- 作者: むんこ
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2008/11/07
- メディア: コミック
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なお、以下の記事内で「手書き台詞」と言う場合には、フキダシ内に書かれていない手書きの台詞
「そーだ ああいう父親だった」
(WORKING!! 三巻 p18)
を指し、「普通の台詞」と言う場合には、フキダシ内に書かれた写植の台詞
「まあうちもバカ親だけど」
「…あっ…だったら」
を指します。
前回のおさらい。
まず、手書きの台詞は、普通の台詞に比べて
α:普通の台詞と、発話の水準が異なる
β:普通の台詞より、意味が薄くなる
というようなニュアンスが発生し、それをさらに細分化すると
- 普通の会話とは違う流れを展開する
- 相手に伝える気のない言葉、独り言
- 声の小ささ、カメラの遠さを表す
- コマの見易さ、省スペース
- 普通の会話、または絵の補足
という風に分けることができます。
むんこ先生では、手書き台詞に少々特殊なニュアンスがあるといっても、もちろんこれらの性質にそったものも多くあります。
(がんばれ!メメ子ちゃん 一巻 p54)
やっぱり茶色のコートかなー
これなんかは、2や3(及びβ)なんかのニュアンスですし、
(らいか・デイズ 二巻 p23)
「どっちかっつーと…」
これは5のニュアンスだといえます。
ですが、例えばこれなんかどうでしょう。
(まい・ほーむ 二巻 p79)
「カエルさんだ〜 すごーいかわいいよ カエルさんカエルさん」
「なにすんだはなせ 気持ちわりー」
これらは、どうにも上のパターンで説明し切れません。
むんこ先生の作品では、フキダシを使ってもなんら問題のないシーンで手書き台詞を用いたり、そもそも普通の台詞を一切登場させず、手書き台詞しか使わないということさえあります。
むんこ作品全体に伏流する特徴。
この不明瞭なニュアンスを解く鍵は、「妹本」にありました。
- 作者: 曙はる,むんこ
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ある意味、むんこ先生の原点ともいえるこの作品。この作品に見られる「サイレント映画らしさ」というのが、むんこ先生の作品通して強くあるのではないかと思います。
「サイレント映画」らしい漫画ってなんだ。
wikipedia:サイレント映画にもあるように、サイレント映画の演技は、とても大袈裟なものとなります。聴覚情報を一切伝えられず、視覚情報に頼らざるを得ないので、それは当然なのですが、ではそれが漫画というメディアとなると、どのような形になるか。
もともと漫画は聴覚情報を発することのできないメディアですから、それに相当するものを、文字によって表現します。台詞や地の文が、それですね。ならば、文字をなくすことでサイレント映画っぽくなるというのは筋の通る話ですが、文字(聴覚)情報をなくすのならば、それが視覚情報にどのような影響を与えるのか。
サイレント映画では、演技を大袈裟にすることで視覚情報を増やす、つまり、聴覚情報の欠如を視覚情報で補ったわけですから、サイレント漫画(便宜上こう呼びます)でも同様に、視覚情報を増やすことで、文字情報の欠如を補えばいいわけです。ですが、漫画というメディア(広くは、アニメなども含む二次元的なメディア)の中で、視覚情報で表されるものは、極めて記号的なものとなります。普通、映画などの三次元メディアで、鳥などを画面内に意味を込めて登場させたい時は、鳥をそのまま持ってくればいいわけです*1。ですが漫画などの二次元メディアでは、三次元的な鳥、つまりできる限り本物に近づけた、精密な鳥を描く必要はなく、むしろ逆に、「鳥っぽい性質」を備えたものを描けばいいのです。嘴や羽、細い足などの要素を、「鳥っぽい」バランスで持つ生物を描けば、それで「それが鳥である」ということにできるのです。極論してしまえば、約束事として「これは鳥である」という了解が取れれば、実際に「鳥っぽく」なくても、「これは鳥である」と言い張ってなんの問題もないのです。
(純潔のマリア 石川雅之 good!アフタヌーン p25)
このナマモノを「フクロウである」と言い張っても、なんら問題はありません。それが、漫画の「記号性」なのです。
つまり、漫画において、文字情報を補うために視覚情報を増やすということは、絵の記号性を高めるということに他ならないのです。
むんこ先生に戻ると。
「ぴたんと」では、コマ送り技法(この場合、コマの背景を同一のものにしてつまり地を固定して、登場人物や、それらが使っている物のみを動かすことでを、前のコマから変化した情報を前景化させること。こちらのサイト様で、詳しく説明されています。 よつばとコマ送りの技法 ―MORTALITAS)ふんだんに使うことで、記号性を高めています。
もちろんむんこ先生の他の作品では、台詞は普通に使われています。ですが、コマ送り的技法は、台詞があろうとも、むんこ作品では頻繁に使われています。それが手書き台詞にどうつながるかといえば、むんこ作品における手書き台詞のニュアンスには、「背景としての台詞」というものがあると思うのです。
普通の台詞と区別して、わざわざ手書き台詞を書く、それも、普通に考えればフキダシつきの台詞でいいんじゃないかと思うようなところでも、手書き台詞を選ぶ。それは、台詞に、台詞としての存在感をなくすため、つまり、文字情報(=聴覚情報)としての意味をもたせるのではなく、視覚情報としての意味をもたせたかったのではないかと思うのです。台詞として認識した場合には、その情報は文字情報として、視覚情報(=絵)とは別個に処理されますが、背景の中の一部分として認識された場合には、その処理は絵と同一のもとなります。つまり、このとき台詞は、絵の中の「記号」として認識されていると思うのです。
これは要するに、台詞と擬音(オノマトペ)が同次元に存在するということです。アメコミ的な描写や、鳥山明的な擬音表現でお馴染みな、あの感じ。
それを端的に表現しているのはこのコマでしょう。
(がんばれ!メメ子ちゃん 一巻 p68)
「お前が行け〜」
ただの太字ではなく、わざわざ外枠を描いて中にトーンを貼るという凝り様。こうすると、文字は通常以上に背景に溶け込み、その存在感を薄れさせます。ぱっと見の認識では、このコマは絵の情報しかもっていないと処理されうるのです。
あるいは逆に、コマ送り技法を活かすために手書き台詞を用いる、という風にいえるのかもしれません。コマ送り技法では、地を固定することで変化した情報を前景化させるのですから、その変化した情報をより鮮明にするためには、地の部分が多いほうがいいということになります。実際その前のコマではなかった地ですが、文字情報として新たに存在させる(=別の処理回路を開く)よりは、無理矢理にでも地に落とし込んだ方が、変化した情報は際立つと思うのです。このコマなんかが、その好個の例となるかと思います。
(まい・ほーむ 二巻 p77)
「大きくなったって言ったんじゃないかーっ」
このネタでは、逆エビを極められている父親は、上の3コマでは普通に寝っ転がっているんですが、最後のコマでの逆エビを活かすために、そのコマの台詞を手書きにして、背景に落とし込んだのではないでしょうか。つまり、変化した父親の体勢、及び技をかけたまいを鮮明にするために、です。
つまりは。
改めてきちんとまとめれば、むんこ先生の手書き台詞のニュアンスには
- 文字情報を背景として認識させる
というものがあると言えます。これはαとβがほぼ均等に混合されたものの発展系と言えるでしょう。この手書き台詞特徴は、コマ送り技法が頻繁に使われるむんこ先生の作品で特に多く見られものなのです。また、コマ送り技法が使われていなくとも、台詞を背景に落とし込むのは、視覚情報の記号化に一役買っているのです。
最初に挙げた例で言えば、「まい・ほーむ」の例では、2コマ目と3コマ目がコマ送りとなり、「だって愛してる」では、1コマ目と4コマ目の地が同じになっているのです。
余談。
なお、むんこ先生特有とは言えなそうだけど、前回あげなかった特質として、以下のようなものもあります。
- 発言者が特定されない
(らいか・デイズ 七巻 p55)
「わ〜 赤くなったー」
モブからの発言ということで、誰が発言したのかよくわからず、またはっきりさせる必要も特にないため、手書き台詞となっていると思われます。
- 台詞の内容が具体的でない、フキダシ内に入れるような台詞ではない
(らいか・デイズ 五巻 p51)
「ここもここも あとこっちも〜」
普通、このような抽象的な台詞は使われません。漫画が記号的であるというのは絵に限った話でなく、文字内容についても記号的、というか、まあ同語反復ではあるんですが、「漫画的」にならなくてはありません。前回の記事でも書いたように、漫画の台詞は「受け手に伝えたい情報を整然とさせる必要があ」るのです。ですから、この例で使われているような台詞は、現実世界では通じるかもしれませんが、漫画としては、伝える情報が漠然としすぎているので、普通使われないのです。そこをあえて手書き台詞で使うのは、一つのネタとしてでしょう。
前回これらについて触れなかったのは、「WORKING!!」ではこれに類する手書き台詞がなかった(あるいは目に入らなかった)からです。なもんで、そこまで考えが及ばなかったのです。ただ、この二つの特徴は、特にむんこ先生的というわけでなく、コマ送り技法を使わなくとも普通に見られるものだと思います。
きっと、他の漫画家さんでも、特有手書き台詞のニュアンスがあるんじゃないかと思うので、見つけたらまた書きたいと思います。
追記;日本語話者の言語処理と、漫画の台詞と映像の処理 - ポンコツ山田.com
この記事で、さらに補足をしています。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。
*1:舞台演劇などでは、本物の鳥を使うことに制約があるため、二次元メディアなどのように、「記号」に頼ることになりますが