ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

眼鏡を買い替えたついでに思った本の未来

先日眼鏡を買い替えたんですよ。
かれこれ4,5年も前に買った物で、当初は外用に買ったのですが、以降も順調に目が悪くなっていったので、しばらくしたら家用になっていました(当時眼鏡にはまっていたので、けっこう頻繁に買い換えていたのもありますが)。セルフレームのやっすいやつだったので、その安さと丈夫さにかまけて粗雑に扱っていたのですが、十日ほど前に暗闇の中でうっかり手をついてしまい、フレームが致命的に歪んでしまったので、今回あえなく買い替えとなったわけです。
家用のものなので、デザインよりは安さを優先にし、ついでに丈夫だったらなおのこといいなと思いながらセルフレームを中心に品定めしていたのですが、そのときふと思ったんですよ。丈夫さを基準に選ぶってことは、そのぶん眼鏡を大事に扱わなくなるってことなんじゃないかって。
だってそうですよね。ちょっと乱暴に使っても壊れないやつを選ぶってことは、はなから大事に扱う気はないわけで、その自分の見る目を証し立てるのは、つまりその眼鏡の丈夫さを証明するのは、眼鏡を乱暴に扱うことでしか達成されないんですから。逆説的な話に聞こえますが、そうなります。丈夫さを求めて買ったからには、どれだけ丈夫かを確かめてみなければ選んだ甲斐がないんです。


こんな話があります。初心者が車を買うときは、中古車を買ってはいけない。必ず新車を買わなければならない。なぜなら、新車なら絶対に傷つけまいと慎重に乗るけど、中古車なら「多少傷ついてもいいや」と思ってしまうので運転が乱雑になってしまうから。
「傷ついてもいいように中古車を買った」自分の先見の明を誉めるためには、実際に中古車が傷つかなくてはならない。
不思議なロジックですが、これが実際に運転する時の心持ちに影響しないと言い切れるでしょうか。


また話が変わりますが、ハイロウズには「不死身の花」という歌があります。ちょっと歌詞を引用してみましょう。

真空の闇に咲いても良かった
一滴の水も欲しがらないで
愛されないのは生き続けるから
愛されないのは枯れないから

(中略)

さようならが寂しくないなら
手放す時ためらわないなら
会わないほうが すれ違うほうが
手に入れてしまわないほうが

不死身の花  作詞・作曲 真島昌利

この歌詞でも歌われている通り、人は不壊のものを大事にすることはできません。
例えば、繊細なつくりのバカラグラスと、それと見た目も重さも手ざわりも全く同じの強化ガラスのグラス。両者を手に入れたときに、私たちはどちらを大切にしようと考えるでしょう。きっとどう扱っても壊れないグラスは、とてもじゃないけど大事にしようなどと思いはしないんじゃないでしょうか。
私たちは、あるものが壊れることを知っているからそれを大事にしようと思います。永遠に存在しないことを知っているからこそ大切に扱えるのです。
それは何も工芸品ばかりではありません。花だってそうです。人間関係だってそうです。
いつも満開で咲き続ける桜に儚さを覚えるでしょうか。絶対に嫌われない人と付き合うことが楽しいでしょうか。
そこには必ず終りがあると知っているからこそ、いまここにあるものを大事にしようと思えるんです。


その意味で、私はweb漫画というものが形態としてあまり好きではありません。基本的に無料で読めるものに対しては、どうしても身銭を切って読むものより印象が薄くなってしまうと思うのです。先月買った「異邦人たち」(参考記事;「異邦人たち」に見る、父を愛する少女、「父」を知らない少女 - ポンコツ山田.com)も、もともとはweb上で連載されていた漫画ですが、好きな作品である以上しっかり「本」という形あるもので持っていたい。単純なファン心理もあるとは思うのですが、それ以上に「形あるものとして大切にしたい」という気持ちがあります。
ですから、同様にi-tuneなんかも私は好きではありません。ネット上でやり取りされるデータではなく、CDの形でしっかり持っているからこそ幾度となく聴けるというのが私にはあります。


先日のニュースでこんなのがありました。
ヤフオクで「ジョジョの奇妙な冒険」全話をZIPで販売してる輩が…2chで祭りに
これについての馬鹿さかげんについていまさら言うことはありませんが、仮にこれが集英社なり何なりが正当な手続きで行っていたとしても、データで読めるってのはそんなにいいのかなと私は思います。例えば数話の試し読みとかならともかく、全話読みたがるようなファンならデータより本で欲しいだろうと。


レコードからCDに移行した時に、最初は「レコード復古派」が多くいましたが、すぐにCDが大勢を占めたということを踏まえて、その内書籍という媒体がなくなりデータで本を読む時代が来るということが言われたりしますが、この変化はCDのそれとは質的に大きく違うんじゃないかと思います。メディアの形が変わるのと、形がなくなるのでは、そこで引き起こされる拒否感は決して同じものじゃないだろうと。


形あるものだからこそ愛着が湧く人間の感情は、そうそう変わらないんじゃないかなぁ。








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