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異性装の記号性 ジェンダーとしての異性装、奇人としての異性装

昨日の記事で、読みの浅さを露呈させてしまった山田です。今日の記事はそれの言い訳というか、そこから思いついたことというかを書いていこうと思います。

病院坂迷路の記号的な性差指標



昨日の記事に関するネタバレにならない程度の説明から入りますが、西尾維新の作品「不気味で素朴な囲われた世界」の登場人物に、病院坂迷路という男装の女子中学生がいます。私が、このキャラが男装の女性であることをすっかり忘却していたのは己の不明を恥じるばかりですが、実は私はその作品を読んでいる最中から、このキャラが男装しているという事実をほとんど意識していなかったんです。
現代日本文化圏で記号的に性差を表すものには、服装、化粧、言葉遣い(語彙選択、口調を含む)などがあります。例えばスカートなんかは女性を端的に表します。口紅やアイシャドーなんか女性の化粧の代表格ですし、一人称での「俺」「僕」「あたし」、語尾の「なのよ」「だわ」など、言葉遣いで性差は表れます。
病院坂迷路の男装は「学ラン」によるものなんですが、それ以外で「男性」性を表す記号をほとんど身に纏っていません。髪型は中性的なボブカット、言葉遣い(正確には、このキャラは一切喋らず、表情や視線のみで意思を伝達する「目は口ほどにものを言う」を地で行くようなキャラなのですが)は「わたし」の一人称で丁寧語、容貌もやはり中性的な整った顔立ちと、キャラとして強く「男性」性を帯びているわけではないのです。性差的な記号性ということで言うなら、むしろ「中性」性を強く押し出していると言ったほうが適切かもしれません。

「男性」的な記号



もう少し具体的に日本文化圏で「男性」性を表す記号を考えていきましょう。
時代をもう少し広く取れば、服装では紋付袴や下駄などがあるでしょうか。意外なことに、ふんどしはかつては女性の間にも広く普及していたようです。wikipedia:ふんどし
現代でも着られているものであれば、スリーピースや燕尾服、モーニング、学ランなどの正装、あるいは革靴やネクタイは、男性のみが着用しています。
逆にインフォーマルな服装では、「男性」性が強く出る服装はあまり見受けられないようです。全身レザーのバイカースタイルや、金属鋲がバチバチ打ってあるようなパンクスタイルは、確かに男性が多く着るかとは思いますがそれを着る女性もいるわけですし、その服装をしている女性は「男性」らしさを見せたいから着るというよりも、「その趣味をもっている」ということを表現するために着ているのでしょう。バイク趣味が男っぽいことは事実ですが、「男性」らしさをアピールするためにその趣味を選んだとは考えづらいです。それはあくまで結果から見た印象でしかありません。
ジーンズにTシャツのようなラフな格好をする女性もいますし(そういうのは私の好みであるとかは今は関係ないことですが)、状況としては、インフォーマルな服装の分野では、日本では女性の自由度が圧倒的に高いと言えます。男性が着ておかしい私服はありますが、女性が着ておかしい私服はほとんどないと言ってもいいでしょう。
衣服の種類でなく女性/男性を分けるのは、シャツやジャケットなどの右前/左前くらいでしょうか。
化粧にしてみても、化粧をすれば「女性っぽい」ということにはなりますが、化粧をしないことで「男性っぽい」となるわけではありません。
髪型は、どちらかといえば性差表徴としては副次的なもので、他の性差表徴から判断することで髪型の性別が決まるところが大きいと思います。面倒くさいから切らないでいただけの長髪の男性を「女性っぽい」とすることは難しいですし、スカートをはいているショートの女性を髪形だけを見て「男性っぽい」とするのはいささか無理があります。

「言葉」の強い性差表徴とその裏側



これがどういうことかといえば、簡単に言えば「男装」は難しいってことです。外見上に「女性」らしさを出すのに比べて、「男性」らしさを出すにはそのための要素が限られているのです。
ですが、ここで飛び道具というか、格好はどうあれわかりやすく性差を表徴できるものがあります。それが言葉*1です。日本語は他の言語に比べて著しく性差の大きい言語であり、日常会話のディクテイトを読むだけでその発話者の性別を判別することは容易です。そしてそれは裏を返せば、言葉遣いを変えるだけで性差を有意に表しうるということでもあります。そしてそれをもう一回ひっくり返すと、中性的な言葉遣いをすれば、言葉だけでは発話者の性別を特定しがたいということにもなります。
中性的な言葉遣いとは、別の言い方をすれば「フォーマルな言葉遣い」ということでもありますし、「丁寧な言葉遣い」、「物腰の柔らかい言葉遣い」ということでもあります。丁寧な言葉遣いをする人間は、その言葉だけでは性差をはっきりさせられないのです。

病院坂迷路の男装が意味するところ



さあここで病院坂迷路に戻りましょう。彼女は小説上の人物です。媒体がライトノベルなので、挿絵がいくつか挟まれますが、基本的には文字のみで彼女は描写されます。小説の描写の常として、病院坂迷路を三人称で表す場合に、名前や肩書きを使って呼ぶ以外に、当然「彼女」という言葉が使われます。この言葉が繰り返し使われれば、意識せずとも読み手には「病院坂迷路は女性である」ということが刷り込まれるわけです。
さらに、彼女が学ランを着ている具体的な理由付けは、作中では一切なされません。せいぜい傍証として「彼女は奇人だから」ということが挙げられるくらいです。つまり、彼女は「奇人」というポジションを得ることで、他のいかなる理由も必要とせずに易々と男装をしているのです。
さらに、上にも書いたように彼女の言葉遣い(便宜上そう言います)は非常に丁寧で物腰柔らかいものであり、中性的なものであります。それは「女性」らしさを強く出してはいないということですが、同時に「男性」らしさを強く出していないということにもなります。彼女に男装以上に「男性」性を付け加えたければ、もっと荒っぽい言葉遣いをさせるなり、端的に一人称を「俺」や「僕」にするなりで、容易に目的を遂げることができたでしょう。性格上言葉遣いを丁寧にしたくとも、一人称を「僕」にすれば、そこには粗野さがないままに「男性」性は生まれます。
つまり、彼女の男装は「奇人」の記号としての男装であり、「男性ジェンダー」の記号のための男装ではないと判断して差し支えないでしょう。別に病院坂迷路は男性ジェンダーを有する人格ではありません。格別「女性」性が強く表現されているわけではありませんが、女性に恋慕したり、男性的な振る舞いをするような「男性」性が強く出ているわけでもありません。彼女は作中で「静かなる人払い令」と呼称されるような奇人ですが、それを前景化させるための記号の一つとしての男装なわけです*2
セックスとジェンダーが異なることがそのキャラを強く特徴付けるような場合であれば、そのための記号としての男装には強く意味があります。例えば「ベルばら」のオスカルは常に男装であり、一度だけドレスを着る、すなわち女性装をすることで自らを律していたジェンダーを捨て去ります。このようなキャラにおいてその男装を忘れることはできませんが、そうではない記号としての「男装」では、その記号が意味するところ、つまりシニフィアンに対応するシニフィエを理解すれば、それで記号としての役割は全うしているのです。

結びとしての言い訳。



このように、彼女の男装は「奇人」の記号であるわけで、その本義は「このキャラは『奇人』である」ということを読み手に伝えることであり、逆に言えば、それさえ伝わっていれば彼女の男装にはもはや意味がほとんどなくなっているということでもあります。だから、彼女が「奇人」であるということを充分に理解していた私が彼女の男装のことについてすっかり忘れてしまっていたとしても、それはある種の不可抗力を含んでいるといってもおかしくはないのです。


……て言い訳はどうでしょうかね。ダメかな。








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*1:ここでは音声、"verbal"という意味ではなく、"language"、"non-varbal"での表現。音声言語を含んでしまえば、声質で性差は容易に判別できる場合がほとんどなので

*2:他の記号として、前述した「言葉を一切発さずに意思伝達をする」なども挙げられます