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センスとテクニック その1 〜絵画編

文章を書いて、読んで、ふと思うのが、文章における「テクニック」って何のことを言うのでしょうね。

センスとテクニックは分けて然るべきですが、果たしてその二者はどのように分けられるものなのでしょうか。

センスとテクニック。
感性と技術。
日本語で表現してしまえば、まるで別物だと感じられますが、それを文章や漫画などに当てはめた時に、どのように境界線を引けばいいのか、ちょっと迷ってしまいます。
いったい、どこがセンスの所産であり、どこがテクニックの産物なのか、その明確な区別に上手い解答を見つけられないのです。

取っ掛かりを見つけるために、まず、その二者の区別が出来そうな分野として(あくまで、門外漢としての意見ではありますが、感覚的な話で)、絵画を考えてみましょう。
絵心もなく、アカデミックな教育を受けたこともない私ですので、フィーリングでその区別を言えば、絵画におけるセンスは、個人(作り手)にとっての対象の見方、認識の仕方、構図の作り方、色の選び方などであり、テクニックは、それらを抽象的に体系だてたもの、他の人間も利用できるように整理したもの、と出来るのではないかと思います。
より抽象的に、センスは個人に内在し、テクニックは個人から外在する、とも言えましょう。
さらに換言して、センスはテクニックを生み出し、テクニックはセンスを基礎付ける、とも言っておきましょうか。

たいていの場合、センスは確かにセンスとして先天的に存在しますが、絵画を学ぼうと思えば、まずテクニックを得ることから始めるのが常道です。
「芸術は模倣より始まる」との言葉がありますが、自分のセンスだけで、初めからある自前のものだけでで何かを表現しようとするのは、絶望的なほどに困難です。いえ、表現するだけならまだできるかもしれませんが、それが人の心を揺さぶることが出来るレベルにまで達する人は、万人に一人もいないでしょう。いっそ、皆無といっても構いません。
その起源を探ることは不可能ですが、いつの頃からか体系的に基礎付けられだした、絵を描くためのノウハウというものを先人たちはこつこつと積み上げ、あるとき突発的に生まれた「天才」と呼べるような存在が、それまでのノウハウをぶち壊すようなセンセーショナルな絵を生み出し、時を経てそれが人々に受け入れられるようになって、そのセンセーショナルなセンスをもテクニックとして体系の中に回収される。
こうして、絵画のテクニックの体系は、時と共に複雑に、巨大に成長していくのです。

センスのある絵を描ける人間は、学び取ったテクニックの上に、体系から外れた、自分のセンスに基づいた絵を生み出します。
センスのある絵とは、体系付けられているがゆえに無表情でのっぺりとしたテクニックの秩序の中で、センスという名のトリックスターが秩序を乱し、世界を活性化させているとも言えます。そのトリックスターの正体は、色使いであったり、線の太さであったり、タッチの荒々しさであったり、作り手次第で千差万別です。
体系の中で秩序を乱すもの。同様のセカイを有しながらも、それでも他の作り手のセカイと一線を画すもの。それがセンスです。

あるいは、テクニックを吸収し、吸収し、吸収し、その吸収した量が臨界点を突破した時に、テクニックが質的変化を起こし新たなセンスを生み出す、といってもいいかもしれません。
その臨界点の限界値がどこであるかは各人によって異なり、それほど多くのテクニックを吸収しなくともセンスある絵を描ける早熟な人間もいれば、詰め込みに詰め込んで初めて描ける、大器晩成型の人間もいます。


こうして書いてみれば、「センス」は「オリジナリティ」とほぼ同義で私は使っているようです。
「感性」と「独創性」ですか。
文脈から離れて考えれば、感性はあくまでモノの捉え方、感じ方、認識の仕方で、独創性は、絵なり文章なり音楽なり言葉なり、なにかしら作り出したものに対する評価、比較。受動の受け皿と能動の結果ということで、実は結構な違いがありますが、今回は実際に作り出された作品(能動的に、かつある程度意図的に作られた存在するものってことで、広義の「作品」)についての論なので、その二つをほぼ同義と捉えても問題はなさそうです。感性の結果としての作品であり、その結果としての感性をして、オリジナリティと呼んでいるのですから。


とまあ、これで本論の前段として、解りやすそうな領域である絵画でのセンスとテクニックの違いを説明しました。これを踏まえて、次回は文章(もしかしたら、漫画にも触れるかも)の分野での両者の違いについて考えてみたいと思います。







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