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漫画の話です。

「終わりと始まりのマイルス」と鬼頭莫宏のモチーフの話

終わりと始まりのマイルス1 (Fx COMICS)

終わりと始まりのマイルス1 (Fx COMICS)

謎の男・ギカクと一緒に暮らす炁祷師*1のマイルス。彼女たちが暮らす世界・オービスワーヌス(=空環)は宙に浮いている世界。炁は万物にこめられた生物の思い。炁祷師である彼女は、炁物にこめられた様々な思いを空に還していく……


太田出版の「マンガ・エロティクス・エフ」で連載されている鬼頭先生の最新作です。
上のあらすじだけではなんのこっちゃと思うでしょうが、大丈夫です、一回読んだだけでは誰でもなんのこっちゃになります。おまけの解説漫画を読まなければ、設定を飲み込むのに相当苦労するでしょう。読んだところでまだよくわかりませんし(というか、その解説漫画の中にさえ今後設定が変わるかもしれないという旨の台詞が出てきますし)。
ということで、現段階では説明するのがとても難しい作品です。「炁」や「神」などのキーワードを詳しく説明しようとすると、それだけで退屈な上にわかりづらい文章に紙幅を割くこと必至です。けれど、それらに充分納得していなくても楽しめる魅力がこの作品にはあります。とりあえず、細かいところに踏み込まなくてもできる話をしましょう。


私が感じたこの作品最大の特徴は、キャッチーさです。「ヴァンデミエールの翼」から「なるたる」、「ぼくらの」と、基本的に連載作品は鬱漫画となる鬼頭先生ですが、この作品ではその空気がとても薄いです。なにしろまだ人が死んでもいなければ殺されてもいません。ギャグ描写やデフォルメ顔も多く、殺伐とした雰囲気もない。読みやすさは鬼頭先生の作品の中でも随一でしょう。

あとは、「性」に関する明るさですね。「性(=生)」と「死」について真っ向からゴリゴリ描いていくのが鬼頭先生の作風ですが、そこに性が描かれる時、多くの場合インモラルな空気がつきまといます。インモラルというか、アンチ常識というか、性の社会通念に対する「こども」の問いというか。「ヴァンデミエール」は人形愛(で言い切るのも乱暴ですけど、要は生命を持たないものとの(性)愛はどうなるのか)、「なるたる」では兄妹間での性交やレイプ。「ぼくらの」では意図しない売春とかですか。
それゆえ、鬼頭先生の作品にまつわる「性」は淫靡な形式をとりやすいですが、この作品ではあっけらかんと性交が描かれています。もちろん直接的なセックスシーンはありませんが(たいていは朝チュン的な事後シーン)、そこには開放的なニュアンスしかないのです。
今のところセックスはマイルスとギカクのものしかありませんが、それについて登場人物が「して当然」と認識しています。それについては炁祷師としてのマイルスと権化した神(ネタバレって程じゃないけど、作品内で知った方が面白いので文字反転)であるギカクの関係性も考慮に入れるべきなのでしょうが、作品世界において彼女らのセックスはインモラルなものとは思われていないのです。
精力絶倫なギカクと、それにうんざりしながらもつきあってしまうマイルス。いやよいやよも好きのうち、ではないですが、マイルスも決してまんざらではないのです(さすがに縛られたり叩かれたりはいやなようですが)。早い話、誰も傷ついていないセックス、誰からも後ろ指を差されないセックスが描かれているんです。たぶんそれは、鬼頭先生の作品ではかなり珍しいと思います。


さて、ちょっとだけ中身に踏み込んだ話をしましょう。
上述した連載三作品は、みな「日常に侵入した非日常」の話ですが、この作品(及び、同じく太田出版から出ている「殻都市の夢」)は、「(読み手にとっての)非日常を暮らしている日常」を描いている作品です。その意味で、芦奈野ひとし先生の「カブのイサキ」と同じ世界観だと言えるでしょう(参考:カブのイサキ/芦奈野ひとし/講談社 - ポンコツ山田.com)。
世界がどれだけ読み手にとっての非日常かというと、この作品世界・オービスワーヌスはこんな世界です。

(同書 p149)
イメージとしては、地球が中心部と表面の一部を残して空洞になった感じでしょうか。マイルスたちが住む陸や海(オービスワーヌス)が球体面上に点在し、中心には「小さな世界(=ムンドゥパルゥス)」があります。この「小さな世界」から炁物*2が浮かび上がってきて、オービスの人々はそれを利用しています。
炁がある程度以上溜まり「回路」が形成され、それも一定量以上大きくなると(本当はもうちょっと複雑なので、是非作品内の解説漫画を読んでください)、「神」が権化します。この「神」とは、「小さな世界」で言う、妖怪や妖精、お化け、悪魔、鬼、天使、龍、神様となるそうです。
さて、こう書くとピンと来ると思うのですが、「小さな世界」は私たち読み手の世界と同一視してよさそうです。つまり、私たちの世界で思い入れ深く使った物体は、その思い入れが飽和すると、思いが形をとってオービスの世界まで上がっていくのだというのです。言ってみれば、オービスワーヌスは実体物にとっての「あの世」だということでしょうか。
この「空の上にある『あの世』」のイメージは私たちにも馴染み深いものだと思いますが、作中ではそれを補強するように、オービスの人々は道具を使って平然と苦労なく空を飛びます。

(同書 p13)
空を飛ぶ描写、高いところにいる描写は鬼頭先生の作品で頻出するものだと思います。「ヴァンデミエール」では翼を持つ人形や飛行機、飛行船。「なるたる」ではホシマルに乗って空を駆るシイナ。「ぼくらの」ではジアースから見る高所からの絶景。「空」もまた鬼頭先生のモチーフの一つだと言えるでしょう。
しかし空は美しいものであり、同時に死と絶望に満ち満ちた空間です(参考;抜けるほど青い空の虚無と絶望 - ポンコツ山田.com)。あの世が空の向こうにあるというイメージはそれと無関係ではないでしょうし、カール・ブッセの詩で、幸せは「空の遠く」に住んでいると詠われたのも、「幸せは手が届かないところに住んでいる」というニュアンスを孕ませたかったからでしょう。「ここ」から地続きではない空の遠さは、死の遠さとリンクしているのではないでしょうか。
空を飛んでいるものと自分を同一視して得ることによる気持ちよさは、死に近づく気持ちよさという危険な比喩も含意しているのではないか、とかなんとか暴論をふりかざしてみたりして。


あと、鬼頭先生のタイトルネーミングのセンスはとても好きなのですが、この「終わりと始まりのマイルス」はその中でも白眉だと思います。








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*1:「炁(キ)」は「既」のつくりに「れっか」。「気」の異体字だそうな

*2:まず、「炁」とは作中の言葉を借りれば「生物によって物体に付与された思い入れ」。「炁物」は、炁で構成された、その炁がこめられた実体物の形をとったもの。生物が物体を使えば使うほど、そこには炁が溜まっていく。そして炁には浮力があり、炁がある程度以上溜まってくると世界に留まっていられず、より上空に浮かび上がっていってしまう。