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ヴァンデミエールの翼/鬼頭莫宏/講談社

ヴァンデミエールの翼(1) (アフタヌーンKC)

ヴァンデミエールの翼(1) (アフタヌーンKC)

ヴァンデミエールと呼ばれる、魂を宿した自律人形たち。作り物の身体にもかかわらず意思を持つ彼女たちは、自由と自立を求めて創造主の下から飛び立とうとする……


最近になって再販された鬼頭先生の作品。
やはり生(性)と死をごりごりと描いています。

このヴァンデミエールと呼ばれる人形たちは、服さえ着ていれば人間とまるで変わらないほどに精巧に作られています。人と変わらず動き、人と変わらず喋り、人と変わらず笑い、人と変わらず泣くのです。
ですが、彼女たちは人形です。ナイフで肌を切っても血は出ず、腕が折れればそこには露骨な木造の断面が覗きます。嬰児を抱いても乳をあげることが出来ず、そもそも出産することすらできないのです。にもかかわらず、性交はできるように作られている。そんな存在なのです。

意志もある。魂もある。だが、そこに生命はあるのだろうか。
子種を受け入れても子を宿すことは出来ず、我が身から乳をだして子を養うこともできない。
果たして、生命とはなんなのか。死とはどういうことなのだろうか。性とは何を言うのか。人間とはなんであるのか。
このような根源的であり答えのない問いに、人間と近くそれでいて人間ではありえない存在の補助線をひくことで、鬼頭先生は答えを見つけ出そうとしているのだと思います。

ヴァンデミエールに会う人間たちは、みな最初は彼女らが人間であると思って接します。ですが、ふとしたきっかけ(それはヴァンデミエールの告白であったり、創造主からの使いによる告知であったりしますが)により、その存在の危うさを教えられ、そのありように戸惑うのです。

自分と近い存在にして、自分からかけ離れた存在。
すぐ隣にいるように思えても、鏡の向こう鏡像のように決して交わることの出来ない存在。
薄皮一枚で隔てた那由多の彼方の彼女。

そんな存在に、人々は心をゆさぶられ、自分のあり方に不安を覚えるのです。


私が一番心惹かれたエピソードは第七話。赤子を抱いたヴァンデミエールが登場するのですが、それはもちろん彼女の子ではなく、道中出遭った私生児を殺そうとしていた女性から、慈善施設に届けるために預かったのです。
途中で吹雪に遭い、洞状の古代遺跡で難を逃れているところで行商人と出会いました。
止まない吹雪の中、彼女は赤子を行商人に預け、我が身を薪にして暖をとるように言い残し命を失ってしまうのです。
このエピソードの軸は、出産、あるいは女性性なのですが、それが語られた場所が洞であることに、ある種の必然を私は感じました。フロイトの理論によれば、洞窟のような形状は正に女性の象徴であり、その中で、生命を持たず、出産することすらできないヴァンデミエールが、赤子を行商人に託す、つまり生命を繋ぐという行為をなしえたことに、一つの普遍的な人類学的知見を感じたのです。


全八話の中で、ヴァンデミエールに会った人たちは、我が身と我が存在を顧みます。同時に読者も我が身を振り返るのです。
とにかく読んでみてください。いままで見つけることがなかった新たな補助線が見つかるかもしれません。





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