコマ枠と一体になっており、縁取り線=コマ枠と認識しやすくなっているのです。
見方を変えれば、左右のコマの間に少女の絵が描かれている状態ですね。
少女の足元の水面の描かれ方を考えると、構造としては、少女の一枚絵の上に各コマが乗っていて、少女を際立たせるようにコマが少女の輪郭線に沿って変形している形ですので、コマの方が少女に対して高次に存在しているとも言えそうですが、水面は切り取られていないのに少女は切り取られていると言うことを鑑みれば、左右のコマと少女の像(水面は除く)は同じ次元で描かれていると考えられます(逆に、「ネギま!」のキャラクターは、コマに対して一つ上の次元で描かれていると言えます)。
ですが、それはあくまでそう認識「しやすく」なっているのであって、それ以外の読み方を徹底的に排除するものとはいえません。
私がこの画像をパッと見で捉えた時、少女の縁取りの太い白抜き輪郭線も込みで少女にまつわる絵と認識した、つまり縁取り線をコマ枠とは認識しなかったのです。要は、「ネギま!」の例と同じく、キャラクターの絵はコマ全体にメタ的にまたがっているのであり、キャラクターの下には本来のコマ枠があると認識したのです。
足元の水面はどうしたのかと問われると困るのですが、そう認識したのだからしょうがありません。先にそう認識してしまった以上、私にとって水面は、騙し絵のように「上なのに下にあるもの」となったのです。それはもうそういうもの。この認識の仕方が間違っているとは、原理的に誰も言えません。
そして、そう認識した私は、少女の絵の下には本来のコマ枠があり、それは隠されているがゆえにずれることなく一直線に揃っている(互い違いになっていない)と脳内で勝手に解釈する。
その結果、法則の適用により第二原則が優先的に採用され、右上から右下、左上から左下という順でコマを読むように私は捉えたのです。


この認識の差がどこから出るのかということにまでなると、さすがそれはわかりません。脳生理学的な理由があるのか、あるいは環境的な理由があるのか。もしかしたらこう認識したのは私だけという可能性も否定できませんし。
まあどちらの方法で捉えようとも、「断片的な時間、フラッシュバック的な時間が流れてい」るというこのコマ割の魅力は変わらないんですよ。内側のコマ枠が揃っていようとずれていようと、外側のコマ枠や高さがずれている時点で、コマから断片性は発揮されるからです。
右下のマネージャーのコマと左下の撮影スタッフのコマを連続して読まなくとも意味解釈の違いは起きないだろうし、むしろ読まないほうが断片性は上がるのではないか、とも思ったり。
ただ、私の読み方だと

「キャラクタの部分(コマ内)→全体(中央)→部分→全体」と視線が振られ(上図)、中心のキャラクタから映像を切るとるという演出を行い、それによりあたかも「グラビアを撮影している」という錯覚に陥らせるような効果を生み出しています

という視線の動きは存在しないんですよね。私の場合、ジグザグではなく、縦方向の直線的な視線移動ですから。
けれど、まず14(6)と読んで断片的な少女像を見て取り、そして中央の少女全体像を把握し、再び23(5)と断片像を見る。この形式もこれはこれでまた別のグラビアっぽさがある気がします。なんだグラビアっぽさって。




まあそんなこんなでの話でした。予想以上に軽くならなかったな。
第一原則と第二原則がなぜそうあるのかというのはまた別の話なので気が向いたらまた後日。
あ、「第一原則」とか「法則」とか書いてますがこの記事内の便宜的なネーミングですので、そこらへんはご了承ください。余所で唐突にその言葉を出してきょとんとされても責任は負いかねますぜ。






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