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「へうげもの」に見る、音と「もの」のイメージの結びつき

へうげもの(7) (モーニング KC)

へうげもの(7) (モーニング KC)

中世での美術工芸品にスポットを当てている、一風変わった歴史物である「へうげもの」ですが、この作品内では登場する美術工芸品を主人公の古田織部が形容する時に、やはり一風変わった形態をとります。

へうげもの 1巻 第一席より)
これは「名物」("famous"の意味より"excellent"の意味が強い)の一つである、「平グモ」と呼ばれる茶釜ですが、古田織部はこの茶釜を表現する時に「のぺえっ」や「どべえっ」などの言葉を用いています。その前後に「艶めかしい鉄の地肌」や「異形」という言葉も使っていますが、「平グモ」をより象徴的に表しているのは前者の独自の擬態語群でしょう。
「のぺえっ」にしろ「どべえっ」にしろ、日常語彙に登録されているものではありません。古田織部(というか山田先生)がこの「平グモ」を表現するために考え出した(当てはめた)言葉でしょう。
他にもこのような例があります。

(4巻 第35席)
古田織部はこの擬宝珠のさわり心地を「ホヒョン」という言葉(と、「坊主頭の細川忠興の頭のようだ」という言葉)で表しました。
このように、古田織部は彼の気に入るものを表す時にしばしば独特な擬態語を用いるのです。果たして具体的、比喩的な言葉でなくこのような抽象的な擬態語で、ものの印象は伝わるものなのでしょうか。


数年前にこのような本が発売されました。
怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

書店でもそれなりにプッシュされていた気がするので、見覚えがある人もいるんじゃないでしょうか。
内容としては、確かに今まであまり省みられることのない分野を取り扱っているので、いささか細部の詰めが甘かったりするのも致し方ないところですが、仮説をちょっと強引に適用させすぎてるなーという感じがしたのと、文章の裏側にヒステリカルさが見え隠れしている気がするなーと思いました。
まあそれはともかく、この本の内容をざっくり言ってしまえば、タイトルにだいたい集約されていますが、「音で印象が決まる」ってことです。


本の文章はともかく、言っていること自体には、全面的にではないですが私は賛成します。ある言語圏では、音素の組み合わせに対して意味が伴わずとも特有の印象を受けうると思うのです。
科学的な検証の難しい問題ですので確たる根拠を示すことはできないのですが、それでも経験則として、音による印象は存在すると考えています。
単に音のみでは印象も曖昧になってしまいますが、具体的な形が与えられれば、「のべぇっ」という言葉を聞いて「なるほど、これは『のべぇっ』としているな」という印象が像を結びます。


「どべぇっ」や「ホヒョン」などの言葉(便宜上、「織部語」と呼称します)は日常語彙には登録されておらず、当然そこには意味もなく、また「〜のような状態(物)を表す場合に用いる」という擬態語の約束事もありません。あくまで古田織部のインスピレーションに基づく言葉です。
意味を伴わない言葉。約束事から解放された言葉。つまり、純粋に印象/イメージでしかない言葉。
織部語は単独で存在することはできません。語そのものには意味がなく、その言葉とどんな事象が結びつくかの約束が存在してないからです。「どべえっ」や「ホヒョン」は、古田織部がその言葉を閃いた「もの」とセットで使われて初めて、存在し始めることができるのです。
織部語が成立する根本には、織部語の音素が有するイメージにある程度の普遍性がなければなりません。完全に個人で使うならともかく、作品内でそのイメージを読み手と共有するには、イメージの最低限の共通認識がなければ成り立たないからです。細やかな感性でもって「もの」の印象を音素に変換する古田織部ですが、意識的であれ無意識であれ、その根っこには音のイメージに対する感受性が備わっているのです。


ある「もの」が音のイメージに変換されるには、その「もの」にはイメージを喚起しうるだけの完成度があるはずです。完成度とはつまるところバランス(形であれ色であれ大きさであれ)であると私は思いますが、ともあれバランスを有する「もの」だからこそ、音のイメージが湧きあがってくるのだと思います。もし「平グモ」があと数センチ低ければ「どべぇっ」という言葉はでてこなかったでしょうし、擬宝珠があと数センチ太ければ「ホヒョン」とは言えなかったでしょう(「平グモ」を「のべぇっ」と迷ったように)。織部語と「もの」は、かなり厳密に結びつきあっているのです。
つまり、そこを裏返すと、「もの」と織部語をセットで示された場合は、受け手は音の印象で以って「もの」の存在感を感じ取れるのではないでしょうか。私は織部語のセンスにはいつも唸らせてもらっているのですがね。
「もの」のイメージに音を結び付けるのは、日常的にでもちょっとしたことで遊んでみると結構楽しいと思いますよ。空の月や草花などの花鳥風月でもいいし、美術工芸品でもいいし、織部のように人の耳を「ふまあっ」と表してもいいし、小説や詩のイメージを音に結び付けても面白いです。








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