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「数学ガール」に見る、数学の中の人間味

放課後はいつも図書室で数式を解いている「僕」。そんな「僕」の隣にいるのは、数学が大好きでとても頭のいい、だけどクール系のちょっと不思議な同級生・ミルカさん。ある日、「僕」が後輩の女の子・テトラちゃんに数学を教えていたら、やってきたミルカさんはいきなり彼女の椅子を蹴っ飛ばした……


コミック・フラッパーで連載中の数学系ラブストーリー。作中で数式が乱舞します。絶対値や素数の定義、二次方程式くらいならまだしも、階差数列、等比数列、さらには倍角公式、行列、複素数平面まででてくると、数ⅠAでお腹いっぱいになった私にはちょっときついです。式をちゃんと理解したいなら、数ⅡBまでの知識は必須となります。
ま、数式がわからなくても本筋にはさして影響はありません。大丈夫です。原作にも「数式の意味がよくわからないときには数式は眺めるだけにして、まずは物語を追って下さい」と明記してありますから。*1数学に苦手意識を持つバリバリの文系でも、それで物語がわからないということはないでしょう。数式は、どちらかといえば「文字」より「絵」のように書かれているので、わからないならただのノイズとして読み飛ばせるはずです。もちろん興味を持って読み進めることも可能。
数学をモチーフにしているというよりは、漫画では、数学が大好き、数式が大好きという変わった女の子の「変わってる」感を出すために、ここまでブリブリと数式をこめているのでしょう。原作の小説ではどのように数式部が表現されているのかわかりませんが。

数学の根っこ。



一般に数学といえば、「がちがちのロジックで固められた、数字と文字の集まり」のように想像されているでしょう。数式と文字で支配されたその世界に人間味はない、と。
ですが、この作品ではそうは言いません。

数学の本には 数式がたくさん出てくるよね
その数式は 全て誰かが自分の考えを伝えるために書いたものなんだ
数式の向こう側に必ずいる 僕たちにメッセージを送っている書き手が
数式には その書き手たちの想いがこもっている
その想いを受け取りたくて 僕は日々数式と向き合っている

(本書 p125)

なかなか含蓄のある言葉ですね。数字も、数式も、つまりはメッセージの形態の一つなのだと。
私は高校入学時のガイダンスで、「1+1はなぜ2になるのか。こういうことを考えるのが数学だ」と数学教師に言われました。当時は生半可に「ああ、なるほどなあ」と思いましたが、今ならもうちょっとはっきり納得できます。数学ってのは、とどのつまりは論理の精緻なのです。論理をギリギリまで抽象的にそぎ落として表現したものが数学なのです。
その意味では、このような文章を書くことと根底を同じくしています。今私はこの文章を日本語で書き、「数学ガール」のレビューを表現しようとしていますが、数学では数字と文字を用いてある一連の論理を説明しているのです。文字群で何かを表現したいということで、この文章と数式に変わるところはありません。
それでも数学に人間味が感じられないのは、その論理が極めて抽象的に構成されるから。数字というのは、ある意味で最も抽象的な表意文字だと言っていいものです。今私の目の前には本がいくつかありますが、数字がなければ「○○があって、○○があって、○○があって……」と一々あげつらう必要があるところを、「本が五冊あります」で済みます。それがリンゴでもイヌでも飛行機でも違いはなく、違いがないからこその数字の抽象性なのです。
ですが、数式の向こうには、その数式を作った誰かがいます。もともとあった数式から論理をより練って洗練させ、他人にその論理を伝えたいと思った誰かが。私がこの文章を書いて、この作品の面白さが誰かに伝わればいいなと思っているように、ある数式を作って、この数式が意味する論理を誰かに伝えたいと思う人がいるんです。
このようなことを語ることで、この作品では数学の中の「人間味」を前景化させようとしています。

科学者のロマンチシズム。



また、数学、というか理数系全般に見受けられる偏見に、「理数に没頭する人間は徹底的なリアリストだ」というものがある気がします。文系の方がロマンチストで、理系の方がリアリストだ、みたいな。
ですが、それはどうでしょう。試みにこんな台詞を引いてみましょうか。

学者なんて種族、ロマンチストそのものじゃないのよ
ロマンチストでもない限り、月にロケットを飛ばそうなんて馬鹿なこと、考えやしないでしょうよ

サイコロジカル(上)/西尾維新 講談社 p190)

ちょっと極論ではあるものの、けっこう好きな台詞です。
実際、ただの頭カチコチの現実主義者、石部金吉のリアリストでは、数学はどうにもなりません。フェルマーの最終定理*2を解いた大数学者・ワイルズについて書かれた本「フェルマーの最終定理」(S.シン)には、「老いても有名な数学者はいても、老いて大成する数学者はいない。数学の閃きは若いうちでしかできないのだ」というようなことが書かれていました。数学における閃きは、論理を突き詰めていくだけではできません。あるとき突発的に頭に兆す、神がかり的なインスピレーションでもって論理の飛躍を遂げられるのだそうです。ですから、先駆的な数学者(というか科学者)には、論理を着実に積み上げられる堅実さはもとより、全く発想の違う論理を生み出す突飛さも求められるのです。
そこまで偉大な数学者を引き合いに出すこともありませんが、この作品ではこう語られています。

数列αnはいくつかの視点で見ることができる
【整数が単に並んでいる】と見る視点
それから【実数の数直線状で点が振動している】と見る視点
そしてさらに【複素数平面上で点が回転している】と見る視点
背後に隠れた高次元の構造を 見出すことができるんだ
(中略)
一般項を探すのというは 隠された構造を見抜くことなんだ
必要なのは目なんだ 
でもこの目じゃない
構造を見抜く心の目が必要なんだ

数学ガール 上 p151〜3)

なかなかロマンチックな台詞じゃないですか。数学に限らず、こういう発想はとても大事だと思います。


とまあこのように数学の中にある人間味をあぶりだすこの作品ですが、数学に対するイメージがちょっとずつ変わっていくこの過程は、クールなミルカさんへ「僕」の想いが近づいていく過程と軌を一にします。言ってみれば、この作品の中でミルカさんは数学のイメージそのもののようなもので、「僕」がミルカさんから数学の話を聞いて数学にさらに魅せられていくのと同時に、ミルカさん自身にもどんどん魅せられていくのです。そしてそこに絡むところの、「僕」のことを好きなテトラちゃん。さあこの三角関係の行方は!?というところで「下巻へ続く」です。
人間味があるとは言っても、やっぱり印象としては冷やりと乾いている数学のクールさと、熱いようでどこかとぼけた三角関係。この不思議なミックスがこの作品の魅力ですね。
絵については……まあひとまず措いておきます!作画に筆を使うなら、もうちょっと丁寧にやった方がいいなとちょっと思ったり。「バガボンド」ほどとは言わないけれど。








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*1:数学ガール 上 あとがき p183

*2:3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理。実に300年以上もプロアマ問わず多くの数学者たちを悩ませてきた