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漫画の話です。

カブのイサキ/芦奈野ひとし/講談社

カブのイサキ(1) (アフタヌーンKC)

カブのイサキ(1) (アフタヌーンKC)

なぜか地面が10倍になってしまったこの世界。だから、人々はヒコーキをアシ代わりにして毎日を生きている。
名機「パイパー・スーパーカブ」を駆る少年イサキは、広大な世界で羽を伸ばしながら日々を送っている……


ヨコハマ買出し紀行」でおなじみの芦奈野ひとし先生の最新作。前作はほんのちょろりとしか読んでいないので、たいした比較ができるわけではないですが、今作もとてもゆったりとした空気が流れています。

梗概で述べたとおり、作品内の世界は、空間のサイズが10倍になっています。距離だけでなく、高さも10倍で、本来ならほんの10km先の隣町は100kmの彼方だし、ちょっとした山をヒコーキで越えようと思えば、もうそこには雲海が待っています。ただ、動植物は普通だし(巨大化しているものもありますが)、人間自体も普通なので、人間の住む家などの建造物も基本的には私たちの物と同じサイズです(人工建造物も、一部は巨大になっていますが)。

おそらく設定上は私たちが住む世界の近未来で、実際にこうなりうるかどうかはともかく、今と地続きの世界観や常識を持ちうるようです。本当に「なぜか」世界が10倍のサイズになってしまっているだけというわけで。ま、文明はいくらか後退している感があるんですけどね。和風のラピュタ世界というのが程度としては近いかも。


で、その設定でこの作品世界がどうなるかと言えば、非常に広大な世界になるわけです。
なにせ100km彼方の隣町と、雲海を突き抜ける近所の山。ヒコーキが日常のアシになるわけですから、その怖くなるほどに広大な空間の感覚は、推して知るべしといったところです。

そんな世界なんですけど、この作品ではその広大さに格別な意味を持たせず、それを当たり前のものとして生活している人々を描いています。
日常を描いている漫画ということでは、「よつばと!」に似ているのかもしれません。なにがあるでなく、人の生活を描いているだけなのに、その生活の空気がとても心地いい。世界観はぷちファンタジーかもしれませんが、そのファンタジーさで押すのでなく、あくまで、そんな世界の日常なんです。

よつばと!」と違う点は、あちらは主人公が子どもということで、よつばの眼には世界に新鮮さが溢れていて、その様子を見る(読む)私たちも、既に知っている世界なのに、よつばの視点にある程度重なることで、新鮮さに満ちた世界をめまぐるしく味わいます。
つまり、「よつばと!」は地味な(一般的な/普通の)世界なのに賑やかに過ごしている様子を読み手は楽しむわけですが、この作品は逆で、私たちにとっては新鮮な世界なのに、そこで描かれているキャラたちが実に自然に、慣れた調子で生きているので、その落ち着き加減に同調し、ぷちファンタジーを当たり前のものとして読み手は受け取るのです。上の言い方に倣えば、知らない世界なのに普通に過ごしている様子を、読み手はゆったり味わうのです。


描写の面から言えるのは、広大な大地と、広々とした空、そして巨大な自然物や人工物に重ねて描かれる、矮小な人間たちとそのヒコーキですね。
この凶悪なまでの比較対照は、読み手の私たち自身の自意識も矮小化させ、この世界の広大さに畏怖すると共に、何もない荒野にぽつねんと立ち竦むような淋しさを与えます。そう、こんな世界にいると、きっと人は淋しくなってしまうんですよ。だから、淋しくなった私たちは、作品内で生きる人々の温かさに同調することで、ゆったりほんのり温かい感慨を読んでいて受け取るんです。
寒さに身を寄せ合うような、本能的な感情。囲炉裏の傍で炎に顔を赤らめ笑いあうような、素朴な温かさ。
そんな感覚が、読んでいて心の中に満ちていきます。


あと、読んでいてなぜか感じるのは、作品内にそこはかとなく漂う、終末感です。世界の終わりを間近に控えているかのような、落ち着きと諦めを併せ持った空気。それは、伊坂幸太郎氏の「終末のフール」の中の空気と似ているのかもしれません。
別にそんな話ではないはずなんですけどね。おそらくこの感覚は、後退した文明と、肥大化した自然という設定から生じているのでしょう。その二点が世界の終末に直結するわけではまるでないのに、不思議と想起させるのは、「ナウシカ」あたりに源流があるんですかね。あれも別に終末ではなく、むしろ終末後の世界ですけど。やっぱり原因が良くわからなくて、少し不思議。


ともあれそんな、温かくて、落ち着いていて、ゆったりしているんだけど、どこか醒めた終末感を漂わせる作品、「カブのイサキ」。今時分より少し前の、日差しのあった秋の午後が少しずつ暮れて気温が冷えていくような、ちょっぴり郷愁的な読後感です。一話の「東京塔」のくだりには、きっとこの世界に惹きこまれることでしょう。
派手さはまるでないですけど、じっくり目を細めながら楽しめること請け合いの良作です。講談社には、これを奇貨として是非「ヨコハマ買出し紀行」の復刊をして欲しい。




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