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水上悟志と石黒正数の熱い主張

惑星のさみだれ 5 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 5 (ヤングキングコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

新刊でました。

トーリーがいい感じに転がり始めてますね。続刊がとても楽しみです。今年中はきつくとも、今年度中には是非。


で、それはそれとして、今日は「惑星のさみだれ」を読んでて気づいたことを。

この作品と、石黒正数先生の作品て、どこか共通点がある気がしませんか?

普通に考えれば、世界の存亡を賭けたファンタジーと、日常を描くことを旨とするコメディ、つながるところは無いように思えます。
ですが、私の感じる共通点は、物語の水準ではなく、物語の内部のメッセージの水準にあるのです。


石黒先生の作品への言及の詳しいところは過去の記事(「ネムルバカ」と石黒正数のもつ二つの柱 - ポンコツ山田.com)を参照してもらいたいんですが、ざっくり言ってしまえば、石黒先生はとても自覚的に青臭い話を描いているということです。
特に「ネムルバカ」でそれは顕著だし、「それ町」でも、描きたいことを前面に押し出して描こうという姿勢がうかがえます。
言ってみれば、物語に描きたいこと(伝えたいこと)を沿わせるのではなく、描きたいこと(伝えたいこと)に物語を沿わせているんです。それは、一話完結物や短編が多いことも影響しているでしょうが。

で、「惑星のさみだれ」も、そこに通じるものがあると思うんですよ。
こちらの作品は続きの連載物で、登場人物も多く、物語の枠組みもかなり壮大。小さなエピソードを挟むことは出来ても、本筋と大きく異なるエピソードを組むことはかなり難しいです。
ですが、水上先生は果敢に自分の言いたいことを物語に注ぎ込んでいきます。
登場人物のたちの過去、現在のエピソードに自分の思うところを詰め込んで、喋らせる、思わせる、行動させる。堂々とです。

もちろん、殆どの作品には作者が言いたいことというものが詰まっているものです。多かれ少なかれ、それは必ずと言ってもいいほどに。
ですが、多くの作者は、物語に言いたいことを沿わせようとするものだと思います。
その物語だから言えることは言うけれど、言えなそうなことはまあちょっと自制しておこうかなというように。つまり、言えることを言う作家。

でも、この二人は言いたいことを言う作家。
がむしゃらなまでにメッセージをこめようとしているように感じるのです。

単純に、作者が漫画の向こうに透けて見える、という話ではありません。
あえて透けさせているというか、透けることすら厭わないというか。
とにかくこれは言わせろという熱意。
それがこの二人からは放たれている気がします。


こういう姿勢の作家さんはあまり見ない気がします。
以前に書いた話(参考;物語の「問い」と「答え」 - ポンコツ山田.com)とはちょっと違い、そのような物語の芯としての設定ではなく、そこかしこで生まれてくる物語の中でのある一つの主張といいましょうか。
そうですね、「問い」と「答え」の二項による関係性ではなく、「主張」という一方向的な表現が近いのかもしれません。
ストーリーテリングの上手くない作家がこのような行為を頻繁に行うと、その主張が物語から浮き上がってしまい、その言葉が登場人物のものではなく、完全に作者の言葉として受け取られてしまいます。登場人物の姿かたちを借りた作者の言動ではなく、いきなりそこだけ作者が現れて声高に叫びだしたような違和感。そこで唐突にエンターテイメント性が薄れ去ってしまうんです。早い話、興醒めってやつですね。

それを防ぐためには、主張を物語の中に馴染ませなくてはならず、つまりキャラの台詞、行動を物語に調和させなくてならないのです。
物語を主張に沿わせるのか、主張を物語に沿わせるのか。
それは大別することは出来ても内実はグラデーションを作るもので、各漫画家ごとにバランスは異なってきます。この二人はそのバランスが、とても似通っていると思うんですよ。


メッセージ性の強い作品を好まない人もいますが、私は美味しく仕上げられたその手の作品は大好物です。エンターテイメントと思想性がうまくブレンドされているなんて美味しすぎじゃないですか。
水上先生の作品はまだ「惑星のさみだれ」しか読んだことが無いので、短編集なども手を出してみたいと思います。





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