BECK(34) <完> (KCデラックス 月刊少年マガジン)
- 作者: ハロルド作石
- 出版社/メーカー: 講談社
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絵という視覚表現をコマにより配置して(70年代から80年代前半には、吾妻ひでお先生あたりが、実験的にコマを使わない漫画表現を試みたりしていますが)、意味(物語性)を生み出し、そこに擬似的な聴覚表現である文字を挿入して意味の補強を行う。それが一般的な漫画です。
「文字が擬似的な聴覚表現である」と言う意味は、そもそも文字は音声を形にするために生まれたということです。音声を視覚的に把握できるようにしたものが文字であり、人間が文字を読む時は、その文字(で構成されている言葉・単語)の意味と共に、その文字が有する音声的側面から完全に離れることはできません。文章を黙読している時であろうとも、その意味の把握には音声的な解釈が常につきまとっているのです(先天的な聾の人間、あるいは言語取得の以前に聴覚を失ってしまった人間の場合、文字の認識がどのようになされているのか、不勉強なためわかりませんが)。
視覚的に把握される音声。それが文字なのです。
ということで、漫画は完全に視覚前提の作品形態だと言えます。
盲の人間でも、点字で詩や小説は鑑賞できますし、ドラマなどには副音声がありますから、聴覚情報からその作品の内容を知ることはできますが、漫画では難しいでしょう。作品の内容を全て点字で表せば、それは小説と変わらないし、音声で説明されたらドラマの副音声と変わりません。絵を絵として盲の人間に伝える方法は、極めて難易度が高いのだと思います。
もしかしたら、文字部は点字で、絵の部分には、線に沿って微妙な凹凸を点けたり素材を変えたりして、触覚的に何が描かれているか把握できるようにしてあるなど、視覚が不自由でも鑑賞できるような漫画が世の中にはあるのかもしれませんが、私にはわかりません。
で、そんな漫画ですから、聴覚表現を主とするものを主題にするのはとても難しい。つまり、音楽ものです。
最近の有名どころでは、アニメ化もドラマ化もされた「のだめカンタービレ」や、つい先日最終巻が発売された「BECK」あたりでしょうか。他に現在連載されているものでは「ピアノの森」や「GO-ON!」、「フールオンザロック」なんかがあります(「デトロイト・メタル・シティ」は入れてもいいものやら)。ロックものが多いのは、若者を主人公にしやすいからですかね。非ロックなら、「神童」や「マエストロ」と、さそうあきら先生作品があります。
今挙げた中で私が読んだことがあるのは、「BECK」、「ピアノの森」、(「DMC」、)「神童」、そして「マエストロ」をちょろっとです。メジャーになりすぎてしまった「のだめ」は、へそ曲がりが邪魔して読んでないです。
その作品群で最も印象的だった音楽表現は、「BECK」のものでした。
「BECK」では、印象的な音楽シーンを描くときは、文字表現を一切使用しない、という意外な技を使っていました。その演奏シーンのアップを、下からあおり気味のアングルで切り取るだけ、というように、純粋に絵のみで音楽の印象深さを演出しています。
(BECK vol.5 p158)
これが1ページ丸々です。
文字を完全に省くこと、音声の存在を完全に省くこと、音楽的意味を有する記号を完全に省くことで、逆説的にその音楽の素晴らしさ(程度の極めて高度なこと)を表現する。つまり、「えもいわれぬ」とか「言葉にできない」ってやつです。
それまでのシーンには音楽的記号(楽器の音を表すオノマトペであるとか、絵に描かれた音符であるとか)が横溢していたのに、唐突に写実的に(非漫画的に)人物しか描かないことで、そのシーンでぽっかりと意味の空白が生じます。それはつまり、「このシーンの音楽は、今までのような普通の音楽ではないんですよ」ということを、既存の記号をなくすことでアピールしているのです。
つまり「BECK」では、「素晴らしい音楽」を表現するのに、一切音楽的記号を用いず、「『えもいわれぬ』『言葉にできない』音楽」の絵(シーン)を描くことで、非言語的に、抽象的に「素晴らしさ」を表すという、豪快な荒業を繰り出したのです。
ですが、この表現が意味するところは、先にも書いた「えもいわれぬ」「言葉にできない」ものであるように、「ただ素晴らしいものである」ということでしかありません。どういう風に素晴らしいのか、いったいその音楽はどのようなものなのか、具体的な説明にはならないのです。
そもそも、音楽を表現するのにどういう言葉遣いをすればいいのか、というのは、大昔から人々の悩みの種で、ちょっと音楽雑誌を開いてみれば、ありとあらゆる喩えでもってその音楽がどのようなものであるか説明しようとしているライターの苦労が見て取れるでしょう(もちろんその苦労は、絵についても同様ですが)。
音楽の素晴らしさの具体性を絵で表したいと言うなら、例えば「神童」でこんなシーンがあります。
(神童 1巻 p25)
演奏のシーンに、その音楽がイメージさせる絵を重ねることで、このようなイメージを与えうる音楽であると説明するわけです。
基本的には、やはりこのような表現が多いと思うのですよ。具体的な意味を与えるイメージ絵にプラスして、あとは台詞や地の文で補足的にその抽象的な素晴らしさを表す。
ただ、この手法で表せるのはあくまでイメージであり、具体性でしかなく、その素晴らしさを表すには、文字表現によるフォローが必要となります。イメージ絵を重ねてしまうと、どうしても具体性のほうが先に出てしまい、純粋な、抽象的な素晴らしさの印象は後手に回らざるを得ません。その意味で、逆に抽象的にしか表しえない「BECK」の例とは一長一短でしょう。
とまあこのように、視覚表現媒体である漫画で音楽を表現するのに、漫画家先生たちはあの手この手で技法を繰り出してくるのです。深く敬服。
今回は、絵画的表現に主眼を置いて、漫画の中の音楽について書いてみましたが、次回は文字表現の面から見てみたいと思います。
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