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漫画の話です。

「坂道のアポロン」に見る、二重の解釈水準

坂道のアポロン (1) (フラワーコミックス)

坂道のアポロン (1) (フラワーコミックス)

本屋にいくと置いてある、試し読み用の小冊子。最近行った本屋にあったのは「海街diary」(吉田秋生)と「坂道のアポロン」(小玉ユキ)のそれでした。
ぱらぱら読んで、内容そのものは購買意欲をそそられ程ではなかったんですが、ちょっと気になったのは、「坂道のアポロン」内での描写でした。
この作品の梗概は

1966年初夏、船乗りの父親の仕事の都合で、横須賀から長崎県の田舎町へ転校してきた一人のナイーブな少年・薫。
転校初日、バンカラな男・千太郎との出会いのおかげで、薫の高校生活は思わぬ方向へ変化していく。
更に、薫は千太郎の幼なじみ・律子に、律子は千太郎に、千太郎は上級生の百合香にと、それぞれの恋の行方も複雑になっていく。
Wikipediaより)

主人公・薫はクラシックのピアノ弾き、千太郎はジャズドラマー。
試し読み分の範囲では、今までクラシックにどっぷりだった薫が、初めて目の当たりにするジャズのリズム、そしてそれをプレイする千太郎に惹かれていっています。
それでそのとき薫が言う台詞は、「こんなに楽しそうに演奏する人は初めて見た」というようなもの。手元に単行本があるわけではないので、文言の細部は絶対違っていますが、内容は外していないはずです。

このシーンを読んで感じたことなんですが、薫の目の前で演奏している千太郎、彼の演奏の描写が、格別上手そうには見えないんですよ。
一応私は趣味でジャズサックスをやっている(現在開店休業中ですが)ので、ドラマーの演奏を間近で見たこともあるし、共演したこともあります。そんなこんなで、現実のプレイと比較しながらその描写を見てしまったんですが、どうにもプレイ中の身体のバランスが悪い。それについてはずいぶん前にも書いたんですが(参考;ドラム考 - ポンコツ山田.com)、簡単に言ってしまえば、楽器の中でも特に身体を動かすものであるドラム(パーカッション)は、その身体運用にはスポーツに近いものが求められ、見てて不自然に感じられる(有り体に言ってしまえば、かっこわるい)ドラマーは、フォームの悪いスポーツ選手のように、決して上達できない、ということです。

つまり、ジャズ(に限らず、ドラムのある音楽)をやっている人間なら、「それはどうかな?」と思えるような描写があったり、その他、「その位置にあるシンバルを叩けば、そんなところには『ここに当たりましたよ』という漫画記号は描かれないだろう」というような場所にそれが描かれてあったりと、物語の水準、漫画的な水準ではなく、絵画的、イラスト的な水準で見ると、不自然を感じてしまうシーンではあったんです。


ですが、大事なのはそんなことではありません。
ここでより重要なことは、イラスト的な水準ではその描写に疑問を感じようとも、物語の水準として見れば、その演奏は「上手なものである」と認知されうる、ということです。

(そもそも薫の感想は「楽しそう」であり、「上手い」ではないので、イラスト的な水準の粗さがあっても不自然ではないのではないか、という意見もあるかと思いますが、薫も長年ピアノをやっている人間であり、分野は違えど、音楽の巧拙に一家言あるはずです。確かに、千太郎のジャズドラムに対して「うるさい」に類する感想は持つのですが、「上手くない」とは書いてなかったはずです(あったらごめんなさい)。おそらく、物語の水準で考えれば、千太郎の演奏は巧みなものであるはずなのです)


ここで一度整理をしましょう。
イラストの水準で見ると(=物語の意味を無視して考えると)、千太郎の演奏を上手いとは判断できない(むしろ下手そうだ)。
だが、物語の水準で見れば(=物語上の流れで考えれば)、千太郎の演奏は上手いと判断するべきだ。

この状況をまとめてみれば、描写上ドラムが上手くなくても、物語上ドラムが上手いと見ることは出来る、と言えます。
つまり、絵的な水準と、物語の水準で、その描写の解釈が違ってくるのです。


この解釈の水準の二重化は、特に漫画で顕著なものでしょう。
漫画の絵は現実のデフォルメであり、そこに作者の恣意を含ませることが、他の媒体より容易です。
恣意的に切り取られ、デフォルメされた絵と、恣意的に意味を込められた物語。
両者がともに一旦実際の人間から乖離することで、その解釈の水準も、現実世界のものから離れられるのです。
極端な話、「こいつ不細工だな」というキャラがいても、作品内でそのキャラが美形扱いされていれば、そいつは美形キャラとして扱える、という状況を、漫画は他の媒体に比べて作りやすいといえます。

小説では、現在ではほぼ全てのものが機械的なフォントで処理されていて、紙に印字されている字の巧拙で解釈をかえることはできない(巧拙ではなく、フォントを変えることで意味を変えることは出来ますが)。橋本治氏は、手書きで小説を執筆している時、少女の台詞を書くときは丸っこく、粗雑な男性の台詞を書くときは荒々しく字を書いていたという話があります。そして、実際出版される段階では、それらは全て均質なフォントに統一されてしまうことにがっくりした、という感想もついていました。小説の個性とは、字そのものではなく、字によって構成された文章の内容なのです。ですから、ここでは水準が二重化されることなく、文字の水準と物語の水準がイコールとなる、というより、文字の水準なるものが存在しないというほうが正しいでしょう。
上の例に合わせれば、小説で美形キャラを書くには、「そのキャラが美形である」という文字情報を書くしかなく、それ以外に方法を持たないのです。文字そのものでは、美形であることを表すことは(少なくとも現在の文学の約束上)できません。

実写の映画やドラマでは、登場する人物は実際の人間、受け手と同じ人間であり、その美醜などの評価基準は、自分自身のものと地続きにならざるを得ません。物語が恣意的であっても、登場人物が実際の人間である以上、解釈の水準は、どうしても現実に近くなってしまうのです。
物語の中で、それを多少はいじることができますが、それが過剰になってしまえば受け手は見ていて首を捻ってしまいます。

アニメが、その意味では漫画に最も近いです。というか、漫画以上であるとも言えます。現在のアニメには音声があり、今回の話の例で言えば、作画でプレイヤーが格別上手そうに見えなくても、音声で標準以上の演奏を入れておけば(少なくとも、「この演奏は上手くない」という意味を有し得ない程度の音を入れておけば)、物語の水準で容易に成立します。実際に聞こえる音声が、物語の解釈の一助となるのです。もしアニメに音声がなければ、漫画と同様、絵のみで物語の水準を構成しなくてはならず、その労力も漫画と類似のものとなるでしょう。


閑話休題
「上手そうなドラムのプレイ」を描くより、「楽しそうなドラムのプレイ」を描くほうが漫画的ではあります。それは、後者のほうが物語の水準に則しやすいからです。

この両者に要求される技術は当然違っており、前者に要求されるのは、先にも述べたような絵画的技術、デッサン的技術であり、同時に必要とされるのが、実際に上手く演奏しているドラマーの写真(絵)、つまりモデルでしょう。自分自身が上手いドラマーでない限り、何の資料もなく上手いドラマーを描くことなんて、まあ難しいと思います。というか、自分がそうであっても、いろんな角度から絵を描くには、実際その角度から撮られた写真などが必要で、想像だけで描くには限界がかなり近いところにあります。

翻って後者ですが、ここで要求されているのは「上手さ」ではなく「楽しさ」であり、はっきり言ってしまえば、それを表現する時に、ドラマー自体の描写が上手い必要はなく(ドラマーが楽しそうにプレイしている必要はなく)、ドラマー以外の描写で「あいつは楽しそうだ」ということが表現できていればいいのです。
極端に言えば、楽しそうなドラマーのプレイを見たことがなくても、楽しそうなドラマーの描写はできるのです。
自己言及の言葉は信用ならないとは言われますが、それはこのケースにも当てはまるようで、ドラマーが自分で「楽しい」と言うよりは、周りの人間が「あいつ楽しそうだな」と言うほうが説得力があります。「坂道のアポロン」のこのシーンでは、極論してしまえばこういう手法が使われていると思います。
無論ドラマー単体で「楽しさ」を表現することも可能ですが、それはかなり難易度が高いです。なにしろ、表情や動作などに、かなり精密な描写が要求されますから。


ところで、後者の手法を前者で使った場合はどうなのでしょう。絵で見ては上手そうには見えないんだけど、周りの登場人物は「上手い」と言っている、というような描写をなされたら。
実は、これはこれで十分に成立するんですよね。今回の場合、たまたま私が普通の人より器楽演奏に馴染みがあったからこのように感じたわけで、普通に読む分にはそれでまるで問題がないと思うんです。

ただ言えるのは、ドラマーのプレイを見て「あいつ上手いな」と感じるよりも、何かに打ち込む人間を見て「あいつ楽しそうだな」と感じる感性のほうが、普遍的なものであるはずだということです。
ですから、技法として、キャラのデッサンを上達させることで意味を描写するよりも、物語の内部で意味を立ち上げるほうが一般的に使えるものであると思うのです。
もちろん絵が上手いことに越したことはないですが、絵が特別上手くなくても面白い漫画はいくらでもあります(岡本一広先生とか、施川ユウキ先生とか、とよ田みのる先生とか)。
やはり漫画という媒体は、絵の水準とともに物語の水準の力が強くあるのだなと思った次第です。





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