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「BLACK LAGOON」に見る、映画的な漫画構成 前編

BLACK LAGOON 8 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 8 (サンデーGXコミックス)

サンデーGX誌上で連載中のガンアクション作品。濃密に立ち込めるアメリカンなバタ臭さに、好みが分かれやすい作品ではありますが、私は好きです。
BLACK LAGOON」の特徴といえば、上にも書いたとおり、ハリウッド的なバタ臭い映画っぽさ。それが端的に現れているのは、洋画の字幕でありそうなイカした台詞回しです。

「ああ神様、助けてくれ」
「いい言葉だ。カーネギー名語録に載せたいくらいだな」

BLACK LAGOON 三巻 p112)

「よおォォォくわかってるぜベイビー!!そんなに死にてェとはオドロキだ!!勝手にしやがれ自殺志願者ども!!先にオツムの医者にかかれ、順序はそいつが正解ってもんだ!!ママに言われたことはねェか、頭のネジは腹ン中に落としちまったとよ!!」
「おーおー。スキリしたか?ではゴーね」

(同書 p155)

「いいかラッセル。この街に住んでる連中ときたらとんだ野蛮人だ。洋服着て「エアロスミス」を聴いてるだけで中身はモロ族と大差ねェ!信じられるか、教会の尼までもが銃をぶっ放してくるんだぞ!イカレポンチを煮詰めて作った神のクソ溜めだ、この街は!!」

(六巻 p31)

うーんアメリカン。イカしたB級臭がプンプンしますね。
ですが、「BLACK LAGOON」の映画らしさを感じさせるのは、なにもこの手の台詞ばかりではありません。漫画の構成の中にも、それらしさが滲み出しているのです。

コマ間の線について。



まずはこのコマを見てください。

(四巻 p8)
この画像には二つのコマがありますが、そのコマ同士を分けるものはただの線です。普通の漫画では、コマとコマとの間には空間が入るものです。同じくにGX誌上で連載中のガンアクション漫画、「ヨルムンガンド」から例を引いてみましょう。

ヨルムンガンド 四巻 p21)
同様のアクションシーンから抜粋しましたが、このようにコマ間にはスペースが入るのが一般的な漫画形態です。
なぜスペースを空けるかといえば答えは簡単、コマ割上の見易さからです。コマ(=絵)同士が接着しているとぱっと見で境界がわかりづらいですから、様々な方向からのカットが描かれる漫画のこと、コマ同士の間に境界線だけでなくスペースを空けるのは、表現の明快さへの要請上当然のことではあります。
では、なぜ「BLACK LAGOON」ではあえてその常識を破ってまで、このような表現方法をとるのでしょうか。
この「非常識」な技法がもたらす効果に、私は「コマ間の連続性を高める」というものがあると思います。
コマ同士が接着していることは絵の見づらさを引き起こしますが、同時に、絵同士の関係性の密さを表現します。p8の例では、銃を構えた女・レヴィの後ろからのカットと、正面からのカットが線のみで隣り合っていますが、読み進めていく上で一見判別が容易ではない線のみでカットの方向、カメラ(=読み手)の視点を切り替えるのは、それだけ急激なカメラワークの変化がある、ということを意味しているのではないでしょうか。つまり、コマ間のスペースなんかまだるっこしくていれたくないほどのスピード感を演出したい、と。
そしてそれは、映画のアクションシーンの、息をもつかせぬめまぐるしいカメラワークに通ずると思うのです。アクションシーンのカメラワークのテンポの速さは、受け手がグングン引き込まれるか、見づらいと感じるかのギリギリのせめぎあいで、その尺と、シーンカットの前後の情報の少ない緩衝材的部位の挿入の仕方を講じています。銃撃戦でもカーチェイスでも、手に汗握るシーンに受け手は食い入るように見入りますが、そこに食いつかせられるかどうかは、作品から送られる情報量が、ほんの少しだけ受け手の情報解釈スピードより多いかどうかが鍵なのです。
情報量が過剰であれば、受け手は情報の解釈にパンクしてしまい映像についていこうとする気を失ってしまいますし、逆に情報量が過少であれば、受け手は映画の展開に退屈してしまいます。ほんの少しだけ展開が受け手の先に行っているからこそ、受け手は「作品の情報を解釈したい」という欲望に火をつけられるのです。その匙加減を調節するために、シーンカットの尺を長くしたり短くしたり、カットの冒頭、あるいは最後の情報量を減らして、受け手の解釈負荷を減らしたりするのです。さらに、それはシーンカット自体の情報量そのものにも影響されるので、ムービーメイカーたちは細心の注意を払ってシーンカットを構成するのです。
このようなアクションシーンのカメラワークのスピード感を演出するため(すなわち、読み手の情報解釈に負荷を与え、少しだけ読み手に作品が先行するため)に、「BLACK LAGOON」ではアクションシーンのコマ間を線で区切ることがあるのです。


また、アクションシーン以外で使われる場合もあります。

(四巻 p28)
ここには、カットの移り変わりの冗長さを防ぐ意味合いがあると思われます。右のコマと左上のコマに描かれているのは新宿の街並みですが、そこに特別の意味があるわけでなく、「寒々しい冬の新宿の風景」を表すためだけのコマですが、そのためのカットが2コマもあるのは冗長になりかねなく、かといって1コマでは物足りない。そこで、線でコマを割ることでパッパッとカメラが切り替わるニュアンスを出し、冗長さを消しています。左上のコマと左下のコマの間にはスペースが空いているのは、左下のコマには上のコマとはニュアンスが切り替わっているからであり、そこを線で区切る必要はないと判断したからでしょう。
この場合でも、コマ同士の関係性を密にして、カットの意味に飽きが来ることを防いでいるといえます。

コマの形について。




(四巻 p21)
この画像は、上に出した画像と同じページのものですが、モザイクのピースのようにコマが割られています。
コマ割は、本そのものの縦横に対して並行に割られることが普通ですが、「BLACK LAGOON」に限らず、多くのアクション物やスポーツ物、要は動作が大きい時の描写では、コマを斜めに割ることがよくあります。それもやはり答えは単純で、ページ全体でコマの構成をするときに、各コマで大きく動作をしているキャラがある場合、その動作を充分に描くためにはある程度のスペースがほしいけれど、一々正方形や長方形でコマをとっていればページに収まりきらない。なら、コマを台形にすることで右下に向かってスペースを広く取ったり、その分右上のスペースを減らしたりできるわけです。

ヨルムンガンド 四巻 p8)
このコマでは、キャラが左上に向かって蹴りを放っていて、奥のキャラは右下に向かってしゃがんでいる。全体的に右下から左上に向かっての流れがあるため、コマの左側の割り方をこのようにしたのです。


ですが、「BLACK LAGOON」のp8の例では、そのような必要性が格別あるようにも思えません。普通に長方形でコマ割をしたとしても、何らかの不都合があるわけではないでしょう。それでもわざわざそうになされた理由。それもやはり上に書いたものに通じるのですが、カメラワークの荒々しさを表しているのだと思います。
普通映画は長方形のスクリーンに映し出されるわけですから、そのカット全体も長方形に区切られていることになります。ですが、実際にスピード感のあるシーンになり、カメラがめまぐるしく動き出すと、そんなことを感じている暇はありません。
実際私たち人間の視界は長方形に区切られているわけではなく、おおまかには楕円形で、自分自身が運動している時は、視界は狭窄しだします。猛スピードで走り回るF1レーサーの視界は、平常時に比べて非常に狭いものになるという話を聞いたことがありますが、一事に専心しているときの視界は、平常時のそれとは大きく異なるのです。
ですから、このような不揃いな形に区切られたコマ、すなわち視界は、私たち自身が運動したり慌てふためいたりしている時に見ているそれ近いものなのです。モザイクのピースのように区切られたコマは、一瞬の絵を切り取っただけの漫画のコマに、読み手が実際にその状況に投げ込まれているかのような臨場感をもたせる効果があるのです。映画の映像であれば、カメラがぶれることが受け手の視界のブレとリンクして、受け手を映像に没入させられますが、あくまで静止画である漫画では、映画とはまた違った技法が要求されるのです。




ちょっと長くなりそうなので、以降は明日の後編に続きます。








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