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羽海野チカに見る、横書き文字のちょっと特殊な使い方

3月のライオン 2 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 2 (ジェッツコミックス)

縦書きという日本語の特質から、英語圏などのものとは違い、日本の漫画は右から左へとコマ移動、ページ移動があるというのは有名な話。ですから、当然漫画内で使われる文章は、台詞であれなんであれ原則縦書きです。特に台詞などは、横書きで書かれていると「これは外国語である/縦書きの普通の言葉とは違う言語である」ということを表すことが多いです(他にフォントが斜体になったり)。写植の文字であれば、大体の場合において縦書きですよね。
でも、羽海野先生は実に大胆にその原則を破ることがあります。

3月のライオン 1巻 p165)
地の文に縦書きと横書きを混ぜて、階層に微妙にずれがある心裡独白を表しています。
このようにコマの外で文字を頻繁に書く人といえば、木村紺先生が浮かびます。

巨娘 1巻 p71)

神戸在住 5巻 p41)
ですが木村先生の場合は、原則に則り普通に縦書きで書いています。
以前書いた記事では、「ハンタ」は文字のフォントやフキダシ、枠線によって言葉を階層化させていると書きましたが(「H×H」に見る、漫画内に流れる文の階層 - ポンコツ山田.com)、羽海野先生は縦書きと横書きでそれを成し遂げているわけです。
ハチクロ」を私は持っていないので、そちらの場合で表現上の意味が変わるかはちょっと確認できないのですが(そういう表現自体はあります)、とりあえず「3月のライオン」の場合の意味を考えてみましょう。

寸断される文章。ぶつ切れの気持ち。



上の「3月のライオン」の画像を見てもらえればわかりますが、この表現は決して読みやすいものではありません。縦書きの言葉が書かれている横長のコマごとに、横書きの別階層の文章が挿入されているので、どうしても文章の理解が寸断されてしまいます。「ハンタ」のように全部縦書きにして表現上でちょっと違いを作った方が、なんぼか読みやすさはでるでしょう。縦書きと横書きでは、どうしても「寸断された」感がでざるを得ません。
ですが、逆に考えてみたらどうでしょう。つまり、わざと文章の流れを寸断させているのだとしたら。
3月のライオン」でこの表現が出る場合は、ほとんどの場合において主人公・零の心裡描写です。まあ基本彼視点で話が進むので、当然っちゃ当然なんですが。*1
で、特に印象的に使われるシーン、つまり「読みづらい」使われ方をしているシーンは、整理し切れていない零の感情を描いている場合が多いと思うんです。上の例しかり、

3月のライオン 1巻 p112)
この画像しかり、

(2巻 p50)
この画像しかり。
てことは、読み手の読みづらさと零の心情の乱雑さがシンクロしていると考えられるんじゃないでしょうか。読み手が文章を読みづらいように、零の心も理解しがたい。そんなちょっとしたメタ的な次元でのリンクで、零の心情が表現されていると考えてはうがちすぎですかね。
以前書いた記事(「3月のライオン」の「優しさ」。あとタイトルについて。 - ポンコツ山田.com)のコメント欄で、この漫画の作者本人が意図したタイトルの意味を教えていただきましたが、そこで書かれているように、まだ今の段階では零の心は寒さの厳しい3月の気候のように荒んでいる最中です。その荒れた心が子羊のように穏やかになるまでの治癒の段階を描くのがこの作品だと思うのですが、癒えない傷に残るぶつ切りの気持ち、まだ正視することができない気持ちを描くのに、この表現はなかなか面白いと思います。

意外に読みやすいやりかたもある。



さて、上のパターンとはまた違った印象を受ける場合もあるのでそちらも説明しましょう。

(1巻 p177)
このシーンの場合、あまり寸断された印象を受けないのではないかと思いますが、それはなぜかと言えば、まず第一に横書き文字の短さと意味の明快さ。カッコウの托卵の説明を息の長い文章でしているフキダシに比べて、零の心裡独白である横書き文字はほんの一言です。そのために、意識して零の気持ちを理解しようとしなくてもすっと頭に入るので、托卵の説明から意識を途切れさせずにいられるのだと思います。速読は文章を線状に追って「速く」読むのではなく、文章が書かれている部分を面で読むことで「早さ」を達成しているらしいのですが、このくらいの一言程度の量なら技術的に速読ができなくても、視界の隅にちょろっと認めるだけで意味を認識できるってことですかね。
第二には画面の構成上の理由もあると思います。托卵の説明が右半分、零の顔、彼が自分と同一視したカッコウ、そして横書きの文字は左半分に収められています。托卵の説明と零の描写の二つの階層で意味が生じているこのコマですが、構成をすっきりさせることでその二階層を綺麗に分離させられていると考えられます。

(2巻 p19)
このシーンは棋士の昇級システムと零の状況の二つの階層がありますが、ページの構成がとても整然としています。
まず一番上の横書きの文字を左から右に読み、読み終わったところで真下のコマ列を右から左へ、そしてまた横書き文字を左から右へ。画像は切れていますが、その下にもう一度同じような構成でコマと横書き文字があります。
縦書きっていいもんですよ 日々だらくだるく
こちらの記事で書かれているように、本を読むときには当然視線の移動があります(それこそ面で読む速読を完璧に使える人でもない限りは)。上の記事では一般書のみに触れていますが、漫画の場合は文字のみの一般書以上に視線の移動、それも認識を伴わない移動が多いのです。リンク先の記事に倣って言うなら「余分な横の動き」というやつです。
ですが、この画像の例では横の移動(一般的な日本の漫画を読む際の、左から右への「余分な横の動き」)の際に行きがけの駄賃とばかりに「文字を読む」という動作が加わってるので、視線の移動が決して「余分」なものとはならないのです。そのために全体的に妙にすっきりした印象を受けるので、横書き文字から受ける違和感が少ないんじゃないでしょうか。

ムスビ。ギギギ。



このように、普通の漫画ではあまり使われない横書きの文字を、あるときは読みやすく、あるときは読みづらく使っていく羽海野先生でした。「ハチクロ」ではまた別のニュアンスで使われているのかもわからんので、購入した暁にはそこらへんに注意して読んでみようと思います。


あ、私は女性向け漫画をあまり読まないのでわかりませんが、そちらではしばしば見られる手法だったりするんですかね。ま、そのときはまたそのときということで。








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*1:いまのところ、例外的にchapter.2で零の担任教師の心裡描写のために登場しています