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漫画における音楽の表現 〜言語的側面編

昨日の続きで、今日は言語的な面から、音楽が漫画内でいかに表現できるかと言うことについて書きたいと思います。


例えば「坂道のアポロン」では、こんな台詞がでてきました。

「それじゃ全然スウィングしてないだろ」

細部はどうせ違いますが、大意はオッケーなはずです。
これは、クラシックピアノをずっとやってきた薫君が、ジャズの名曲、「Moanin'」(参考;You Tube Art Blakey and The Jazz Messengers - Moanin' )のメロディをちょこっと弾いた時に、ジャズドラマー千太郎君が言った台詞です。
いままでクラシックしか学んでいなかった薫君なので、ジャズのメロディを弾いてもそれっぽくならないのは致し方ないところなのですが、まだ若い千太郎君はそのつまらない響きが許せなかったようです。

はて、そもそも「スウィングしている」とはどういうことなのでしょうか?
「swing jazz」といった場合には、big bandと呼ばれるジャズの演奏形態の内の、楽曲のタイプの一つを指しますが、ただ「swing」と言った場合には、ジャズ特有のリズムパターンを指します。言葉で表せば、「八分音符の表拍が裏拍より長いもの(比としてはおよそ2:1)、三連符初め二つ分と、残り一つの関係」って感じで、そのパターンを文字に表せば「ドゥーダドゥーダ」とか「チーチッキチーチッキ」とかそんな感じです。まあ言葉では極めて伝えがたいものなので、上のYouTubeのリンク先を聞いてもらうのが一番手っ取り早いかと思います。

で、「言葉では極めて伝えがたい」と言ったとおり、「『スウィングしてる』とはこういうことなんだよ」と誰かにそのニュアンスを伝えるのに、言葉には限界があり、結局は実際の演奏を聞かせるしかないのです。
少なくとも、上で私が書いた説明では、「スウィングする」ことのニュアンスは、まるで伝わっていないでしょう。もっと言葉を費やせば、この実際の演奏のニュアンスに近づけることはできなくはないですが、それには膨大な文章量が必要ですし、それだけ書いたとしてもおそらく半分も伝わらないと思います。
サークルをやっていたときも、入部してきた新入生に「スウィング」のニュアンスを教えるときに非常に苦労しました。「それは違う」と指摘しても、具体的にどう違うかを言葉で説明するのは難しく、頭を捻り、言葉を選び、演奏を聴き比べさせながら、少しずつ「スウィング」ににじり寄らせていったものです。
「スウィングしている」とは、それが「スウィングしている」かどうかはわかっても、していないものに、なぜできていないのか説明をつけるのは難しい。そんな概念なのです。

そんな「スウィング」ですが、漫画内でそんな曖昧模糊としたニュアンスを伝えて、かつその違いまで表しきることができるのでしょうか。


昨日の記事で触れた「BECK」では、「スウィング」という言葉の代わりに「ロック」という言葉が使われていました。
この「ロック」という言葉は非常に厄介で、単に音楽的な水準の概念を表すのだけではなく、極めて広範に、精神的な水準の概念を表しうるものです。
音楽のジャンル、演奏形態だけでなく、アンチ・メインストリーム、カウンターカルチャーとしてのありようも「ロック」と言いえるし、それをさらに詰めていけば、アンチ商業主義とか、反体制とか、あるいはごてごて着飾らないだとか、いかようにも意味を込められます。
この「ロック」の広範なありようは、「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎)の登場人物・岩崎英二郎が、ことあるごとに「ロックじゃねぇ」と言っていて、読者はそれがなんだかよくわからないけれど頷かされてしまう、という強引な力強さにも表れています。音楽に限らず、日常的なものでもそれがロックであるかどうか、言語的にではなくともなんとなく判断できてしまうのです。

BECK」ではその広範なニュアンスをくみ上げ、商業主義的なものや、ポップ過ぎるものに対して、「それはロックじゃねぇ」と言い放っていました。つまり、漫画上の表現として、純粋に音楽の部分ではなく、音楽をやるうえでの態度などに対して「ロック」であるか否かを判断していたのです。


ここで再び「スウィング」に戻りますが、この言葉の場合、音楽以外の部分で当てはめることが極めて難しい言葉です。というか、純粋に音楽に対してしか使えない言葉だと思います。

だから、その言葉を使う以上、その言葉は純粋に音楽に向かわなくてはいけない。音楽に対する心構えや、音楽による効果、目的に対して、その言葉で表現することはできない。だが、漫画は実際に音声が流れる作品形態ではない。音楽そのものを持ってくることはできない。

この、漫画が漫画と言う形態である以上、どうしようもできない視覚と聴覚の差が、言語面から見る漫画の中の具体的な音楽概念の、限界なのです。


いくら言葉を費やしても、「スウィングしている」を説明しきることはできない。それでは実際の演奏に決して届かないし、それどころか余計なものまで付け加えてしまう恐れがある。漸近線的に近づくことはできても、そこに費やされる言葉の量を考えると、それはもはや漫画ではなく、挿絵つきの論文になってしまう。

いくら詳細な絵を描いても、そこから実際に音が聞こえてくるわけではない。絵で表せるのは、演奏者であり、あるいはその演奏者の心構えまで描ききれるかもしれない。だが、「スウィング」が純粋に音楽的な(=聴覚的な)概念である以上、その絵(=視覚表現)から「スウィング」を読み取ることはできない。


これはジャズに限ったものではなく、例えばクラシックでも「クラシックらしさ」を表す言葉があるようで、その分野に造詣の深い友人曰く、「アンサンブルしている」や「タクトに反応している」というように言えるようです(クラシック特有の表現ではないが、と断りは入れられましたが)。
後者はまだしも視覚的表現(すなわち絵)で表す余地がありそうですが、「アンサンブルしている」については、やはり極めて強く音楽的な、聴覚的な表現です(クラシックの場合、弦楽器のボウイングがありますから、アンサンブルが揃っていることを視覚的に表せそうですが、おそらくそれはクラシックである以上前提的なものであり、むしろボウイングが揃っていない描写があったら、それは「ひどく下手」という意味をもつといえます。ちなみにジャズの場合は、姿勢についてそれほどうるさくはなく、特別アインザッツをそろえるとき以外は、けっこう思い思いな吹き方をしています)。

前回の記事(参考;漫画における音楽の表現 〜「BECK」と「神童」に見る絵画的側面編 - ポンコツ山田.com)でも書きましたが、「BECK」で使われたような技法で、純粋にその音楽の程度の高さを表すこともできますし、「神童」で使われた技法のように、その音楽に具体的な(視覚的)イメージを与えることもできます。
ですが、「アンサンブルしている」だとか「スウィングしている」というのは視覚的に表現することができるものではありません。演奏者の服装や態度に「クラシックぽさ」や「ジャズっぽさ」を出せても、作品の中で鳴っている音楽に、純粋に音楽的なニュアンスを絵や文字でつけるのは、ほとんど不可能と言っていいと思うのです。
実際にその音楽分野に造詣の深い人間なら、作品内のシーンに合わせて、脳内で「アンサンブルしている」演奏や「スウィングしている」演奏を補完することもできるのかもしれませんが、読み手が皆が皆、そんな人間ではないでしょう。


「非ロック」の音楽漫画が少ないのは、こういうところにも理由があるのかもしれません。
「ロック」ならば、純粋な音楽以外の部分でも「ロック」を表す余地はありますが、クラシックやジャズは、あくまで「それらしさ」を非音楽的な部分でフォローするしかないからです。音楽的な意味で「ジャズである」とか「クラシックである」を表現するのは、まず無理なのです。

その支持母数が決して多くないであろうジャズやクラシックをあえて題材にするときは、作者自身その分野に思い入れがあるからなのでしょう。ですが、思い入れを持って描くにも関わらず、その分野の核となるニュアンスをどうしても伝えきれない。これはひどく強烈なジレンマです。

クラシックの有名どころではいったいどう描かれているのか。
やはり一度「のだめ」は読んでおいたほうがいいですかね。




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