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アニメ「化物語」には物語の重さが足りなくはないかという話

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

化物語」が二話まで放映され、原作の「ひたぎクラブ」分まで補完されたわけですが、さてさてみなさんどんな感想をもったでしょうか。
私は有り体に言って不満です。放映前から期待と不安が4:6でありましたが、見事ベット通りの結果になってしまったわけで。
ですが、観て感じた不満は、事前に不安に思っていたこととはいささか違った形でした。
この予想外の不満がどのようなもので、何に由来するものなのか考えてみたいと思います。


私が放送前になにより危惧していたことは、「あの怒涛の会話劇をアニメ媒体で表現できるものなのか」ということでした。
巻を重ねるにつれ、作品にこめられた西尾氏の趣味度数がどんどん上がっていく「化物語」シリーズですが、作品の根幹は「とにかく馬鹿な掛け合いに満ちた楽しげな小説を書きたかった」*1というものです。そこらへんは最新刊の「偽物語 上・下」を読めば頷けることでしょう。なんだよ、全体の5割以上が掛け合いに終始してるって。本の半分を超えてもまだ本編が転がりださない作品もうそうそうないでしょう(個人的にはちょっとやりすぎかな、と思ってますけど。掛け合いは「化物語 上・下」くらいの量が私には丁度いい)。
このお馬鹿な掛け合いは文字で表現されているから陳腐にならないのではないか、実際に声がついたらお寒いことになってしまうのではないか、というのが私の危惧だったのです。
化物語」がアニメに向かないというのはそもそも西尾氏も自覚的に作っていたようで、詳しくはこちらのインタビュー(【かーずSP】 西尾維新先生に訊く 「化物語」アニメ化記念インタビュー・前編)を読んで欲しいのですが、該当箇所を引用すると

この小説をアニメにするのは無理だろうと思ったんです。と言いますのも、『化物語』はメディアミックス不可能な小説というコンセプトで書いたものだったからです。

 2005年当時はちょうどライトノベルブーム真っ盛りで、新レーベル設立やメディアミックスなどのイベントが多かったんです。だからその流れに反して「アニメ化も実写化も漫画化もドラマCD化も出来ない、メディアミックス不可能な小説は果たして書けるのだろうか」という思いで、活字のみの力を信じた小説に挑戦したのが、『化物語』の上巻に収録されている第一話「ひたぎクラブ」だったんですよ。

こんな具合です。
私は放送前にこの記事を読んで、「ああ、やっぱり自分が考えていたことはだいたいあたってたんだな」と思ったのですが、実際に放送を観て思うに、どうやら西尾氏の意図はもうちょっと深いところにあったようなのです。


私が放送後に抱いた不満は、意外なことに「会話が寒い」ではありませんでした。思ったより(あくまで思ったより)、あの会話が音読されることに違和感はなかったのです。
ですが、それ以上に感じたこと。それは「物語が薄い」ということ。
どうでしょう、同様のことを感じた人はいないでしょうか。
もしかしたら私が原作を読んでいるから、つまり小説とアニメの比較の問題でそう感じるのかもしれませんが、一、二話を観て、なんだかストーリーにメリハリがないなあとはアニメのみを観た人でも感じるのではないでしょうか。
なぜかと思い改めて小説を読み返したんですが、けっこう大事な部分をはしょっているんですよね、アニメでは。
具体的な例を挙げながら考えてみましょう。
小説は阿良々木君の一人称で書かれているので、必然読み手は阿良々木君に感情移入をしやすいです。感情移入というか、視点の同一化ですか。だから、阿良々木君が知らないことは読み手も知らないままですし、阿良々木君が勘違いしていることを読み手が勘違いしないで済むというのは構造的にほとんどありえない状態です(まあ阿良々木君の恋愛感情に対する鈍さは、明らかに読み手にはわかるように書かれていますが)。なので、阿良々木君が勘違いしていた戦場ヶ原に関する時系列(彼女がいつ重さをなくし、彼女の母親がいつ宗教に嵌ったのか)は、読み手も同様に勘違いしたままになっていて、回想シーン(章番号007)で阿良々木君が勘違いに気づくことで同時に読み手も物語のからくりに気づき、物語のカタルシス(もっと簡単に言えばミステリ的な種明かし)を読み手は得るのです。
小説ではその阿良々木君の勘違いをきちんと描写しているのですが*2、アニメではカットされていたと思います。たぶん。確認はできないので断言はできませんが。あったらすみません。
そのせいで、二話まで観終わってもなんかこう一段落ついた気がしないのです。
これが最たるところですが、それ以外もちょこちょこ心理描写がカットされています。


さて、具体的な話を離れて、小説「化物語」の構造を考慮しつつ抽象的に捉えてみましょう。
化物語」はほとんど全編通して、阿良々木君のモノローグか会話文で成り立っています。地の文の中で具体的な動作の描写が非常に少なく、キャラクターの行動に対して阿良々木君が何かしら抱いた印象の心理描写にほとんどの文章が費やされているのです。
西尾氏が「アニメ化も実写化も漫画化もドラマCD化も出来ない」作品を目指したのは、まさにこの点に現れているのだと思います。
レトリックをふんだんに使われた心理描写は極めて絵にしづらいのです。
モノローグも会話も、つまりは喋り言葉です。喋っている言葉です。喋りを動作に変換して同等の意味をもたせるのは、かなり難しい。それも、これだけレトリックを使われては。そっくりそのまま表現するなら、声優さんにモノローグを一々読み上げてもらえばいいのですが、それではアニメ化する甲斐がない。せっかくの絵というアドバンテージが活かしきれない。つーか、あの文章を全部読み上げさせたら二話じゃおさまらん。
で、シャフトスタッフが選んだのは、言葉の大幅なカットと、独特の映像表現によるニュアンスの追加でしたが、それで喋りによる心理描写を補えたかと言うと私はノーと言うしかありません。


うん、というか、喋りでもって作られている「物語」なのにその喋りを大幅にカットしてしまっては、「物語」が薄くなってしまうのは当然と言えば当然です。それをフォローするには、他の要素でめっちゃ巧みに補わなければいけないのです。
シャフトは、言葉で表現されているものを奇抜な映像表現でなんとかする道を選んだわけですが、その「言葉以外で表現しようとしたもの」は「物語」の厚みに貢献できなかったようなのです。
私見では、シャフトのあの映像表現は、「物語」とは無関係な部分、言葉を選ばず言えば小手先の部分を強めているだけで、ストーリーの強度にはなんら寄与していないと思うのですよ。
化物語」(シリーズでなく「化物語」。「傷物語」はまだしも、「偽物語」はちと趣味が強すぎて、以下の部分には該当しがたい)のいいところは、「馬鹿な掛け合い」を思いっきりフィーチャーしても、それでも「物語」としての体裁を失っていないところです。噛み砕いて言えば、ギャグ部分以外のストーリー部もしっかり作られているということ。
今回のアニメは、その点がないがしろにされていると思います。
同じシャフト作品でも「絶望先生」なんかは「物語」性の薄い作品(ネタ色の強い作品)ですから、実験的な映像表現もネタに絡めて行くということで成立したでしょう。ですが「化物語」は、馬鹿な掛け合いの裏にも「物語」が潜んでいる。シャフトがどれだけ奇抜な映像表現を使ってもいいのですが、「化物語」が原作モノである以上、原作の根っこの部分をなくしてしまうのはいかがなものかと私は思います。
以前触れた忍野や阿良々木君の見た目なんかはそれこそ枝葉末節で、もともと絵になっていなかったものをシャフトがいかように解釈してもそれは作り手のセンスに任されるものですが(それでも忍野の逆十字はいただけない。浄衣になっても逆十時のピアスをしているのは、さすがにやり過ぎだろう)、馬鹿な掛け合いとその裏に隠れた「物語」性、その両方を失くしてしまうのは、原作ファンとしては首をひねらざるを得ません(ちなみに原作未読の友人も「ビミョー」と言ってました)。


改めて端的にまとめれば、アニメ「化物語」の奇抜な映像表現は小手先の面白味には貢献しても、ストーリーの濃さには貢献していなくて、小説の「化物語」にはあった物語の重みがなくなっているのです。なんだ、蟹に行き遭ったか?
モノローグにしろ会話文にしろ、情景や動作の描写を極力切り詰め、喋りの言葉の心理描写でほとんど全部進行していく小説(「アニメ化も実写化も漫画化もドラマCD化も出来ない、メディアミックス不可能な小説」)をアニメ化するには、まだまだ練りこみが足りなかったのかなと、二話まで見た時点では私は感じました。
明日には第三話が放映され八九寺真宵が登場しますが、以降もずっとこの調子だとしたら、残念無念といったところです。


以下余談ですが、二話で何度かアップになった戦場ヶ原の蔵書ですが、「巌窟王」、「白髪鬼」、「鉄火面」、「死美人」、「幽霊亭」、「暗黒星」と、確認できる範囲では全て黒岩涙香氏の著作です。これは(以下、軽いネタバレのため反転。まあ本筋には一切関係しないことだけど)原作では「つばさキャット」で黒岩涙香氏に触れる会話があるので(具体的には【003】の車内での会話シーン)、その伏線なのかなと思います。でも、二話の中で夢野久作が好きな作家として出てくるのだから、その著作でよかったんじゃないかなとも思ったり。
あと、原作からの乖離はともかくキャラとして阿良々木姉妹がとてもいいと思います。たぶん「偽物語」はアニメでやらないだろうから、賑やかしとしてしか出なそうな二人ですが、あのかしましさ(一人足らないけど)は可愛らしい。これはGJ。
こういう「物語」性とは無関係な部分での改変は別にいいんですけどね。






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*1:化物語 上 あとがき p445より

*2:化物語 上」p50、51