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谷川史子「くらしのいずみ」とスピッツ「トゲトゲの木」から感じる親和性の話

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以前こんな記事を書いたんですが、今日はその続編的なものを。

くらしのいずみ (ヤングキングコミックス)

くらしのいずみ (ヤングキングコミックス)

マイナー気味な話になってしまって恐縮ですが、谷川史子先生が少年画報社から出した「くらしのいずみ」に収録されている「4軒目・矢野家」とスピッツの「トゲトゲの木」の相性が異常にいい気がします。漫画をお手持ちの方は、一度この曲を聴いてから、是非もう一度リピートしながら読んでみてください。
アルバム「花鳥風月」より
D
さあどうでしょう。
漫画を持っていない方に作品のプロットを説明をすると、


主人公・大学二年生の顕生は、中学生の男の子と見紛うばかりの、小柄で元気な大学一年生の少女・多恵とひょんなことから出会う。なんやかやで付き合うことになった二人は、多恵との交際が彼女の母親にばれたのを契機に学生結婚をした。幸せに暮らす二人。でも、多恵には持病があり、それを隠したままだった二人の生活は、三年後の彼女の病死で終わりを告げた……


これはあくまでプロットですし、話の全部を説明したわけでもありません。実際は、物語の初めが多恵の葬式からだったりします。最後は、ハッピーエンドとは言えないかもしれませんが、グッドエンドではあると思います。
とはいえ、いきなり妻の死から始まっているあたり、決して明るい話というわけではないんですよ。
聴いてもらえばわかるとおり、「トゲトゲの木」は能天気な曲調と夢想的な詩で、悲しげな雰囲気とは縁遠い曲です(歌詞はこちらでスピッツ/トゲトゲの木)。
それなのに、なぜこの二つに高い親和性を感じるのか。


まずスピッツ方面から考えればこの曲の歌詞、よーく読んでみると、どこか夢想的、牧歌的なようでいて、その実妙に心寂しい感じがある、というか、ほとんどは夢想的な言葉なのに、そっと挟まれている不穏な言葉のせいで、全体に別離のニュアンスが漂っていると思うんです。
具体的には各サビ後の

Uh… 元気でね 
Uh… いつまでも

と、2サビの

だけど僕がまばたきをしたその瞬間に
もう目の前から君は消えていた

ですね。
特に2サビのフレーズは決定的です。1サビ後の「Uh…〜」だけでは、ただの「おわかれ」ですが、2サビの後に「Uh…〜」が来ることで、これは完全に「別離」になります。「めぞん一刻」風に言えば「so long goodbye」と「long goodbye」の違い。
大事なのは、最後の最後である2サビでこれがでてくることですね。最後に別離を匂わせる歌詞を挿入することで、今までの夢想的な歌詞を一気に回顧的なニュアンスにひっくり返します。つまり、どこか現実離れしていたそれまでの歌詞は、コツはもういなくなった誰かとの思い出を歌っていたものだったのだ、と最後に聴き手は知るのです。
そしてこの構造、漫画を読んでもらえばわかるのですが、「4軒目・矢野家」の構造と同じなのです。
上でも書いたとおり、この作品のスタートは妻の葬式です。言ってみれば、物語が始まった時点で事件は全て終わっており、以降のほとんどは主人公の回想で語られます。そして、やはり終盤で自分の近い将来の死を予感していた妻が書いた手紙を主人公が発見し、彼は妻が秘めていた思い、そして彼女自身を度外視した自分への愛情を思い知って、妻の後を追おうとしていた自分の気持ちを改めるのです(一応ネタバレにつき反転。まあ、正直ネタが大事な作品と言うわけではないので、いいっちゃいいんですが、念のため)。
ひっくり返されるベクトルは真逆ですが、その逆転の軸は二つとも「相手との別れ」であるところに、両作品の類似性があると言ってもいいでしょう。
このような作品としての構造に、一つの理由があると思います。


また、何度か曲を聴き、歌詞を見て、漫画を読むと、ある別の解釈の仕方に気づきます。
「4軒目・矢野家」の主人公は当然夫。つまり男性。「トゲトゲの木」の主語は「僕」なので、こちらの主体も男性だと思うのが普通です。
ですが、亡くなった妻は上でも書いたとおり、「中学生の男の子と見紛うばかりの、小柄で元気な」女性。その印象として、幼い少年らしさを秘めている女性です。で、まあ何が言いたいのかと言えば、彼女を「ぼくっ娘」と考えてもそれほど違和感はない、という乱暴な話なんですね、これが。
もちろん作中で彼女の一人称は「私」。ぼくっ娘ではありません。けれど、「トゲトゲの木」の「僕」を彼女として考えてみると、これまた素敵なニュアンスが出てくるんですよ。それはこの曲の歌詞が彼女が残した手紙の一部分、いや、彼女が手紙を書いている時に思っていた、彼との思い出の数々であるようにも思えてくるんです。つまり、「元気でね」と言っているのは、彼ではなく彼女である。まばたきをしたら消えた「君」も、「彼女」ではなく「彼」である、みたいな。
この二重構造というか、逆さま騙し絵というか、不思議な感覚は、なんかいいなと思います。


あとはもうちょっと感覚的な言葉を並べれば、両者に共通して感じるのが、「空っぽな明るさ」なんですよね。表面は明るいけれど、中身は空虚。見た目は普通なくせに、一枚めくればがらんどう。そんな感情の空疎さを、私は両者から感じます。


どれだけの人間がついてきてくださっているのか怖いですが、谷川先生の本は少女漫画少女漫画してなくて、そういうのに慣れていない人にもお薦めですよ。表紙の絵の女性は妙に髪がもっさりしていて時代がかっている印象がありますが、中の絵はもっと軽やかです。一話完結物が多いですし、コマ割もまあ普通、ページ数も多くないですから、とっつきやすいと思いますよ。そして、買った暁には是非「トゲトゲの木」とあわせて読んでみてください。






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