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「ヨコハマ買い出し紀行」と「カブのイサキ」の違い 〜そっと置かれる小さな「意味」

芦奈野先生の作品といえば、代表作の「ヨコハマ買い出し紀行」、最新作の「カブのイサキ」が有名どころですが、そのどちらの作品にも通じる作風として、「とてものんびりとした空気」があります。どちらの作品を読んでも、今の私たちの世界から地続きではあるけれど、ちょっと違っている未来で暮らしている人々(及びロボット)の生活は、そのSF(少し不思議)世界にも関わらず、私たちの持つ常識を保ちながらも、そこに適応したゆったりしたものとなっています。

その舞台は違えど、よく似た空気をもつ二作品。ですが、やはり違うところもあると思うのです。それは、「意味」の濃度。いえ、濃度というよりはむしろ、「意味」の多寡でしょうか。「ヨコハマ買い出し紀行」は「カブのイサキ」に比べて、作品内の意味が小さく、少ないと思うのです。


具体的に「意味」ってなんだ。



「意味」。それは、作者側から提示された情報、と言い換えてもいいかもしれません。作者が作品内にこめようと思いこめた情報。それがあえてカギカッコにした「意味」です。

作者が作品(テクスト)についての全権を有している、作者は作品について全知であるという古典的な文学論は、バルトのテクスト理論によってその耐用年数がもう限界であることを暴露されましたが、それでも私は、作者が自らの作品について、相当程度の自分の思いを込められることすらできないとは思いません。その思いが十全な形で全て塗り込められるとは思いませんし、そもそも作者自身が自分の思いについて100%自覚的であるとも思いませんが、少なくとも作者の意図が完全に排除されるわけではないはずです。

芦奈野先生が「ヨコハマ〜」にこめた意図として、私は、「『意味』を極力少なくする」というものがあったと思うのです。


それが二作品でどう違う?



一般的に芦奈野先生の作品には「独特の間」などと表現される印象がありますが、「ヨコハマ〜」でのこの「間」は、ただ空いた空白ではなく、「『意味』を控除しよう」という意識的な意図の下に生み出された、積極的な「間」だと思います。無意識的なセンスなどによるものではないのです。



この「意味」の少なさは、ページは進んでいるのにストーリーは進まない、という形で表れます。元々月刊誌連載なのにページ数の少ない作品ですが、数ヶ月で一日の出来事を描ききるというのもざらです。その中で起きてるイベント自体は、ほんの些細なことでしかないのに。芦奈野先生は、描写の中の余計な情報をそぎ落とし、必要最低限の「意味」しかこめずに描くために、なんでもないことを描いているのにもかかわらず、ストーリーの進行はとてもゆっくりで、肉抜きされた車体のような「意味」の少なさによる軽さが、読後に独特の印象を与えるのです。

ちょっと変な言葉遣いで言い表すなら、「ヨコハマ〜」では、小さい「意味」をぽつんぽつんと絵の中に置いてある感じがします。一般的な作品では、作者はコマの中の絵にそれぞれなんらかの「意味」を与えて、作品全体のストーリーの方向付けとニュアンス付けをしていくものであり、それはつまり、絵の中に「意味」が充満しているということですが、「ヨコハマ〜」では、絵のもつ「意味」をなるべく削いで、最低限のこめたい「意味」だけがそっとそこにあるような、とても静かな作品として仕上がっているのです。食べ物の比喩を使えば、一般的な作品がみっちり中身の詰まったチョコレートムースなら、「ヨコハマ〜」は焼き立てのスフレのようにふんわりした味わいといえるでしょうか。

「カブ〜」ではどう違うかというと、作品の中には「意味」が「ヨコハマ〜」以上に入っていて、その読み応えは「ヨコハマ〜」以上になるのです。ですから、この違いは質的なものではなく量的なものなのですが、それでも一般的な作品のそれよりはまだまだ軽いわけです。



両者の違いを視点を変えて言えば、「カブ〜」の方が起承転結がはっきりしている、てことでもあります。「意味」が多い分だけストーリーのニュアンスが複雑になり、それで話の中に起伏がでてくるのです。「ヨコハマ〜」は全体的に起伏が少なく「意味」も少ないので、必然的に一話の結びの部分が弱くなり、ともすれば読後に「で?」となることもないではないですが、それは読後の軽さと表裏一体なワケです。「意味」が少ないからこそ、その解釈には想像による補完の割合が増え、一話の頭から終りまでなだらかな進行の中に、各人の解釈の幅が出てくるのです。


「意味」の多寡以外の芦奈野先生の魅力は?



以前も書きましたが(参考;カブのイサキ/芦奈野ひとし/講談社 - ポンコツ山田.com)、芦奈野先生の作品は(まあ私が読んだことがあるのが今回触れている二作品だけなので、それ以外についてはさておきますが)現在から地続きなのにもかかわらず、現在からはその有様が変わってしまった世界です。なのにそこで暮らす人々は、現在の私たちと似たような常識を持っているというものであり、いわば「変な世界で普通に暮らす人々」を描く作品なのです。この、変な中の普通さを普通に描いているということが、芦奈野先生の魅力の一つだと私は思います。その変な普通さが、とても心地いい。まあ普通に暮らしているといっても、今の私たちに比べて遥かにのんびりした世界であることは確かなので、そのゆったりした空気に憧れるところが強いというのもありますが、それでも「ゆったりしている」という状況を的確に紙上に表現するには、相応の表現力が必要です。芦奈野先生はその能力について、特に秀でていると思います。



とりあえず講談社は、「ヨコハマ〜」の復刊をさっさとしやがりやがってください。









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