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漫画の話です。

むんこ先生料理できないんじゃないか疑惑

先日「らいか・デイズ」の七巻が発売の運びとなったむんこ先生ですが、「むんこ先生は料理ができないんじゃないか?」という疑惑が私の中に湧き起こりました。
論より証拠の画像群。

らいか・デイズ 七巻 p65)

(同書 p68)


どう考えても持ち方がおかしいです。
比較のため、正しい持ち方をしている絵も上げておきましょう。

きのう何食べた? 一巻 p99)

(同書 p150)


箸に関しては、むんこ先生式に持てばぽろぽろ取り落としてしまうでしょうし(他の指でも支えてあげてください)、包丁に関しては、あの握りは人を刺す用です。

らいか・デイズ 七巻 p47)
あの握りで何かを切ろうと思えば、手首を活用することができず、肘の動きで切る羽目になり、とても億劫です。手の甲が上を向くように握らなければ、うまいスナップを利かせられないでしょう。よしなが先生みたく、包丁の背に指をあてがうかは、人それぞれですが。


むんこ先生の作品の中には、料理上手なキャラがけっこういます。「らいか」では、竹田や、らいかの母。「まい・ほーむ」では主人公・まいがそれに当たります。逆に料理が不得手な不器用キャラもいて、「らいか」の主人公・来華がそれに該当するところでしょう。後者のキャラに不慣れな握りをさせるのは「おおなるほど」という感じですが、仮にも料理上手キャラにそのような握りをさせる必然性はないでしょう。つまり、むんこ先生は料理(というか調理)に、それほど親しみがないのではないか。てことで、むんこ先生は料理に不慣れなんじゃないかなという仮説が立ちます。
竹田やまいのような、小学生にもかかわらず、その一般的通念から大きく逸脱した料理の腕前を有するキャラや、逆にらいか母のように、いかにも日本のお母さん的な料理上手キャラを作るのは、むんこ先生自身の料理への憧れなんじゃないかと思うんですよ。あのキャラたちが、むんこ先生のある種の理想を体現しているみたいな。料理上手ではあるけど、具体的な料理の描写がなされないあたり、「料理」はむんこ先生の憧憬の対象であり、憧憬でしかない(実際性を伴わない)というのが、あながち間違っていないと思います。竹田の料理の腕に心の底から賞賛を送る来華は、むんこ先生の気持ちを代弁しているんじゃないでしょうか。


一方のよしなが先生ですが、こちらは料理に対する造詣が非常に深い方。作品内の料理に舌なめずりをすること、尋常ではありません(参考;きのう何食べた?/よしながふみ/講談社美味しいお菓子を読みたいなら「西洋骨董洋菓子店」 - ポンコツ山田.com)。「ああ、この人は料理にものすごく思い入れがあるんだな」と、頷かずにはいられない。絵の細かさや、料理の説明の適切さに、その情念が溢れかえっています。個人的に、一番料理を美味しそうに描ける方だと思います。「深夜食堂」や「極道めし」も、その料理を食べたくはなるんですが、その描かれている料理が美味しそうかというと、また違うんですよね。まあそれが違うって言うのもなんだかすごい話ではあると思うんですけど。


美味しそうな料理を描ける人。その料理を食べたくなるような描写ができる人。どちらも偉大な腕だと思います。むんこ先生は、そうじゃないところで偉大だから、なんの問題もないんです。来華かわいいよ来華。街子かわいいよ街子。








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