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漫画の話です。

生産性のない趣味と、趣味の根底にある自由さについて

以前伊集院光のラジオ番組で、彼はこんな話をしていました。「ゲームなんて時間の無駄じゃないか」と言われた伊集院が、「そんなのわかっている。時間の無駄だから楽しいんだ」とかなんとか。
確かその頃の伊集院がはまっていたのは「パワプロ」シリーズ、もしくは「シレン」シリーズだったと思うのですが、どちらも「時間の浪費」でしかないゲームです。それをやりこんだからといって、なんの実利があるわけでもありません。まあやりこんで実利があるゲームなんて、DSの勉強系くらいですけど。
ゲームが時間の浪費であるというのはある面で真実ですけど、全体像としてより真実に近いのはやはり伊集院の意見の方で、彼の「時間の無駄だから楽しいんだ」の真意は、「空いている時間だからこそ無意味に使いたい」ということではないかと思います。そりゃあ仕事をするべき時間にゲームをやっていればどう考えても時間の無駄ですが、なにをしてもいい時間になんの実利ももたらさない純粋な娯楽をするというのは、それこそが正に「趣味」ですよね。「無駄な時間」をゲームで「楽しい時間」にしているというなら、趣味として非常に有意義なものであるはずです。


さてそこから話は飛びますが、テレビゲームは基本的に生産性のない娯楽です。そしてこれはテレビゲームの価値を貶めるものでは一切ないと私は思っています。生産性がないからこそ趣味としてのめりこめる。それがテレビゲームの価値だと思うのです。
そしてそれはテレビゲームに留まらず、趣味一般に敷衍できる話です。生産性のない趣味だからこそ、人はそれに没頭できるのです。
生産性とは実利とほぼイコールです。簡単な話、その趣味に没頭することでお金が手に入るなら、それは生産性のある趣味といえます。
例えば漫画などの同人活動があります。私自身にそのような活動をしている人たちとの交流が皆無なので、web上の伝聞レベルの話なのですが、多くのケースでこれらを行っている人たちの目的はお金ではないように思われます。二次創作ならある作品に対する愛情とか、同好の士との交流とか、そのようなものを旨としてやっているようです。オリジナルならもっぱら後者ですか。
中には学生もいるでしょうが、たいがいは社会人でしょう。人口全体のバランスを考えてもそれは当然です。学生でも社会人でも、趣味で(生産性を求めないで)同人活動をやっている人間は、そこから派生する金銭問題には基本的には振り回されません。というかお金に振り回されない範囲でやるのが趣味なのです。他に収入の当てがあるからこそ、趣味は趣味のままでいられます。
もし趣味に生産性が過剰に侵入してきて、趣味から産まれる利益で自分の生活が回るようになったら、それはもう趣味ではなく仕事です。仕事である以上、生活のためには自分の望まない方向に行かなくてはならないこともあるかもしれません。「売れ線」狙いというヤツです。趣味でやっていたときにも固定客はいたけれど、もっとお金を稼ぐためには支持層の多い分野にも手を出さなくてはいけない。自分ではそれはしたくないけれど。で、結果作品の中に迷いが出て、新規層どころか以前の固定客にも飽きられる……
誰しもどっかできいたことがありそうな話ですね。これが「趣味を仕事にしてはいけない」という話のからくりだと思います。
これは一つの極論ですが、もっとハードルを下げてもその事情は変わりません。生産性=実利としなくとも、例えばどこかに作品を発表するとか、試合で勝つとか、そういうことに過剰に囚われすぎてもやはり趣味の娯楽性は薄まっていってしまいます。もちろんそれらが悪いわけではまるでありません。あくまで、「過剰に」囚われて本来の描いて楽しい、運動して楽しいなどの単純な楽しさを見失うと怖いよね、ということです。あくまで趣味なんですから。その点それを仕事としてしまった漫画家やスポーツ選手とは事情が違います。
誤解を恐れず言えば、趣味のいいところは途中で投げ出せるところです。趣味が趣味で留まっている限り、面倒くさくなって投げ出しても別に迷惑はかからないんです。それでも、例えば同人誌で共同で描こうとしていた片割れがいきなり投げ出せば果てしなく迷惑になりますが、それはもうそこに生産性が忍び込んでいるからです。ここでは生産性=実利ではなく、=作品発表くらいにハードルは下がっていますが、それでも趣味本来の自由さは削がれてしまっているのです。
そう考えると、テレビゲームというのはやっぱり趣味としてすごくいいんです。だって飽きたら投げ出していいし、嫌になったらやらなくてもいいんですから。そして、生産性という概念につながる道が恐ろしく狭い。悪い意味でなく、非常に閉鎖的な趣味なんです。だからこそ、テレビゲームは純粋に娯楽性が高いんです。
ゲームにはまれるというのは、逆説的ですが、いつでも投げ出していいから、やってることに責任なんかまるでないから、好き勝手にはまれるんです。他人が作ったノルマなんか関係ないから、自分で楽しめる内はいくらでもはまれる、それが生産性の低いテレビゲームの特徴なんだと思います。
読書や音楽鑑賞もそうっちゃそうなんですけど、たぶんゲームよりは生産性に結びつきやすいですよね。自分も作る側に回るハードルがゲームより低いので。


大事なことなのでもう一度書きましょうか。趣味は投げ出してもいいんです。好き勝手にやっていいんです。だから趣味なんです。発表の場などの色々縛りがあるほうが面白くもありますけど、最後の最後のその根本的な自由さを意識してると、気楽にやれるし、だからこそ楽しめるんだと思います。








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