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漫画の話です。

ジャズを中心に色々だだらな音楽(と漫画)の話

前回の記事のコメント等で、ジャズを扱っている漫画を色々教えていただきありがとうございました。わたしの知らないところで、やはり色々な漫画があるのだなあと思った次第です。
まあ今日はそのだだらな続きで、もうちょっと音楽に関連した話をしてみようかと。


実際に楽器を演奏している(いた)人と、ただのリスナーの絶対数の違いってものを想像してみると、その差が一番大きいのはやっぱり広義のロック(バンドミュージック)だと思うんですよ。なにしろそのリスナーの母数が他の分野とはずいぶん違うから。高校の頃を思い出すと、クラスでギターやベース、ドラムやキーボをやっている人間は一割いるかどうかだとは思うけど、お気に入りのロックバンドがいないやつってのもまた一割いるかどうかだと思うんですよ。まあ私の出身は男子校で進学校なので、母集団にいくらか偏りがあるかもしれませんけど。
特に高校くらいまでだと、クラシックやジャズに傾倒している人間なんてほんの一握りだったんじゃないでしょうか。世の中には高校の時分からクラシックやジャズをする部活もありますので、そういうところで話を聞けば違ってくるのでしょうが、私の高校には吹奏楽部しかありませんでしたから、部内でさえも、吹奏楽も含む器楽系の音楽よりも、普通のロックやJ-POPの方が人気があったと思います。私自身、そうでしたし。
かといって、大学入ってビッグバンドサークルに入っても、みんながみんなジャズしか聴かないというわけじゃないし、クラシック好きの友人も普通にJ-POPを嗜みます。
そう考えれば、音楽漫画でロックがテーマになりやすいってのも道理ですよね。直接的にテーマとはしなくとも、登場人物の設定のアクセントとしてロッカーというのは、資料が多いし、読み手の共感も得やすいから、手軽っちゃ手軽なのでしょう。リスナーの母数に作者自体が含まれていることも考えれば、その他器楽系よりもロックを好む作者の方が比率として多いでしょうし。


あとは前回もちょろっと書きましたが、ロックという分野と青春劇という分野の相性のよさですか。
十代の(理由なき)反抗心とロックの相性のよさは、ジェームス・ディーンの昔から言われていることですが、何かに牙をむく若人の武器としてエレキギターを持たせるのは、自然なことではあります。
ジャズも根っこのところで反逆の歌と言えばそうなんですが、それはもっと(良くも悪くも)重苦しいもの。ロックと若者のように、カウンターパワーこそがそもそもの推力である(=根っこに確たる理由がない)「軽さ」がありません。もちろん、現在のジャズシーンにはそこまでブラックな雰囲気はありませんが。つーか、日本人にそんなブラックを感じ取るのは土台無理ではありますよね。音楽としてのブラックではなく、人種問題としてのブラック。島国で過ごせた日本人がそれを感じようとしても、ほぼすべての人が借り物の感覚を味わうしかないでしょう。
閑話休題
若者が感じる「社会からの閉塞感」は、戦後以降を考えれば欧米も日本も共通して持ってはいたのだと思います。ロックの流入と、若者の「理由なき反抗」は軌を一にしていたりするのかな。戦前、もっと遡って大正、明治もそういうものがあったのかどうかは想像ができません。
しかし、それを言っちゃえば欧米にも戦前から若者の「理由なき反抗」があったかもわからないわけで。社会学やら何やらの文献を紐解けばいくらかわかるんかも知れませんけどね。
個人的には、社会体制の変動が少なかったイギリスやアメリカでロックやパンクが流行したのは故なきことではないと思います。社会体制が不安定だと、若者の鬱憤はそれを倒す方に向かって、「社会からの閉塞感」なんて抽象的なものには向かわないでしょうから。
閑話休題その2。
まあそんなこんなで、戦後の若者の鬱憤と、その武器となるロック(ギター)。その下地はジャズやクラシックより長いでしょう。ああ、でもジャズは戦後に進駐軍と一緒に流入したのだから、ほぼ同時か下手すれば早いくらいなのか。と思って念のため調べたら、20世紀頭にはもう日本にきていたし、1923年には日本で最初のプロのジャズバンドも生まれていたそうな。ロックよりよっぽど早いのねん。はてさてクラシックが日本に入ってきたのはいつなのだろう。軽くググっても出てこなかったなぁ。
それはともかく、なぜか地下へ潜った感のあるジャズと、表舞台の裏側に陣取った感のあるロック。学生紛争の時に、紫煙くゆるジャズ喫茶にこもった気取った学生たちと、四畳半フォークとしゃれ込んだ無気力系学生。まあそういう分かれ方だよな、というのは日本ぽくてわかる気がします。これも後付か?
今の私たちくらいの世代(だいたい20代、ひょっとしたら上は30前半くらいまで入るのか)が感じるジャズのイメージには、たぶんここらへんの時代の残滓がこびりついているんじゃないでしょうか。とりあえずタバコの煙が必須みたいな感じ。
ジャズは普通にサブカルだけど、ロックには「サブカル系」と呼べそうなジャンルがある(人間椅子とかスターリンとか。客席に豚の内臓と血液を撒き散らしそうな感じのバンド)っていうのが、わりと一般的な感じ方なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。一旦ジャズの方に脚を突っ込んでしまい「フリーはちょっと俺には理解できん」と思っている私がいるので、ジャズの中でもメイン/サブの差はあるなあと感じるんですが。
閑話休題その3。
ジャズやクラシックを題材に「社会の桎梏からの解放」ってのは、できなくはないでしょうが、そぐわなそうだな、って思うのが私の感覚です。文化的な下地の違いって言うか、むしろロックの懐の広さですかね。
なんでもありですよーっていうロック。「そんなのやるやついなかったぜ」が誉め言葉になりそうなロック(もちろんジャズやクラシックでも革新者には賞賛が与えられますが、それは一定の成功を収めてからです。ロックの場合、革新的であることそのものが一つの価値であると思われやすい気がします)。「TO-Y」や「BECK」もありなら「けいおん」だってあり、「デトロイトメタルシティ」だってありなロック。懐広すぎだろ。


話は飛んで、実際に演奏している人の性格分類ですが、思いっきり私見でざっくりわけちゃうと、クラシックをやっている人間は余裕のあるおっとりさんで、吹奏楽をしている人間は視野が狭いか卑屈で、ジャズをやっている人間は色々と性格が悪いと思います。ロックは千差万別かな。これはたぶん、上手くなったり本気度が上がるにつれて当てはまって、プロになると逆にそんなことはなる感じ。というか、学生の話。正直なところ、どのジャンルでも、楽器が超絶上手くて性格もいい学生というのはお目にかかったことはありません。上手い学生はおしなべて性格が悪かったなというのが、私の学生時代の思い出です。やな思い出だな。


以下余談ですが、ジャズをテーマにした漫画はあまり描かれないでほしい、って思ってる人ってけっこういるんじゃないかな。ジャズ好き(つーか器楽好き)は基本的にスノッブだと思うので、浮ついた新規参入者が大量に流入されることをことのほか嫌うと思うんです。
青年誌、それもフラッパーとかリュウあたりのマイナーな漫画誌で、脚光を浴びないながらも質の高いもの、リアルなものを描いてくれたらいいけど、下手に少年誌で売れ線とかご都合主義的なものを描いてもらいたくないと、きっと思うことでしょう。基本、ハッピーエンドはなしで。
スイングガールズ」にもいい顔しなかったジャズ好きは、たぶん俺だけじゃないはず。
あ、もちろん余談は俺の偏見に基づいて書かれていますよ?




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