ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

二次創作の私的悩みどころ

以前、たまごまごごはんさんのサイトで、サナギさんありがとう企画〜バスよりもメロスよりも早いよ〜一次発表二次発表三次発表 イラスト部門三次発表 テキスト部門)というのをされていまして、私もそこに記事を寄稿させていただいたんですが、そこで募集されているものの中に、SSがありました。SSとは"Short Story"の略で、二次創作の短編小説をしばしば指します。私が寄稿した記事は、全てレビューか批評で、試しにSSを書いてみようともしたのですが、どうにも展開がまとまらず、結局筆を執ることもなく諦めてしまいました。他の作品のSSであれば、その内容の巧拙は別としても、書けないこともないと思うのですが、「サナギさん」という作品の前では、どうにも気が乗りませんでした。なぜ「サナギさん」では気が乗らなかったのか、「サナギさん」と他の作品では何が違うのかということを、ちょっと考えてみたいと思います。

そもそも二次創作に限らず。



私は、好きな作品がメディアミックスされることを好みません。正確に言えば、メディアミックスに適さない作品を無理矢理メディアミックすることに、抵抗を感じるのです。そのことについては、小説→アニメの場合で何度か過去にも書いていますが(参考;「偽物語」と西尾維新作品のアニメ化について「図書館戦争」アニメ化について - ポンコツ山田.com)、漫画だから、小説だから、アニメだから面白い、というように、その作品の面白さが媒体に縛られることはあると思うのです。
例えば「絶望先生」や「みなみけ(無印)」のアニメは、私は面白いと思いましたが、あれはアニメの「絶望先生」や、アニメの「みなみけ(無印)」が面白かったわけで、漫画としての「絶望先生」や「みなみけ」の面白さが、そのままアニメ化されたわけではないと思っています。「絶望先生」は、漫画としての構成はわりかしオーソドックスなのでともかく、あのネタを映像化するのはどうかなとも思っていたんですが、製作会社のはっちゃけぶりで、「アニメとしての」クオリティが非常に高い作品になったと思います(二期の後半は度が過ぎて前衛的になりすぎちゃったんじゃないかとも思いましたが)。「みなみけ」は、漫画としての構成が相当特殊ですから、あの空気をどう表現できるのかと危惧していたら、原作の雰囲気とは真逆に、くるくるとやたらにキャラを動かすことで、原作とは異なる面白さを獲得していました。
私は、もちろんアニメは面白いものだと思っています。そして、アニメスタッフのおかげで、原作以上に面白くなったものもあると思います。実際私は、「ローゼンメイデン」は原作よりアニメのほうが好きですから。ただ、アニメから先に入ったので、そちの雰囲気に慣れてしまい、原作の空気には馴染めなかった、というのが正しいのかもしれませんが。もしこの順序が逆だったら、果たしてアニメを見ていたかわかりません。
つまるところ、原作の面白さがオリジナリティの高いものであれば(=原作がオーソドックスな手法で作られていないのであれば)、メディアミックスされたときに、自分の好きな原作の独特な雰囲気が台無しにされてしまうのではないかと心配してしまうのです。「絶望先生」や「みなみけ(無印)」の場合は、作風を原作に準拠させることに拘らず、とにかくその作品が面白くなるように、という方向付けで製作され、それが成功を収めたのだと思います。
(過去記事でも書いたことですが、「原作がオーソドックスな手法で作られていないのであれば」をひっくり返して、「原作がオーソドックスな手法で作られているのであれば」、それのメディアミックスは比較的容易であり、また原作の雰囲気も出しやすいと思います。例えば「ワンピース」や「ナルト」、一昔前なら「キャプ翼」や「ドラゴンボール」などがその例でしょうか。青年漫画なら「美味しんぼ」とか)


原作至上主義と言えばまあそうなんですが、それは自然な感情ではあるでしょう。原作以上、少なくともそれと比肩するくらいに面白くなるならともかく、原作の空気を出そうとした上で劣化されては、それで平気でいられるほど、おおらかではいられません。

個人の二次創作の場合。



そうなると、なぜ私が「サナギさん」のSSに手をつけられなかったかがよくわかります。「サナギさん」のあの作風は、他のメディアで表すことが非常に難しいものであり、かつ、私は自分でそれ以外の方向性の面白さを生み出す自信がまるでなかったからでしょう。自分が作ったものが自分を満足させられないことがわかりきっているのに、それに手を出せるほど、私は図太くありません。それが例えば仕事であったり、誰かから頼まれたりしたものであるのならともかく、完全なプライベートで書くものなら、みすみす茨の道に足を踏み入れることはありません。「書きたい」を「それ無理」が上回るなら、素直に引き下がるのも兵法でしょう。
さて、「サナギさん」の作風の特殊さ、すなわちSSでの二次創作の難しさの要因を列挙すれば

  • トーリー性の低い4コマ
  • ネタが具体的な映像を伴うことが多い
  • おまけにネタそのものが高度

こんな具合でしょうか。
逆に、二次創作しやすい点というのもあるんです

  • キャラが立っている
  • 世界観が確立している

この二点があれば、創作のストーリーのタネさえ思いつけば、わりかしさらりと書けるものです。キャラがどういう世界でどういう風に動くかが予想できるんですから、あとは「何を発端に動くか(そしてどういう風に終わるか)」が考え付けば、短編小説は結構書けます。
ですが、私の場合は上の難しさの要因三点があまりにも大きく、「サナギさん」の空気を文章で表すことを断念してしまいました。自分が好きな作品である以上、作風に届かない生半なものは絶対書きたくないし、別方向から攻める手立ても思いつきませんでした。
私としては、施川ユウキ的なオチを思いつき、かつ原作の作風を損なわないような文章が書ける見通しがつくまで、「サナギさん」のSSを書くことはできないでしょう。キャラだけを使ってSSを書くことも不可能ではないですが、それはなんかできなないなぁと思います。こと「サナギさん」という作品の前では、あのネタの高度さを抜きに面白さを語れないと思うからです。


「好きだから書きたい」という気持ちはもちろんあります。しかし同時に、「好きだから書きたくない(書けないから)」という気持ちもあるのです。そのせめぎあいでどちらが勝つかで、作品への愛情の強さが決まるわけではありません。そこで決まるのは、あくまで自分の能力に対する自信なのです(対外的には、「自分で自分の能力を見る眼」も同時に決められるわけですが。平たく言ってしまえば、あまりにも低いレベルの文章を発表した場合に、読んだ人から「お前それでいいの?」と言われてしまいかねないということ。ま、アマチュアの二次創作である以上、程度問題としてはかなりボーダーの低い話ですけど)。


絵を趣味にしている友人も言っていましたが、書きたい(描きたい)ものと書ける(描ける)ものが一致するわけではないというのは、けっこう悲しいものです。理想に現実を近づける努力って、積み重ねですよね。








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