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松井優征「離婚調停」に見る、起承転結の入れ子構造の話

魔人探偵脳噛ネウロ 23 (ジャンプコミックス)

魔人探偵脳噛ネウロ 23 (ジャンプコミックス)

堂々の完結を迎えた「魔人探偵脳噛ネウロ」。松井先生、四年間お疲れさまでした。
と言いながら、今日は23巻に収録されている連載終了後の短編「離婚調停」のお話。「ネウロ」本編の話はまたいずれ。たぶん。
あ、ネタバレ前提で話を進めるので、未読の方はご注意。






タイトルとは裏腹に、ファンタジー風味のこのお話。
舞台は?年後の地球。恐らく人間の環境破壊により、極端に水が少なくなってしまっています。
主人公は少女ルカ。日本は新潟で、ジューススタンドを経営して生計を得ています。
そのルカが落石に脚を挟まれて難儀しているところに通りかかった、剣を引きずって歩く謎の男性。歩く方向を一切変えない彼の引きずる剣により岩はバターのようにすっぱり切れて、ルカは事なきを得ました。そこからなんやかやあって、阿漕な商売をしている山本家にちょっぴり罰を与えて、男性とルカは日本海(作中では日本沼)で別れます。そして、できたら男性側の人間になりたいな、と思うルカでエンディングです。
トーリーの構造を考えると、まず読み手の目と同一化されることになる、主人公のルカ視点があります。今書いたあらすじの視点ですね。この38pで、ルカにとっての一つの物語の起承転結が始まり、終わっています。
そして、もう一段階上の次元で物語はまた存在しています。つまり、ルカが出逢った男性=神様の物語です。
ルカが知りうる神様の物語は、彼が地球の管理を放任しすぎたせいで地球の資産価値は激減、いい加減愛想をつかした彼とつがいであるもう一柱の女性神(例えば、ゼウスで言うところのヘラ、イザナギで言うところのイザナミ)との「離婚調停」に向けて資産である地球を平等に折半するために、剣で地球を真っ二つに切り分けながら彼はブラジルから歩き続け、スタートから半周した日本は新潟でルカに出会った、と。
彼の物語は直接的な描写ではなく、あくまで彼が語っただけのものですが、確かに存在しています。彼の物語がなければ、ルカの物語も存在できないからです。
そして、彼の物語はまだ起承転結を閉じていません。
彼の物語を起承転結で分ければ

  • 起 キレたカミさんに離婚を言い渡され、地球を折半することになる。
  • 承 地球を分割する途中で、色々な生命に出会う。
  • 転 なんか大きな事件に出くわす。
  • 結 カミさんに財産分与。後日談。

まあ適当に考えればこんな具合ですか。あくまで適当ですんで、もっと才能あるストーリーメイカーでしたら、また違った魅力ある起承転結(特に承転)を考えてくれることでしょう。
ルカの物語は承、もしくは転に属するもので、彼女の物語の起承転結が終わっても、神様の物語はまだ終わっていません。彼の地球一周の旅はまだ途中ですから。
このように、ルカの物語を成立させるための神様のメタ物語は、ルカの物語と関係なく続いていくのです。
また、神様のこの物語も、さらに上の次元の物語の一部として考えることができます。つまり、そもそもの地球を作ったところからスタートする物語(メタメタ物語)で、その場合さしずめメタ物語は「転」に属する感じでしょうか。
むりくり考えれば、もっと上さらに上といけなくもないですが、そこまで行くと漠然としすぎるものになってしまいそうなので、ここらへんで止めておくのが妥当でしょう。岡本一広先生の短編「仏頂面プラネタリウム」の中で「世の中たいがいのことは、『なんで』を10回も繰り返せば宇宙の謎にたどりつくんだ」というセリフがありますが、それと似たようなもんですね。問題をどんどん高次なものに繰り上げていくと、最終的にはどれも似通った答えの出ない問いに行き着くもんです。神様より高次の物語を物語を考えるには、私の脳味噌は普通すぎます。


閑話休題
こんな風に、特にファンタジー風味の短編の場合、作中でメインとなる物語のさらに一段階上にまた別の物語がある場合がよく見られる気がします。物語と言うと分かりづらいかもしれませんが、要は「事件」ですわな。ある日、主人公がなにかしらの事件に巻き込まれるというのは、物語の類型パターンの一つだと言えるでしょう*1
これは短編に限らないだろうという方もいるでしょうが、長期連載モノと短編作品の違いは、前者は高次の物語も主人公の物語により幕を閉じる場合が多いということです。
例えば「ダイの大冒険」。主人公ダイはアバンたちがデルムリン島に来ることで、世界平和のための物語に巻き込まれていき、最終的にはダイが大魔王バーンを倒すことで平和は取り戻され、ダイの物語と共に高次の物語も終わりました。設定のみ存在していた魔界編はまあ措いといて。
例えば「なるたる」。主人公のシイナは(実情はともかく状況としては)「巻き込まれ型」として物語が始まりましたが、その背後には「龍」にまつわる地球規模の物語が既にあり、最終的には彼女(ともう一人)の手によって高次の物語も終わりを告げ、彼女の物語の終わりと共に別の新たな物語が始まっています。
まあ打ち切りによって連載が終わってしまったものに関しては、この限りではないですがね。「シャーマンキング」は幸いにも完全版で終わることができましたが。




んでまあ、この起承転結の入れ子構造、主人公の物語(読み手が読めるストーリー)が終わってもまだ高次の物語が存続しているという構造は、私の嗜好にかなりあうのですが、それは多分、今までにも何度か言及してきた私の好む「非日常の中の日常」を描く作品(例;「ヨコハマ買出し紀行」、「カブのイサキ」など)と相性がいいことと無関係ではないと思います。
この場合の「日常」は、物語の前後で主人公の人生(性格や生活など)が劇的に変化しないということを意味するのですが、大枠の「非日常」は主人公の物語をメタ的に包括しており、そのなかで起こる「日常」的な事件は、主人公の物語を彩ることはしても、決定的に変更を迫ったり、あるいはメタ物語に影響を与えることをしません。あくまで「日常」は日常のままそれまでの流れに回収されます。
「離婚調停」でも、ルカは神様に出逢ったにも変わらず、彼女の人生がそれで劇的な変化を遂げたわけではありません。彼女は神様の存在を知り、未来にちょっぴり願望を持っただけです。
このような私の嗜好に適う「離婚調停」は、その点でもとってもいい作品。「ネウロ」の完結プラス「離婚調停」で420円なんてとってもお買い得です。




創作上の観点からまとめるなら、メタ物語の「承」、もしくは「転」にあたる部分で物語を展開するのが、短編作品は作りやすいのかな、と。


また、「セカイ系」というやつもこの観点で考えると何か思いつきそうな気もしますが、またそれは別の機会に。






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*1:物語の発生という観点から見れば、「自発型」か「巻き込まれ型」で大別できる感じです